文/中国河北省の大法弟子 蘭子
【明慧日本2023年3月24日】何度か心性の関を乗り越える中、修煉の厳粛さを深く体得することができ、文章にしました。法理に則ってないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。
それは2021年7月のある日のことでした。私は他所から故郷に帰り、同修Aさんの自宅で修煉してないひとりの友人と一緒に食事をしていました。食事が終わったところに、同修Bさんがやってきました。私たちは長い間会っていなかったため、会うと話が止まりませんでした。Bさんは嫁がいかによくないかなど、ずっと嫁のよくできてないことに対して文句をいい続けていましたが、私もBさんに合わせていて、熱中していました。話が終わると、Bさんは帰って行きました。
その時はすでに夜の7時を過ぎていて、Aさんは修煉しない友人と一緒に私を家まで送ってくれました。私たち3人は一緒に1階に降りて行きました。当時私はまだ孫娘を抱いていました。コミュニティの電動引き戸から出たところで私はゴホンとせきをしました。すると、すぐに肺から何かが沸き上がるような感覚を覚え、その苦しみは言葉には言い表せないもので、息があがらなくなり、足に力が入らず、それから何が起こったのかわからなくなりました……。
目を覚ますと、孫娘が私の胸の中でしきりに泣いていました。私は無意識のうちに師父に助けを求めました。「李洪志師父、助けてください! 李洪志師父、助けてください!……」と叫び続けました。Aさんは隣で電話をかけていました。
その時、友人が私に教えてくれました。「一緒に歩いていたのに、何が起こったのかわからないが、あなたが地面に座り込んでしまったので、慌てて声をかけたが、あなたは応答しなかった。あなたは意識を失っていたよ、意識がなくなって、子供があなたの胸から地面に落ちたの。私たちが子供を抱いたが、さらに泣き出して、おばあちゃんと叫んでいたので、子供をあなたの胸に置くしかなかったの。私たちはあなたの名前を呼びながら、あなたの師父に助けを求めました」。友人の話しを聞いて、師父が私を守ってくださったことが分りました。さもなければ、どうなったのか想像もつきません。助けて下さった師父に感謝申し上げます。
その時、私は家に帰ろうとして、彼らに私を支えて起こしてもらおうとしましたが、足に力が入らず立ち上がれませんでした。するとちょうど、同修のCさんが電動自転車に乗ってコミュニティの中から出て来ました。AさんがCさんに電話をかけて、車で私を家まで送ってくれるよう頼んだことが分りました。しかし電話ではっきり説明できなかったため、Cさんは自転車でやってきたのです。Aさんから簡単に事情を聞いたCさんは自転車で戻り、再び車を運転してやってきました。彼ら何人かで私を車の中に入れてくれました。孫娘は私以外の誰に抱かれることも嫌がって泣いていました。私は全く力がなかったのですが、無理しながらも孫娘を抱いていました。孫は今起こったことに恐怖を感じ、泣き続けていたので、私は「大丈夫、師父が私たちの面倒を見てくださる」と言い続けながら、また「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と心からの九文字を念じました。
家に帰ってから、私たちは一緒に話し合い、法を学び、発正念しました。Cさんは「あまりにも突然発生し、しかもこれほど深刻だったのに、またこれほどすぐに正常な状態に戻ったからには、あまり遠いところを見る必要はなく、発生の前に法に則っていなかった深刻な問題がなかったかだけを見てください」と言いました。
同修の一言は私を悟らせてくれました。私はすぐに口を修めておらず、心性を守らなかったことに気付きました。同修Bさんが嫁の欠点を話している時に、私は同修として、法理に基づいて交流し、心性の関を乗り越えるようにするのではなく、常人のようにいい加減なことを言い、Bさんの執着心に合わせていて、Bさんの執着心をさらに増長させていました。これは同修に対する極めて無責任なことです。20年以上修煉した古い弟子として本当に恥ずかしく思っています。大法の救い済度と師父の今までの入念の保護に申し訳ないと思います。この事件から、私は修煉の厳粛さを深く理解することができました。師父が説かれたのように「邪悪が付け入らない隙はないのであって、皆さんのあらゆる念と行いを虎視眈々と狙っています」[1]
息子と嫁は2人とも他所で働いています。2年前、嫁が出産しました。嫁の母親の具合が悪かったので、孫娘の面倒を見ることは自ずと私1人の肩にかかり、私は家を離れて息子の家に行き、孫娘の世話をしました。
最初の1年間は、いつも次のように考えていました。あなた達の子供の世話をするために、故郷の集団学法の環境から離れた。私はこれほど多くの代価を支払ったのに、それでも息子はよく私に口答えをしている。私は生活を切り詰めているのに、息子らは、いつもよく浪費している。私は孫娘の面倒を見ながら、忙しくして食事を作り、ご飯を食べる時間もない中でやっているのに、あなたたちはレストランに食べに行っている。考えれば考えるほど、怒りがこみ上げ、文句を言いたくなりました。すると息子は私のことを見れば見るほど気に入らず、私に口答えをしていました。さらに大声で私に叫んでいました。「ここにいたくなければ、出て行ってくれ」と言いました。私は涙ぐんで、本当に息子の家から出て行きました。出てから、自分の家に帰るか、旅館に泊まるかと考えましたが、理知の一面が、修煉者として、このようにしてはならない、息子らが大法に対して誤解するし、大法に泥を塗ることになると教えてくれました。しばらく外にいた後、私はまた息子の家に戻りました。
一言でいうと、息子と衝突するたびに、私は内に向けて探さず、このトラブルを利用して自分は向上できず、乗り越えることができませんでした。修煉者として文句を言ってはならないと知っていたため、口では何も言わなかったのですが、心の中では文句ばかりで、絶えず外に飛び出そうとしました。時間が経つにつれて、恨みや、辛さ、報いを求める心がよく渦巻いていました。自分は煉功だけをやり、心性を修めない常人になっていました。いつも故郷の集団修煉の環境を心にかけていました。このような正しくない環境が断続的に1年間続きました。私が故郷の同修に電話し、伝えたところ、「あなたの魔性の部分を全部なくさなければならない」と言ってくれました。
昨年、一度故郷に帰り、同修に会いました。皆は、私が痩せて顔色もよくないと言っていました。考えてみれば、顔色がよいはずがあるでしょうか。息子の家に帰ってから、私は自分でも自分の修煉状態を振り返ってみました。ある日、ある同修に連れられて、別の同修に会いに行きました。私はその同修に自分の修煉状態を話しました。その同修は、「師父が伝えられた法は大きすぎて、どこでも修煉できます。孫娘の面倒をみる適切な人がいなければ、あなたが子供の面倒をみるのは、あなた自身が負うべき責任です。あなたは今息子の家にいますが、そこがあなたの修煉環境です」と言ってくれました。
それ以来、私は自分を修めることに励み、恨みなどの心が出て来る度に、それを認めず、それを掴み取って、取り除きました。少しずつ、私はこの環境のなかで修煉することができるようになりました。一度、息子と2人のお姉さんの間に小さなトラブルがありましたが、私はそのなかに巻き込まれることはありませんでした。それは彼らの間の因縁関係によることだと知っていたからです。
師父からの悟らせ、保護と救い済度に感謝します! 同修のみなさんの助けのおかげで、私はようやく誤った修煉状態から抜け出し、自分の修煉の道を正すことができました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」