【明慧日本2023年5月28日】(明慧ネット特派員シェン・ロン著)呉慶中(ウー・チンチュン)さんは台湾の宜蘭出身で、事業で裕福になった後、故郷に戻りました。呉さんは銀ヤナギを植え、国際コンクールで優勝しました。彼は台湾で銀ヤナギを日本とオランダに輸出している唯一の花農家です。彼はあまりにも多くの賞を受賞しており、一つ一つの全てを把握できないほどです。誰かが彼に「あなたの独特の植栽技術は何ですか?」と尋ねたとき、呉さんは、「それらの秘訣とは、すべて法輪大法の修煉から来ています」と話したのです。
呉さん(左から2人目)が銀ヤナギで1等賞を受賞
呉さんは、ストレスと激務が原因で30歳の時に重い病気を患いました。子供の頃の呉さんは、才能と知性が溢れており、家族は彼に大きな期待を寄せていました。しかし、呉さんは大学受験の難しさを考えてためらい、迷っていたのでした。
そのため呉さんは進学のプレッシャーから逃れるため、高校卒業後、2カ月間山へ梨狩りに行きました。その後、キャリアの方向性を探すために台北に行った呉さんは、飲料市場にビジネスチャンスがあることに気づきました。1990年、25歳の時、彼は初めて1000万台湾ドル (約4503万円、32万5449米ドル 約4492万円)を稼いだのです。
そして、呉さんはこう話しました。「私はこれまで、ビジネスをしたことがなかったので、先輩のビジネスマンとの付き合い方を学ばなければなりませんでした。工場での問題など、毎日たくさんのことに対処しなければなりません。さらに毎日、何千箱もの商品を配達しなければならず、プレッシャーがあまりにも大きかったので、真夜中に気分転換をするために車を走らせたりしていました」
呉さんの成功は、彼に幸福や喜びをもたらすことはありませんでした。呉さんは、「これが自分の望んでいた人生なのだろうか?」と思い始めたのです。しかし、それを理解する前に、彼には予想外のことが起こったのでした。
「私が30歳のとき、毎日何千箱もの飲み物を運んでいたため、姿勢の悪さと仕事のプレッシャーにより、突然、腰の痛みが続くようになりました。医者は坐骨神経痛だと言いました。動くたびに腰が痛くなり、何もできなくなりました。私は数え切れないほどの医師を訪ねましたが、何も解決できませんでした。本当に心が折れてしまいました」
さらに坐骨神経痛に加えて、長年悩まされていたアトピー性皮膚炎が状況をさらに悪化させました。かゆみと痛みで彼は落ち着きませんでした。「漢方薬、鍼治療、民間療法、理学療法など、あらゆることを試しました」
名声と富の代償により、彼は人生の最大の資本である健康を失いました。呉さんがどん底にいたとき、親友の林さんが心躍るニュースをもたらしたのでした。呉さんはこう振り返りながら、「林さんと私は一緒に、一種のスピリチュアル・ヒーリング・グループに参加したのですが、受講したコースは異なっていました。ある日、林さんが興奮した様子で私にこう言ったのです。『クラスにいる生徒の持つエネルギーの波があまりにも強すぎて、先生ですら彼に近づこうとはしなかったんだ。その生徒は、法輪大法という修煉法に出会ったばかりです』と言ったんだ」と言いました。
法輪大法についてもっと詳しく知りたくなった林さんは、台北から宜蘭へ探しに行きました。1997年6月、呉さんと林さんは地元の「法輪功の9日間講習会」に参加しました。呉さんは「初日に法(教え)を聞いて本当に驚きました! 私の生涯にわたる疑問がすべて解決されました。体全体が突然明るくなったように感じました!」
「法輪大法の創始者である李先生のビデオ講義で、失と得(損得)、業力の転化、修煉について話されており、私は驚きました。『これが私の望むものだ!』と心の中で叫びました。私は一言も聞き逃したくないので、注意深く耳を傾けました。しかし、2日目からは眠くて授業中寝てしまうことが続きました。師父が私の体を浄化してくださっていることに気づいたのは、後になってからでした」と話しました。
呉さんは毎日『轉法輪』を読んでいる
「法輪功の9日間講習会」の後、呉さんは過去に多額のお金を費やしたスピリチュアルな本、オーディオ、録画したビデオをすべて捨てました。「深刻な病気をきっかけに、私は人生の意味を探し始めました。私は幸運にも法輪大法に出会い、本当の修煉とは何かを理解することができました。法輪大法は、シンプルで簡単で学ぶのは無料です」
彼は、医者でも治すことができなかった症状から徐々に回復しました。彼は再び荷物の移動ができるようになったのです。ところが1カ月後、呉さんは突然、坐骨神経痛の前兆と思われる体の異変を感じたのです。「以前、体調が悪かったので少し怖かったです。しかし、今回は医者にも行かず、薬も飲みませんでした。私は大法を信じることにしました。師父が私の業の消去を手伝ってくださっていることを私は知っていたからです。1日休んだけで3日後、私の体は元気になったのです。まるで師父が病気の業を取り除くのを手伝ってくださっていたかのようで、以前の私とはまったく違っていました。この20年間、再発はしていません」
親友の林崇祺さんも、法輪大法の修煉を始めて間もなくして、彼のうつ病、神経衰弱、長期の不眠症、重度の便秘が薬なしで治ったのです。呉さんと林さんの二人は、より多くの親戚や友人に、この修煉について知ってもらうため、宜蘭に煉功場を設立しました。
また呉さんは、「私たちは、まず煉功をしてから、地元住民に法輪大法を紹介するための場所に行きました。次第に多くの人々が学び始めたので、私たちは煉功場と「法輪功の9日間講習会」のを設立し、それから法輪大法を紹介するために次の場所に行きました。2年以内に、それぞれ数十人が所属する8つの煉功場を立ち上げ、100人以上が煉功を始めました」と言いました。
模範的な農家と夫
呉さんは、重い病気を患って名声とお金への欲を手放した後、彼は真・善・忍の原則を、自分の仕事と生活に組み込むことを決意しました。風雨を凌ぐ農民であり、地に足のついた修煉者でありたいと思ったからです。
呉さんは、「農業を始める前に、種子がどのようにしてなぜ発芽するのかを調べました。なぜあの時期には咲かず、この時期に咲くのだろうか? とてもシンプルで、基礎を学びました。その後、驚くべきことが起こりました。法を読み続けるうちに、植物のことが理解できるようになったことがわかりました。誰かが私に『轉法輪』で何を見たのかと尋ねたのですが、私は農業の知識と神秘を見たと言いました」
「私は異次元で植物の種子が発芽する様子を見ました。師父はまた、植物には感情があると法の中で説いておられます。そこで私も、植物を大切な存在として扱い、植物の前では悪口を言わず、誠実に優しく扱うことを妻と約束しました。植物に敬意を持って扱うと、植物は繁殖するのです」と話しました。
農場で働く呉さん
呉さんは果物、米、黒豆の植え付けを始めました。「私のビジネス手法には、利他主義という中心的な考え方が1つだけあります。私は息子、妻、そして従業員にこのことを話しています。私たちが行うことは、すべて他の人にも利益をもたらすべきです」と話しました。呉さんは、植物や生態系にダメージを与えず、近所の水田にも影響を与えない有機農法を採用しました。他の農家からアドバイスを求められたときは、栽培方法も教えているのです。
法輪大法を修煉することで、呉さんは模範的な農民となり、良き夫となることができました。「以前は懇親会に出席することが多く、帰宅が深夜になることもありました。妻はカレンダーに、午前0時過ぎに帰った日を赤ペンで丸を付けてくれていました。友人が家に来てカレンダーを見たとき、なぜ赤い丸がたくさんあるのかと聞かれた妻は、『これは主人のことを私に気付かせる唯一の方法なので、運転を習おうと思っています』と答えてくれました。もう徹夜はしません。法輪大法の煉功を始めてからは、私と家族に何か衝突があると、まず自分の何が悪いのかを内に向けて探します。すると家族の雰囲気もどんどん良くなっていきました。妻も両親も子供たちも法輪大法を修煉し始めました!」
また呉さんは、「修煉を始めた父は、なんと私よりも熱心になりました」と笑顔で語った。「数年前、父はステージ3の肝臓がんと診断されました。医者から父は長くは生きられないと言われました。父は手術を受けず、家に帰って法を読み、煉功することにしました。父は毎日、『轉法輪』を読みました。驚くべきことは、父には黄疸、腹部膨満、食欲不振などの肝臓がんの典型的な症状がなかったことでした。父は87歳になった今も元気で過ごしています!」と話しました。
結び
人々が、呉さんをモデル農家と呼ぶと、呉さんは笑顔でこう言います。「それは私が、真・善・忍の原則に従っているからです。私が社会で何か功績を立てたなら、それは法輪大法に直接関係しています。人生の本当の意味と、本当に大切なものは何か。それらを理解することを助けてくれたからです」