文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年2月6日】1995年3月1日、私は法輪功の穏やかな音楽を聴いた後、修煉を始めました。1999年7月20日、中国共産党(以下、中共)は法輪功への迫害を発動しました。2005年9月5日、私は中共当局に連行され、懲役3年6カ月の不当な判決を宣告され拘禁されました。2009年4月に刑務所から解放され、家に帰ることができましたが、ほこりだらけの家には誰も住んでおらず、妻と10歳の息子の行方は誰も知りませんでした。当時、44歳の私は家族を失っただけでなく、医師としての仕事と収入、それに社会的な名誉も失いました。これからどう生きていくのか、私には分かりませんでした。
一、色と欲の試練
私はある病院で働くことにしました。最初に直面した問題は、色と欲の試練でした。私の状況を知っている友人や同僚は、私が1人で生活しているのを見て、私に新しい家庭を築くこと勧め、結婚相手を紹介してくれました。中には離婚した女性もいれば、独身の女性もいました。ある年配の同修は、自分の娘を私と結婚させようとしたこともありました。「私は、自分自身の生活が精一杯で、家庭のことに責任を持つことができません」とその都度断りました。「あなたの人柄を大切にしているので、経済的なことは問題にしていません」と言う人もいましたが、自分は結婚しており、息子もいますので、やはり同意できませんでした。また「あなたの妻と息子が何年も行方不明になっており、生きているのかさえもわからないのだから、こんな状態でたとえ戻って来たとしても、許してくれるはずですよ」と私を説得しようとする人もいました。しかし、法輪大法の修煉者として「私は師父の教えに従って行ない、そのようなことをしてはいけない」と自覚していました。
当時、ほぼ毎日のように、私に結婚相手を紹介してくれました。どうしてこのような事があるのでしょうか? 私は、自分の中に暖かい家庭、美しい妻、可愛い子供を持ちたいという願望があることに気づきました。 さらに内に向けて探すと、孤独を恐れる心や色欲心のほかに、常人の幸せな生活への憧れがありました。 師父が教えてくださった法理に照らすと、これこそ取り除くべき執着心であり、私は大法の基準で自分を修めるようにしました。すると、だんだんと心が落ち着いてきて、 次第に結婚相手を紹介してくれることも徐々になくなっていきました。
医師として、患者やその家族と向き合って対応することは避けられないことです。 ある時、勤務中に、以前治療したことのある若い女性患者が、お金を赤い紙に包んで渡しました。私が受け入れなかったので、女性は何度も私にお金を握らせようとしました。私はもらってはいけない理由を説明すると、彼女は諦めました。今度は食事に誘われましたが、それも断りました。 仕事から家に帰り、誰かがドアをノックしたのでドアを開けると彼女でした。 部屋に入ってきた彼女は、私の部屋が雑然しているのを見て、片付け始め、モップで床を拭いてくれました。また、 食器棚の扉が壊れているのを見て、その後、職人を頼んで直してくれました。 私は彼女に感謝しました。しかし、彼女に好感を持つことに、とても不安と恐怖を感じていました。 「このようなことが起こるのは、偶然ではない。私に色欲心があるからに違いない。修煉者にとって、色も欲も取り除かなければならない!」と目が覚めました。私は師父の教えに従って自分を清め、大法の基準で修煉しようと思いました。私は自分の言動を正し、できるだけ彼女を避けるようにしました。すると、彼女も二度と私の前に姿を現すことはありませんでした。
このような試練は何度もありましたが、私は大法の基準で自分を律し、心性を守ることができました。毎日仕事のほかに、私は法を勉強し、煉功と発正念をし、そして大法の素晴らしさと法輪功迫害の実態を伝え、人々を救うことを行っており、とても充実していました。こうして3年余を過ごしていたところ、妻と息子の消息が分かったのです。
二、妻と息子の消息に直面する
2013年2月、妻と息子の消息が分かりました。親子は北京にいたのですが、妻の状態が悪く、精神病を患っていました。私は親友に、「妻と息子を迎えに行って、家に連れて帰るよ」と言いましたが、親友は、「あなたの現在の経済力では、3人の生活は無理だろう。それに、2人のそばには男性もおり、養ってもらっている。あなたは毎月一定の生活費を送ればいいのでは」と忠告してくれました。妻と息子のそばにいる男性は私の昔の友人でした。妻と息子を何年も面倒を見てくれていたのですが、やはり自分の家に連れて帰ることに決めました。
妻と息子を迎えに行く前に、私はその昔の友人の両親を訪ねて事情を告げました。事情を知った友人の両親は、自分の息子が、他人の妻子と一緒に生活していることに猛反対しました。
中国では、列車のチケットを購入するには、身分証明書が必要です。私は直接北京へ行くつもりでしたが、中共に迫害された時、身分証明書に記録が残されているため、チケットの購入が困難でした。仕方なく、私の代わりに弟2人と妹が、北京に迎えに行ってくれることになりました。
弟2人と妹は、私の友人の男性のところに行って、私の妻と子供に会いました。しかし、妻の精神状態がかなり不安定だったため、列車に乗ることはできませんでした。そのため、タクシーを呼びましたが、妻の様子がおかしいため断られたのです。結局、弟は1万元を出して人に頼み、地元から北京まで車を運転してもらって妻と子供を乗せて家に帰ってきたのでした。
妻の病気が心配だったので、私たちは直ちに、妻を地元の精神科病院に連れて行きました。検査の結果、統合失調症と診断され、すぐに入院して治療することになりました。私は息子を家に連れて帰り、一緒に暮らすことができました。私が息子に勉強を指導する時は、いつも「良い人になるように」と教えています。
三、病気の妻に対して
統合失調症は世界的な難題で、治療しにくい病気です。現代医学は、表面的なことを研究しているだけで、統合失調症の原因は精神的な面にあります。現代医学ではそれが認識されていないので、治療も難しいのです。
妻が入院したばかりの頃、私は毎日見舞いに行きました。しかし、妻は私を敵視して罵ったり、侮辱したりしました。最初はとても悲しくなり、妻を家に迎えたことを後悔しました。家に帰って法を学んだ時、「妻をもっと理解しなければならない、恨んではいけない」と反省しました。妻がこのようになったことも、私が中共に迫害されたことであって、原因はやはり私にあります。妻がどんなに興奮しても、「悪念を動かしてはならず、もっとやさしく対応すべきだ」と思いました。私はいつも果物やお菓子、それに数々の栄養豊富な美味しい手料理を持って見舞いに行きました。罵声を浴びせられたり、ひどく侮辱させられたり、恥ずかしい思いをすることもありました。報われない失望感から、嫌な気持ちや、怨む心が出てきて、心のバランスが取れなくなったりしました。しかし、学法をすると、私はすぐに自分が間違っていることに気づき、「大法に従って、良くない心を正そう」と思いました。
私の現状を見て、「離婚した方がいいよ」と勧める人もいました。妻も何度も「離婚したい」と叫んだりしましたが、私は離婚しませんでした。修煉をするにつれ、私の心性が高まり、だんだんと私は妻の言動に動揺されなくなり、心も穏やかになりました。振り返って見ると、「妻は私の修煉を手伝ってくれており、感謝しなければならない」と思いました。私は依然として美味しいものをもって妻を見舞い、妻が私の負担になっているとは思わなくなり、心から「早く回復して、家に帰ってほしい」と思うようになりました。
2020年4月13日、病院側は専用車で私を迎えに来て、妻の容態が深刻であると告げました。病院に行って見ると、妻が深刻な肺結核を患っていることが分かりました。妻が結核病院に転院して治療することになったのです。私は妻と一緒に同じ病室に住み、料理や洗濯のほかに、髪を洗ってあげたり、体を拭いてあげたり、献身的に世話をしました。妻は自分で食事ができなかったため、食べさせたり、大小便も自力でできないため、私は抱えてから用をさせました。毎日妻の世話をしてから、時間を作り、大法弟子として三つのことをしました。3カ月後、妻は退院して家に帰りました。
家に帰ってからも、私は心を尽くして妻の世話をしました。しかし、しばらくして病気が再発したため、再び入院しました。私は毎週、たくさんの美味しい手料理を作って病院に持って行き、妻に食べさせました。それでも、妻に怒られたり、罵られたりすることもよくありますが、私は心を動じさせることなく黙っていました。「どうして妻が、私にこのような態度をとっているのか? 私のどこが大法に合っていないのか?」と内に向けて探し、そして言動を正しました。すると、私の心はますます穏やかになり、妻の病状も次第に良くなっていきました。
私の勤めている病院の同僚が、家庭内トラブルを起こして、離婚する寸前になったりすると、まわりの人たちは、「○○さん(私のことを指す)を学ぶべきだよ。彼のように、どんなことがあっても、妻を見捨てるようなことはしないでしょう」と言います。すると、彼らは落ち着いてきて、トラブルも緩和されるのです。周りの人たちは、私を模範として、手本として見ているのです。
中国の伝統文化では、家族にとって夫は家長であり、家族の天であり、しっかりとした見解を持ち、意志が強く、困難に直面しても挫折せず、心が広く家族を養う責任を負い、妻にやさしく、子供をよく教育するのです。それに対して、妻は家族の地であり、夫を助け、子供を教育し、客をもてなし、優しくて淑やかであるべきです。法を正す時期の大法弟子として、未来に参照を残す使命を負っているので、私たちは、さらに良く行うべきです。