【明慧日本2023年9月17日】学法のとき、眠りやすくなり、多くの同修がこのような状態を経験しています。 私の周りの同修もそうで、とても困惑しています。共に向上するために、私は自分の考えを書いて、同修と交流したいと思います。
私たちの修煉の道では、どんなことをするにも、心性がついてきます。学法も同様に心性を重んじなければなりませんが、心性の問題に気付きにくいのです。流暢に読み、読み間違いはないと思いながら、すぐに一篇を読み終わっています。これは流水形式の読み方で、脳に入らず、うわべだけの理解にとどまっています。実は法の中に溶け込み学法しているのではなく、法に合っていないのです。邪悪は睡魔を利用して、無意識のうちにあなたを眠らせ、あなたが寝たら、あなたを彼らの道に引きづりこんでしまったことになります。一部の同修は眠くなったら、体を少し動かして、また学法します。これは常人のやり方で、眠気は少し取れますが、法に合っていません。
師父は「釈迦牟尼は正念を重んじています。自分が修煉しているその法門の世界を本当に震動させるほど、一心不乱に読経して、はじめて覚者を招くことができます」(『轉法輪』)と説かれました。学法は心を込めて、ゆっくり読んでこそ法が見え、法がはじめて現れます。この時、邪悪は敢えて妨害しません。師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」(『精進要旨二』・「妨害を排除せよ」)と説かれました。このように学法すれば、体への妨害はなく、体がエネルギーに包まれ、定力も強まります。執着を打ち破ることができず、正念も強めることができず、邪悪を打ち破ることができなかった場合、逆に見れば、まだ法をしっかり学んでおらず、法を身につけていないということなのです。法をしっかり学んでことこそ衆生を救い済度することができ、円満成就の保証にもなります。
近年、私は法を学ぶ方法を変えました。説法を何篇読むかを考えず、時間を見て、どれだけの時間で学法したいか、その時間で法を勉強します。ゆっくり読んで、心を込めてすべての字を見て、もし暗記するならば、すべての字が目の前に現れなければなりません。このように学んでいくと修煉の進み具合が早くなります。以上は私の経験です。