文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年8月27日】私は現在、医師で66歳(訳注:2019年)です。大法を実践して約2年になりました。最近、以前働いていた病院を訪れたとき、元同僚たちは私の若くて健康な姿を見て驚きました。院長からも、「いつまでも若くいられるのは、何か秘訣がきっとあるのでしょうね」と冗談めいて言われました。
私は微笑みながら、法輪大法を修煉した後の大変な苦しみから祝福まで、これが私の人生を好転させるきっかけとなったことを話しました。
苦しみと生き残りをかけた努力
私は20年前から喘息を患っていて、知る限りでは、治療法はありませんでした。喘息の発作が起きると、ほとんど動けなくなり、ベッドに入るのも困難になり、ベッドの横の椅子に座って呼吸を整えることもしばしばあり、それが何カ月も続くことがありました。寝室の隣にはトイレがありましたが、そこまで行くのはとても長い道のりのような感じがして、途中で何度か立ち止まらなければなりませんでした。
また、救急病院にも何度も運ばれました。ステロイドを大量に投与されていたので、全身が腫れ上がり、ステロイドによる腸内環境の悪化で、末期がん患者に多い単純ヘルペスになってしまいました。その結果、8日間は食事ができず、食べてもを吐いていました。
元気になったと思ったら、今度は帯状疱疹になってしまいました。ベッドに入ると、服を着ていても、毛布をかけていても、無数のとげが刺さってくるような感覚に襲われました。夜も昼も眠れず、その結果、神経衰弱、副鼻腔炎、五十肩、関節炎、大量の汗など、様々な問題が発生しました。電子機器(携帯電話やテレビ等)を聴いていると、耳の中で起爆装置が爆発したような鋭い痛みを感じることがありました。話すと胸が痛むので、身振り手振り、うなずき、首を振るなどして人とコミュニケーションをとることにしました。つまり、私は耳はあまり聞こえず目もよく見えず、基本的に話すこともできませんでした。それは本当に悲惨な生活でした。
免疫力が非常に低く、汗っかきだったため、家族はあえて私に近づきませんでした。何かがきっかけで体調を崩すのではないかと心配したのです。かつては賢く、美しく、有能なリーダーとして仕事をしていたのに、今では役立たずのゴミのようになってしまったことを思うと、涙があふれてきて、言葉では表現できないほど悲しかったのです。
何度も死を考えました。しかし、ちょうどその頃、夫は失業し、息子はまだ大学生でした。私まで家にいては、家族全員が無収入になってしまいます。そのため、毎日、薬で症状を抑えながら、必死になって職場である病院に通っていました。
病院に勤務していましたが、健康診断を受けるのはとても怖かったのです。結果はいつも最悪で、同僚からは出勤を控えるよう言われていました。
20年以上も薬を飲んでいると、慢性的な出血があり、これは尿毒症と関係があるのではないかと思いました。しかし、私はあえてそのことを考えませんでした。毎日、腰の痛みに耐えながら仕事をこなし、家に帰っても希望が見えず涙が止まりませんでした。
私は毎日、通勤途中に拳を握って、「頑張れ」と自分に言い聞かせていました。尿毒症(腎不全の症状)にならない限り、続けるしかありませんでした。私が倒れたら、家族が崩壊してしまうからです。また、仕事をしないと夫の機嫌が悪くなり、怒鳴られることも多く、体調が悪くても毎日続けて働いていました。しかし、死がどんどん近づいてくるのがわかりましたし、自分に残された時間が何日なのかもわかりませんでした。
大法が私の命を救い、私の家族を守ってくださった
2年前、私は法輪大法の修煉を始めました。李洪志師父は私を永遠の不幸から救い出し、私の健康も回復しました。20年来悩まされてきた喘息も、副鼻腔炎や腸内環境の乱れも、すべて消えてしまいました。
私は以前、寒さを特に恐れていました。他の人が夏にスカートをはいていても、私は冬のコートが必要でした。夏の暑い日でも、セーターを着て、綿のスリッパを履いていました。それでも、両足が氷のように冷たいのです。
法輪大法を修煉するようになってからは、寒さが気にならなくなり、バスタオル一枚でぐっすりと眠れるようになりました。師父と法輪大法は私に多くのものを与えてくださったので、自分の改善点を知るたびに、私は深く感動します。
また、他の面でもその恩恵を受けています。昨年、北京を訪れた際、私は泥棒が心配だったので、ファスナーがしっかりした財布を使っていました。公園に到着すると、その財布はすでに泥棒に開けられていました。しかし、携帯電話と現金はまだ入っていました。師父が私を守ってくださったので、盗まれなかったのだと思いました。
また別な時、孫が高熱を出しました。私だけが家にいて、孫が嘔吐したり痙攣したりしているのを見て、パニックになりそうでした。私は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」(心からの九文字)を唱え続けると、それから間もなく、孫は回復しました。
数ヵ月前の旧正月に、突然、兄が救急車で運ばれました。帰り道、私はとても悲しく、ずっと家族への執着について考えていました。何が起こったのかわからないうちに、私は車の後ろに回り込んで、その左側に行きました。そのわずか1秒後に、車は突然後ろに下がりました。もし1秒でも遅れていたら、大変なことになっていたでしょう。師父は、またしても私を守ってくださいました。
数日前、孫は便秘になり、外用薬を試しましたが効果はなく、腹痛で涙を流していました。慌てていると、訪ねてきた修煉者が師父に助けを求めることを思い出し、教えてくれました。私たちは空き部屋に行き、師父に助けを求めた約10分後、孫は元気になりました。
大法は修煉者だけではなく、その家族も守ってくださいます。