文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年9月12日】師父が最近2篇の経文の中で言及された問題は、私も持っていると思いますが、心の中の悪念に引きずられていないだけです。ここ数年の修煉の過程で、私も「険悪」に迫ったことがあります。
2012年のある日、家族が迫害され、長い間救われていなかったので、ある日私は憤慨して大法と師父に対して不満に思ったことを覚えています。その夜、私は悪夢に怯え、敢えて寝ませんでした。夢の中で、私は硝煙の立ちこめる戦場にいて、旧勢力は機関銃を持って大法弟子を掃射しましたが、師父はみんなに早くしゃがむようにとおっしゃいました、旧勢力も機関銃をあまり低くする勇気がないので、彼らはまだ標準的な高さを保っていました。私はしゃがむのが遅かったので、頭を下げただけで、弾丸が頭皮を通過するのを感じました。驚いて目が覚めた後、私はすぐに自分が最大の罪を犯したことに気づきました。
またある日、詳細は省きますが、一瞬も自分をコントロールできず、師父を恨み、翌日「風邪」を引きました。 嫁にどうしたのかと聞かれたので、私は業力を消しているのだと答えました。 何か悪いことをしたのかと嫁に聞かれたので、しばらく考えてこの間違いを見つけ、すぐに師父に謝りました。 その結果「風邪」はたちまち消えました。
この2回の教訓を経て、大法と師父に対して不満に思うことは、修煉者が絶対に踏んではいけない赤線であり、それを越えてしまえば危険であることを深く悟りました。すべての生命は大法によって作られたので、師父は私たちを救うために自分のすべてを犠牲にされています。
実は師父が弟子たちのために罪業を肩代わりしてくださっていることについて、私自身も実感したことがあります。あの時、私の家族が法輪功の真相を語ったために連行された後、私は彼らの借家を見に行きました。玄関に入ると、家の中は荒れ果て、床には物が散乱し、特に蚊取り線香が投げ捨てられ、とても目立っていました。 私の心は重く落ち込んでいました。
師父は私の悲しみを分かってくださり、2人の家族のために耐えられている苦痛を私に見せてくださいました。このすべては人間の空間にはないので、最初はよく見えませんでしたが、その光景が近づくにつれて、師父が耐えられているのが徐々にはっきりと見えてきました。実は人間の言葉で表現するのは難しく、1つの言葉で形容すると、バラバラに壊され、2人の弟子のために、師父の体は絞め殺されたのです……、私は一生の中で、そのような惨状を見たことがなく、私はすすり泣きを始めて、涙を流し、あまりにも悲しくて、最後には全身がしびれて、これ以上見る勇気がありませんでした。師父に「もう見たくありません」とお願いすると、その光景はだんだん消えていきました。
数年前、ある家族が再び迫害に遭い、その時、私は一瞬、修煉の決意が揺らぎ、まだこの道を歩めるかどうかを考えていました。 しばらく考えた後、正念が優勢になりました。私は修煉を続け、すべてを放下することにしました。その瞬間に私は涙を流しました。頭の中で師父の『北米での巡回説法』の一節を思い出しました。
「これがあなたの弟子ですか? 彼はあなたを師父としたのですか? 彼は自分を修煉者と見做したのですか? 彼に正念がありますか? 彼は生死を放下したのですか? 彼は金剛不動になったのですか?」とそれらは言うのです。その時、師父は本当にそれらに詰問され、返す言葉がありません」
私はその瞬間に多くの法理を理解し、師父が面倒を見ることができないのではなく、私が愛する人の生死を放下できず、ここで立ちはだかって、師父が面倒を見ることができなくなったのだと分かりました。
その後、私はこの家族同修がある前世で人を殺し、証拠を隠滅して逃げた夢を見ました。目が覚めたら、私はこのような大きな業債をどうやって返すのかと思いました。しかし、師父は方向を示しなさい、つまり、すべての執着を捨てて、しっかりと師に手伝って法を正す道を歩むことです。7カ月後、家族が家に帰って来て、その過程は不思議さに満ちていて、私は彼が帰ってくるとは思ってもいませんでした。
師父は『険悪を遠ざけよう』の中で「師父はあなたを救っていると同時に、あなたの罪業を肩代わりしています。しかも、あらゆる手を尽くしてあなたの罪業を帳消しにしようとしているため、あなたは師父に借りがあるのです」と説かれました。
私たちが、師父のおっしゃったとおりにしたから、師父も私たちのために罪業を肩代わりしてくださり、あらゆる手を尽くして罪業を帳消しにしてくださったからこそ、奇跡が起きたのだと思います。
この数年間の修煉の中で、私はだんだん自分の生生世世の中のいくつかのことを知り、現世での悩みや苦しみにはすべて前世に原因があることが分かり、自分の容姿や体格、夫婦関係、同僚との確執、家庭の収入、そして最近、足の爪が剥げて無くなったことまで、すべてはある前世に悪いことをしたことによるものであり、実はそのほんの一部しか返済していないのです。
師父は私たちに借りがあるのではなく、私たちが師父に借りがあるのです。