【明慧日本2023年9月21日】瀋陽市鉄西区の法輪功学習者・宋香珍さんは、馬三家労働教養所で1年間拘禁された後、2002年夏、610弁公室と鉄西十二路派出所の警官に、再度、自宅から連行され、瀋陽市薬物中毒更生センターに送り込まれた。そこで、宋さんが内容不明の薬物を注射され後、障がい者になった。それから20年間、多くの記憶を喪失し、身の回りのこともできなくなった宋さんは2022年7月、73歳で亡くなった。
宋さんは1995年、法輪功のことを紹介した『老年新聞』で法輪功を知り、法輪功の功法が学びやすいのがわかり、新聞に載せられていた法輪功の功法の図を真似して、動作を学んだ。その後、鉄西労働公園で法輪功の煉功点を見つけ、それ以来、法輪功を学び続けた。法輪功を学んでから、宋さんは患っていた不眠症、神経衰弱、体力低下などの症状がすべて消えた。短気な性格が穏やかに変わり、とても元気になった。
しかし、1999年7月、中国共産党当局が法輪功を誹謗中傷し、法輪功への鎮圧を開始した。法輪功の恩恵を受けた宋さんは、北京へ行き、政府部門に法輪功の素晴らしさを伝えようとしたが、警官に連行され、地元に送還された。その後、馬三家労働教養所に1年間拘禁された。
2002年夏のある日、610弁公室は鉄西十二路派出所の警官と結託して、当時の派出所の所長が警官数人を率いて、宋さんの家へ向かった。その所長はまず、宋さんの家の隣家に隠れ、隣家の電話を使って610弁公室と連絡を取り、宋さんを連行する計画を確認した。そして、所長は宋さんの家に押し入り、宋さんの頭を頭巾で覆い、靴を履いていない宋さんを階段から引きずって降ろした。
その2、3日後、宋さんは瀋陽市薬物中毒更生センターに送られた。そこで宋さんは迫害に対して断食で抗議を行ったが、意識朦朧の状態で更生センターの人の指示を受けた受刑者に虐待されながら、内容不明の薬物を注射された。
拷問の再現:強制注射(内容不明な薬物の注射) |
2002年7月中旬、宋さんが迫害で死にそうになったとき、薬物更生センターの人はやっと救急車を呼んで宋さんを瀋陽の七三九病院に運んだ。警官は責任を負うことを恐れて、宋さんの家族に迎えに来るように通知した。それから、家族は十二路派出所と七三九病院をおよそ3往復してやっと宋さんと会えた。
たった1カ月ほどで、50数キロ以上の体重があった、健康な宋さんは、迫害で体重が30キロまで落ちてしまった。宋さんは、極度に痩せ、体にチューブやカテーテルを挿入され、お腹は大きく膨らんでいて、排尿ができない状態だった。宋さんの夫は、当時の妻の様子を振り返って「部屋の玄関から妻を見ましたが、妻が呼吸をしていないと感じました。健康な人がここまで迫害されるとは思いもしませんでした」と言った。
宋さんは、帰宅した後、長い間、療養しても、殆どの記憶がなくなり、一つのことを繰り返し話しても覚えられなかった。知人の顔がほとんど認識できなくなり、自立生活もできなかった。家から出ず、悪夢を見、「その悪い人がまた来た」と叫んだりしていた。心を痛めていた夫は、10年以上にわたる介護の疲れから、数年前に心臓発作で亡くなった。2022年7月、宋さんはこの世を去った。