文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年6月11日】私は86歳です。1996年に法輪大法の修煉を始めました。小学校の教育しか受けていません。私は高学歴ではありませんが、法輪大法の煉功を始めてから、私が理解できなかった多くの疑問が解決されました。法を学び執着を取り除くこと、生命の成り立ち、人間の目的、修煉とは何か学びました。
私は修煉を始める前に重度の胃潰瘍を患っていました。私は北京、上海、長沙のいくつかの大きな病院で治療を受けましたが、治癒することはできませんでした。修煉を始めてからは、心身ともに健康になりました。
2016年にお金を下ろしに銀行に行きましたが、数えていませんでした。家に帰ってから気づいたのですが、1万元余分に多くもらいすぎていました。私はすぐに銀行にお金を返しに行きました。
師父は説かれました、「われわれの法門は、人心を真っ直ぐに指すもので、個人の利益や対人関係の軋轢において、それらのことを気にかけないでいられるかどうかが肝要です」[1]
私は銀行の窓口の若い男性に「お金を引き出した時に間違えましたね」と言いました。行員は「機械が数えたのです。それは間違いではありません」彼は私に軽蔑した眼差しを向けました。彼は私がお金が少なかったので返してほしい、と言っているのだと勘違いをしたようでした。私は「少ないのではなく、1万元多くもらいすぎたのです」と言いました。
彼は何が起こったのかよくわからず、私の預金通帳を照らし合わせて調べたところ、私が正しかったことがわかりました。彼は慌てて「ありがとうございます。あなたはとても良い方です。もし今日お金を返して下さらなかったら、私は大変なことになっていたでしょう」。私たちの会話を隣にいた顧客が聞いていて、「みんながあなたのように行動すれば、世界はもっと良くなるでしょう」と言いました。
翌日、その若い銀行員と彼の同僚の一人が私に会いに来ました。彼はお金が入った赤い封筒を取り出し、「これはほんの感謝の気持ちです、受け取って下さい」と言って、私に渡そうとしました。私はそれを断ってこう言いました。「贈り物は受け取れませんが、貴方に感謝します、ありがとうございます。私は法輪大法を修煉しています。私たちは『真・善・忍』を実践し、他人のことを考え、私利私欲への執着を排除しています。私たち修煉者は皆このように行います」
彼は感激してこう言いました。「あなたの様な高貴な弟子を教えた先生は、本当に偉大で、素晴らしいですね」。私はこの機会を利用して彼らに法輪大法について話し、中国共産党(CCP)とその関連団体からの脱退を手助けしました。私にとって、それは最高のご褒美でした。
私は2022年5月、車に轢かれました。私は煉功を終えて、別の学習者の家から午後10時に帰宅していました。私が通りを渡ったとき、3台の車が私の右側からスピードを上げて突っ込んできました。最初の2台は私を追い抜いていきましたが、後ろにいたもう1台の車は私を地面に叩きつけました。私は事故に遭ったことを知り、すぐに心の中で叫びました。「先生、助けてください!」、「師父、どうぞ私を助けてください、師父がおられるので私は大丈夫・・」
我に返って目を開けると、目の前に3人の若者が立っていました。そのうちの一人は「おばあちゃん、私の車があなたにぶつかりました。病院へ行きましょう」。私の右足は動かなくなり、何の感覚もなく、手足が硬くなっていました。頭はしびれ、痛みましたが、心はすっきりしていました。私は彼らに「私は法輪大法を修煉しています。大丈夫、あなたが意図的に、私にぶつかったわけではありません。トラブルにはなりませんよ」
私は息子と娘の電話番号を教えて、子供たちに家まで送るように電話を頼みました。子供たちは急いで来ましたが、私をはねた若者は私を病院に連れて行くと主張しました。彼は「あなたの年齢を考えると、もし何かあったらどうするのですか?」と言いました。子供たちも私の手と足、そして顔が腫れており、体中にあざがあったので、さらに心配しました。
私は結局、彼らとの議論に勝てず、彼らは私を病院に連れて行きました。病院では医師から「命に別条はありませんが、入院して様子を見ましょう」と言われました。彼らがどんなに促しても私は同意しませんでした。私は厳かに彼らに「私は法輪大法を修煉しています。大丈夫。あなたをこの事故から免責するための書類に署名します」、息子と娘はそれが私の願いだと知っていたので、私を家に連れて帰りました。
私は法を読む時間を増やしました。苦難の現れはすべて偽物であり、痛みも安楽もすべて偽物であることに気づきました。現実ではないので「旧勢力」という言葉は私の頭の中に存在せず、分析もしませんでした。そこには存在しないのに、なぜ分析する必要があるのでしょうか? 私はその存在を認めませんでした。
運動をするときに足が痛くても弱くても気にせず、ただ煉功をしていました。法を読んでいて眠くなっても、そのまま読み続けました。つまり、師父が教えてくださった法理に従って自分を正し、大法の修煉の指導に従いました。私の体は日に日に良くなっていきました。10日も経たないうちに、私は一人で学法する場所に行き、学法することができるようになりました。
病院から帰宅すると、事故を起こした若者の運転手と交通監督署の二人が贈り物とお金を持って見舞いに来てくれました。私は彼らに「私は法輪大法を修煉しています。あなたの善意には感謝しますが、これは受けとれません」、私は彼らに迫害の真実と法輪大法の素晴らしさ、そして、なぜ中国共産党を脱党しなければならないのかを話しました。彼らは熱心に耳を傾けていました。彼らは喜んで共産主義青年団と青年開拓団から脱退しました。
私は彼らに、「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」ということを忘れないでと促すと、彼らは一緒に「はい、忘れません」と言った。私は二人には良い未来があると思いとても嬉しく思いました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』