【明慧日本2023年9月25日】吉林省図們(ともん)市に在住の王輝さん(51歳の女性)は、1999年7月以来、心身共に健康になる修煉法・法輪功を学んでいる事を理由に中国共産党(以下、中共)によって迫害されてきた。そして最近になって、懲役4年の不当判決を受けた。
王輝さんは2021年5月15日に逮捕され、図們市洗脳班まで連行された。図們市「国内安全保衛部門」(法輪功迫害の実行機関 )の警察はその日、少なくとも他の地元の法輪功学習者(以下、学習者)7人を逮捕し、図們市610弁公室が運営する同じ洗脳班まで連行した。当時、そこには約40人の学習者が拘留されていた。
王さんはその後、吉林省延吉市の施設に移送され、2022年頃に吉林省女子刑務所に移送された。彼女の拘禁、起訴、裁判の経緯は現在調査中である。
王さんと夫・劉鉄軍さんは、法輪功が自分たちの健康を回復し、より良い人間になる方法を教えてくれたと信じている。劉さんは1994年に法輪功を学び始め、すぐに関節リウマチや気管炎などの病気から回復した。
王さんは1995年5月に修煉を始めるまで、長年にわたり高血圧や頻脈 (異常な脈拍の速さ)、鼻炎、関節リウマチ、胃の問題に悩まされていた。高血圧のせいで、彼女はいつも、頭が重く感じていた。そして胃が痛むたびにベッドに転がり込んだ。また、鼻炎も特に風の強い日には彼女の生活を悲惨なものにした。ほんの少しの風でも、彼女は頭痛に悩まされた。
法輪功を学び始めてからわずか3日後、王さんの体調は良くなった。そして2カ月以内に彼女の病気はすべて治った。
王さんと劉さんは、地元の市場で屋台を経営していた。彼らは法輪功を学び始めてから、真・善・忍の原則に従って生きるよう努めた。決して顧客のお釣りを誤魔化すことはなく、経営は急成長した。そして王さんが買い物に行った際に、売り手が間違えて多くよこしたお釣りは返却した。人々は、彼女の正直さに驚いた。今日の中国では、ほとんどの人がそうしたお金をポケットに入れる。
1999年7.20、法輪功迫害が始まると、学習者は繰り返し標的にされたが、王さんと劉さんは法輪功の教えを堅持した。
1999年に妻が逮捕
王さんは、法輪功の無実を訴えるために北京へに行くことを決心し、1999年12月19日に北京行きの列車に乗った。しかし鉄道警察が列車内の保安検査で彼女が学習者であることを発見し、列車から降ろされて強制送還された。吉林省梅河口市の停留所で図們市の警察が彼女を待ち受け、図們市拘置所まで連行した。そこで彼女は寝具なしで冷たい木の板の上で寝かされた。冬だったのでとても寒く、体を温めるために独房を歩き回らなければならなかった。彼女は15日後に釈放された。
2000年に夫妻は逮捕され、妻は1年半の強制労働
王さんと劉さんは2000年2月12日、図們市警察署の警官によって自宅から連行された。警察は夫妻を尋問し、法輪功の本をどこで入手したかと尋問した。2人とも殴られ、警官は王さんの足を蹴り、ひどい打撲傷を負わせた。45日後、劉さんは釈放された。王さんは、1年間の強制労働が言い渡されたが、その後1年半に延長された。
彼女が長春(省都)の黒瑞子女子労働教養所に拘束されている間、王さんと他の拘束された学習者は一緒に法輪功の煉功を行った。その報復として、看守らは刑事受刑者らに学習者の手を縛らせ、何時間も立ったりしゃがませたりするよう命じた。警備員・侯志宏氏は、最大電圧に設定した電気警棒で王さんの後頭部に衝撃を与えた。王さんは、全身に電気が走るのを感じた。
王さんと他の9人の学習者は抗議のハンガーストライキを行った。3日目に10人全員が労働教養所の診療所に運ばれた。労働教養所の教育部門のリアン主任は診療所の医師に、ペンチで彼女の口をこじ開け、太いゴムチューブを胃まで挿入するよう命じた。そのチューブによって彼女には塩を混ぜたトウモロコシのふすま(とうもろこしをふるい分けた粉末)が強制的に与えられていた。
王さんは激しく嘔吐し、トウモロコシのふすまが床一面に散らばった。翌日、侯警備員はオフィスで彼女に強制的に食事を与えた。4人の受刑者が王さんを押さえつける中、受刑者1人がこじ開けた王さんの口にお粥を注ぎ込んだのだ。王さんは鼻をつままれたまま、口におかゆを詰め込まれ、呼吸困難に陥った。
約1か月後、強制労働教養所は、すべての学習者に信念を放棄させることを目的とした集中的な迫害を開始した。従わなかった者には電気警棒でショックを与え、長時間の起立を強制し、睡眠を剥奪した。所長・張秀梅は、王さんをオフィスに呼び出し、高電圧の電気警棒で首筋と背中に電気ショックを与えた。
王さんは毎日無給で重労働を強いられ、夜の睡眠時間もほとんど与えられなかった。時には大豆を収穫したり、重さ約160ポンド(約73kg)の大豆の袋を2階に運んだりする作業もあった。彼女に与えられた昼食時間は 15 分のみで、食べ終わっていなくても作業を再開しなければならなかった。彼女の仕事には、鳥の工芸品や本を作ることも含まれていた。
彼女は信念を堅持したため、労働教養所は彼女の刑期を6か月延長した。肉体的拷問と精神的ストレスにより、王さんの月経周期は停止した。彼女はまだ30代前半だった。彼女は釈放されるまでに、髪は白髪になった。
2005年に夫妻が逮捕、夫に懲役2年を宣告
2005年10月20日の正午、王さんと劉さんは仕事から帰宅しようとしていたところ、2 人の巡回警察官に見つかった。彼らは車で夫妻を追跡し、110番(中国の警察の緊急番号)と図們市「国内安全保衛部門」に通報した。当局は、夫妻を逮捕するために警察官を派遣した。
2人のパトロール警官は、夫妻を自宅まで車で連行した。そしてドアの鍵を壊して侵入し、現金1万元(約20万円)とテレビ、VCDプレーヤー、ポータブルヒーター、携帯電話、コンピューター3台、プリンター1台を押収した。その後、夫妻は巡回署まで連行された後、図們市「国内安全保衛部門」に移送された。一晩中尋問された後、夫妻は恵春拘置所に移送され、その3日後、図們市拘置所に移送された。
王さんは無条件釈放を要求し、ハンガーストライキを行った。7日目、拘置所の所長と所内診療所の医師は彼女に手錠と足枷をかけ、栄養チューブを挿入するために病院に連れて行った。院長は看護師に対し、王さんが少しでも協力的でない場合は力ずくで栄養チューブを挿入するよう指示した。彼女は、鼻にチューブが挿入された状態で拘置所に連れ戻された。その日の午後、診療所の医師は2人の受刑者に管から強制的に彼女に栄養を与えるよう命令した。
拘置所で1か月過ごした後、王さんは保釈された。図們市「国内安全保衛部門」は彼女に1万3000元(約26万円)の保釈金の支払いを要求したが、家族は3000元(約6万円)しか支払えなかった。警察は領収書を発行したが、家族が支払った金額は明らかにしなかった。警察は王さんの家から1万元を押収したことを家族に決して伝えなかった。
劉さんは、後に懲役2年の判決を受けた。彼は拘置所に1年間拘禁された後、刑期を終えるために公主嶺刑務所に移送された。王さんは夫が投獄されている間、子供の教育をサポートするために雑務をした。
2011年に夫が15日間拘留
2011年11月2日午後8時ごろ、劉さんが仕事から帰宅したところ、監視していた警察に不当に逮捕された。警官は家宅捜索をし、彼を岳公警察署まで連行した。警官は鍵で彼の胸を強く突いたため、鍵が曲がった。そして警官2人が交互に彼を殴り、妻の居場所を聞き出そうとして尋問した。彼の顔は腫れ上がり、口を負傷した。翌日、彼は拘置所まで連行され、15日間拘留された。