文/中国の大法弟子 喜得
【明慧日本2023年9月22日】私は教師で、2014年3月末に法輪大法の修煉を始めました。学校では、先生たちは私の体の変化に気づき、私は一切隠さずに、私の体の変化は法輪大法が私を救ってくださったのだということを先生たちに伝えました。私の体が良くなったのを見て、校長は私にクラスの担任の仕事を続けさせました。私は一切躊躇せずに承諾しました。以下、私の過去の経験について説明します。
百病に苦しみ万事を憂える
私の家の兄妹は9人で、私には兄が6人、姉が2人います。私は末っ子です。母親が私を生んだ時、母親はすでに50歳近くでした。私の家庭は貧しく、子供も多かったので、小学校から中学校にかけて、私は給食のお弁当を持っていったことがありませんでした。また、昼食代をもらったこともなかったため、私は栄養不良になりました。私はよく病気になり、10代の頃から心臓病を患っていました。幸いなことに、私は成長してから教師になり、安定した仕事を持つことができました。
結婚後、私は故郷で子供を育て、夫とはずっと二つの場所に別居する生活を送っていました。夫と別居する日々が続いて、すでに12年が経ちました。12年後、私も都会に転任しました。社会という染めもの甕が夫も変えてしまい、夫は飲酒、遊興、賭博に手を染めました。夫の給与の預金通帳は私に渡されていましたが、夫自身がデビットカードを持っており、夫の給与はほとんど残っていませんでした。
夫の生活が無計画であったため、私も夫から性病を感染させられました。性病を感染させられたことは生きるのが辛いほどで、絶望的な状況に至りました。病気が治らず、さらに他の病気にもかかり、毎日夫との喧嘩の中で過ごしていました。私は息子の大学入試まで忍耐しましたが、ついに我慢できなくなり、夫とは別々の道を歩むことにしました。
2012年、私は息子を連れて再婚しました。夫はよその地区の人で、退職後、私のところに来ました。夫が私をさまざまな方法で守ってくれていたにもかかわらず、長年の健康の衰えと前夫への恨みから、2013年に私の体は非常に悪化しました。週に16回の授業に直面すると、私はますます限界を感じました。
どうにもならず、私は最も手っ取り早い道を選び、校長に2000元の賄賂を渡し、一線(担任の仕事)から離れて、楽な仕事を探そうとしました。結果、錢校長(訳注:錢という姓の校長)は私を引きとめ,私の負担の重い仕事には一切変化がありませんでした。その理由は、私の代わりをする適切な人材が見つからなかったということでした。
負担の重い仕事に一切変化がないというまさにこの時期に、困難が重なり、私は乳糜尿と呼ばれる難病にかかりました。私は首の痛み、腎仙痛、全身のむくみ、尿の濁り、尿にリンパ液が含まれているという症状を経験しました。ひどい場合は、私は歩行困難で、呼吸も困難でした。一晩で小便を17回もし、夜間は全く眠ることができませんでした。私は天井を見上げ、多くの恐ろしい鬼の顔が見え、どこに隠れるべきか分からなくなりました。
わずか3ヶ月の間、私は元気をなくし、医療費も3万元以上かかり、毎日の薬の量が食事よりも多いにもかかわらず、全く改善されませんでした。
修煉を始め新しい生命を得る
そして、私が乳糜尿という難病を患っていた時、法輪功を修煉している隣人のお姉さんが私の状況を知り、大法の真相お守りを私にくれました。私は何もできないまま、真相お守りを首につけました。不思議なことに、真相お守りをつけた日から、夜に2時間ほど休むことができるようになりました。
その後、隣人のお姉さんが私に法輪大法を紹介してくれました。2014年3月末、私は真に法輪大法の修煉を始めました。
隣人のお姉さんは毎日私に『轉法輪』を一講学ばせ、9日後に私に煉功を教えました。4日目まで修煉したところ、私の病状が改善するだけではなく、慈悲深い師父が私に天目を開いてくださいました。天目が開いたことにより、私は法輪大法の超常さとすばらしさにさらに確信を持つようになりました。夫が家を空けている間に、私はこっそりといくつかのビニール袋の薬を捨てました。
私の体は日を追って回復しました。わずか4ヶ月で、乳糜尿、心臓病、腎炎、痔、神経性皮膚炎、膵臓炎、胃炎、咽頭炎、胆嚢ポリープ、腎嚢胞、梅毒など、あらゆる疾患が一掃されました。1年経たないうちに、私の体重は5キロ増え、くすんだ顔色も健康的な赤みが戻りました。まったく新しい自分が誕生しました。
そして、新しい自分が誕生したこの時、上司の妻が私を見つけ、週に16回の授業を週に8回に減らし、また2000元のお金(訳注:賄賂として校長に渡したお金)を私に返してくれました。授業が週8回に減り、2000元が戻ってきたことは師父の慈悲深い按排であることを、私は知っていました。
父兄が泣いて先生を留めるように懇願した
学校で、先生たちは私の体の変化に気付き、私は一切隠さず、先生たちに法輪大法が私を救ってくださったこと、法輪大法は病気治療と健康保持に不思議な効果があることを伝えました。先生たちも私の変化を見て法輪功に対するいくつかの見方を変えました。私の体が良くなったのを校長が見て、私に話を持ちかけ、クラス担任の仕事を続けさせました。私は一切躊躇せずに承諾しました。
クラスを引き継いだ後、私は熱心に準備し、しっかりと仕事に取り組みました。子供たちが自主学習を静かに行い、成果を上げることができるように、私は家で朝食をとり(学校では無料の朝食が提供されていた)、学校に到着してから教室に入りました。子供たちの衣食住について、私は非常に細心な配慮をしました。大雨の日、私はスクールバスに乗る子供たちを一人一人バスまで送り、自分の手で運転手に引き渡しました。雨に濡れないように、私はクラスで使う清潔なビニール袋を各子供の上にかぶせました。
冬の間、外出する時には子供たちに厚着をさせ、夏の間は子供たちに軽装で過ごすように注意を促しました。子供たちがほとんど風邪をひかないことに、父兄たちは非常に感動していました。学校で子供たちが風邪をひかないことに関して、私のクラスの規律、健康、文化的な科目の成績は、学校の上司から高い評価を得ていました。
私が教えていたクラスの生徒たちは4年生に進級する予定でしたが、学校は私に1年下のクラスを引き受けるように依頼しました。低学年は受け入れる教師がおらず、子供たちは小さく、理解力が不足しており、高学年よりも大変だったからでした。しかし、私は大法弟子であり、学校の上司の指示に従うべきでした。
実際、クラスの生徒の父兄たちは、私が担任として戻って来ることを望んで校長に訴えました。ある上司は「父兄の○○さん、あなたの子供はとてもいたずらで、成績もあまりよくないのに、あなたは何を望んでいるのですか?」と言いました。この父兄は「子供の成績は確かに重要ですが、優れた教師の品行は子供の一生に影響を与えます。こんなに素晴らしい先生から、私たちは離れることができるでしょうか?」と言いました。校長は会議を口実にして、各父兄に帰るように言いました。父兄たちはグラウンドに行きましたが立ち去らず、雨の中で待機し、校長の回答を待っていました。父兄たちがグラウンドで待っている光景を見て、私の目は涙で濡れました。
学校はすでに決定を下したので、私は父兄たちを校門まで送り出し、十数人の父兄が私の周りで泣いていました。私は涙を流しながら、各父兄にネット封鎖突破カード(訳注:ネット封鎖を突破するための情報が記載された紙のカード)を1枚ずつ渡し、家に帰ってうまく利用するように伝えました。インターネットを通じて真実のニュースを見ることができるので、ネット封鎖突破カードは父兄たちの運命を変えることができるはずでした。
私は父兄たちに「以前の私も今のようではありませんでした。法輪大法が私を変え、法輪大法の師父が他人のことを先に考える人になるようにと私に教えてくださいました」と言いました。クラスが変わる直前、私はクラスの42人の生徒全員を中国共産党(以下、中共)の少年先鋒隊の組織から脱退させました。師父は私を励まし、私にほかの空間の老子(髪を櫛で梳き、払子という仏具を持っている姿)を見せてくださいました。
2020年の秋、学期が始まってから1カ月も経たないうちに、校長が再び私に声をかけてきました。校長は、1年2組の大学を卒業した新しい教師が授業を運営できないと言いました。1年2組の父兄は毎日学校に連絡し、良い教師に交代してもらい、私が最適な選択肢であると主張しました。
私は1年生を教えることになりました。私の元々のクラスの父兄たちはみな学校を訪れ、私が戻るように努力しました。父兄は「このような先生はどこで見つかるのですか? 贈り物を受け取らず、追加のクラスや補習を開かず、本当に子供たちのために心から尽くしています」と言いました。校長は「私はみなさんのために学歴の高い教師に交代させます」と言いました。ある父兄が代表で「博士号を持っていても、小学校の知識を教える必要があるのですか? A先生は子供たちに対する配慮が母親以上であり、なぜ学校はA先生を交代させるのですか?」と言いました。
もう一人の父兄が「前年の運動会で、ある子供がオムツにうんちをしてしまい、A先生がその子供のお手伝いをし、その子供の体を手で拭いてあげました。その光景を見て、私はとても感動しました。子供がA先生の手の中にあると、私たちは安心です!」と言いました。
もう一人の父兄が「以前、A先生とは直接会ったことはありませんでしたが、子供のノートの添削を見たり、前回の感染症の最中にA先生がウィーチャットのチャットグループで説明していたのを見て、A先生はとても忍耐強く、注意深いと感じました。また、A先生が子供たちに残した宿題やその後のフォローアップも、すべての子供を考慮して行っています。私は本当にA先生の思いやりに感謝しており、だからこそA先生を引き続き引き留めたいと考えています」と言いました。
これはすべて法輪大法の威徳であることを、私は知っていました。李洪志師父の教えによって、私は新しい人間に変わり、欲張らずして得をせず、人の事を先に考える人になりました。
多くの親戚が救われて喜んだ
慈悲なる師父の苦心に満ちた按排により、私の多くの親戚も救われました。
私は何度も息子に真相を伝え、三退を勧めましたが、息子は聞き入れず、言葉だけで流していました。息子は大学を卒業し、6カ月の実習を終えた後、息子の仕事は炭鉱内での石炭の輸送ベルトの保守作業でした。私の息子は臆病で、炭鉱の労働者が事故で亡くなったことを目の当たりにし、非常に恐れ、夜寝る時でさえ安心できず、よく夢の中で驚いて目が覚めました。
休日に息子が帰ってきた時、私は息子に貴州省平塘県の「蔵字石」の写真を見せ、「天安門焼身自殺事件」のでっちあげについて話しました。「天安門焼身自殺事件」のでっちあげについて話した時、息子は自発的に共青団を脱退し、法輪大法のお守りを身につけました。子供(訳注:息子)がお守りを受け取った瞬間、私の目は涙で濡れました。子供がお守りを受け取ったことは師父の按排であり、私の息子を救うためのものだと私は知っていました。私は口の中で「ありがとうございます、師父! ありがとうございます、師父!」と言い続けました。
2年後、息子は炭鉱の仕事を辞めて地上でセールスの仕事を始めました。現在(訳注:2023年5月)、息子はすでに地方から故郷に戻り、経営者として自分で活動しています。
5年前、私の3番目の兄が重病にかかり、末期の肺がんと胃がんを患いました。3番目の兄と3番目の兄の妻についてですが、村では有名で、悪事を働き続け、近隣の人々から嫌われていました。3番目の兄と3番目の兄の妻は、両親、そして兄弟姉妹とも交流がありませんでした。
3番目の兄が亡くなる直前に、私は3番目の兄に大法書籍の『轉法輪』を読むように勧めました。3番目の兄は『轉法輪』を読み終えると、大声で泣き叫び、3番目の兄の病気は悪い行いが多すぎるために生じた業力に起因している、ということを言いました。3番目の兄はまた、両親に対する行動を後悔し、3番目の兄の妻に対して善い人であるように、他人のものを盗まないようにと忠告しました・・・。
私の3番目の兄は68歳になり、私たちの両親は3番目の兄をしっかりと教育せず、中年期に子供を亡くす悲劇も3番目の兄を変えることができませんでした。しかし、大法書籍は3番目の兄を変えました。大法の師父は本当に偉大です! 法輪大法は本当に偉大です! 人に良い人になるように教えるこのような高徳の大法が、中共の迫害と誹謗中傷に遭うことは、天理に反します。
私の2番目の兄は非常に誠実で善良で、娘を品性が優れている子供に育てましたが、ある日、一酸化炭素中毒にかかり、気を失いました。病院で3日間の救命措置の後、命は助かりましたが、肺と心臓の病気が残りました。冬には外出できず、呼吸が荒く激しくあえぎました。
2番目の兄は、3番目の兄が『轉法輪』を一度読んでから涙を流し懺悔したことを聞いて、2番目の兄も「『轉法輪』とはどんな本なのか? 彼が後悔し、改心することができる本なのか?」と考えました。そこで、2番目の兄も読んでみたいと思いました。『轉法輪』を読んだら、すごいことに、2番目の兄も法輪大法の修煉を始めました。法を学び、煉功を始めて間もなく、2番目の兄の長年にわたる病気は消え去りました。現在(訳注:2023年5月)77歳の2番目の兄は、まだ農作業を行うことができます。
そして、2番目の兄の家の姪は腎臓病を患っており、ホルモンの過剰使用により肺が損傷し、白肺(訳注:肺に影響を与える疾患の一つ)を患いました。二つの人工呼吸器が使用されましたが、効果がありませんでした。最終的に、医師は危篤状態であることを通知する文書を発行し、姪の身にはすでに死の衣が着せられました。私は姪と一緒に「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」という心からの九文字を念じました。すると、姪は生き返りました。
私の3番目の姉は70歳です。中共ウイルス(武漢肺炎)の流行期間中、周囲の人々や3番目の姉の夫はみな中共ウイルスとインフルエンザに感染しました。しかし、私の3番目の姉は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と常に念じることによって福報を受け、無事でした。
私の長姉は佛教を信仰していました。毎回、私が長姉に三退を説明しようとすると、長姉から叱責され、外にいる時は言葉を適切に使うように忠告されました。2015年、大法弟子が江沢民を告訴した後、私は再び長姉の家を訪れました。
長姉の家には知的障害のある子供がいました。その年、長姉の子供は41歳で、完全に自活することができず、知能は1歳児程度で、言葉もわずかな単語しか話せませんでした。私は我慢強く、姉(訳注:長姉)の家族に真相を伝え、21万人が江沢民を告訴していること、江沢民が国土を売り渡し「天安門焼身自殺事件」のでっち上げで法輪功を迫害していること、そして三退の重要性を伝えました。
知的障害のある甥(訳注:長姉の子供)はひと言も話しませんでした。真相お守りを甥に渡そうとしましたが、甥はたらたらとよだれを垂らしており、甥の体にきれいな場所が見つかりませんでした。私は新しいビニール袋を見つけ、お守りを包み、お守りを甥のシャツのポケットに入れました。私は甥の手を握って「いいですか『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』を覚えておいてください。大法の師父があなたを目覚めさせるように私に言われました。法がこの世を正す瞬間を待ち、私たちは師父に従って家に帰ります」と言いました。
私が言葉を終えた直後、甥は私の手をつかんで突然大声で泣き始めました。甥の分かっている部分はこの瞬間を待ちわびていたのだ、ということを私は知っていました。その時、私も声を詰まらせて「すべての人は法のために存在しています。あなたは業を作ることを避けるために、知的障害者として転生し、ここで待っていたのですね」と言いました。
姉(訳注:長姉)はこの状況を見て「本当のようですね。私は共青団を脱退することにします。あなたは私たち一家みんなを脱退させてください!」と言いました。私は「これは必ず本人が同意しなければならないことです・・・」と言いました。
(明慧ネット第24回世界法輪大法デー入選文章)
(責任編集者:伊文)