文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年9月26日】師父が三つの経文を発表されたとき、最初は自分とは無関係だと思っていましたが、内に向けて深く探してみると、自分にも気づきにくい形を変えた執着があることに気づきました。修煉は厳粛なものであり、内に向けて探すことも厳粛なのです。それは邪悪な共産党の表面だけを取り繕うのではなく、事をごまかすことでもありません。厳粛に、真剣に、確実に、心の奥底まで探さなければいけません。
一、深層の中にあり、気づきにくい師父に対する不満の心を取り除く
師父は『険悪を遠ざけよう』という経文で、このように仰っています。「乗り越えられなくなったとき、大法に不満を抱き始め、中には師父に不満を持つ人さえいます。あなた自身に問題があるのであって、師父はあなたに借りなどありません。師父はあなたを救っていると同時に、あなたの罪業を肩代わりしています。しかも、あらゆる手を尽くしてあなたの罪業を帳消しにしようとしているため、あなたは師父に借りがあるのです」
最初は、師父が仰られたこの種の人は、修煉者の状態ではないと思いました。そのような人はあまりにも酷い人で、自分とは何の関係もないと考えていました。
師父がこの法を説かれた以上、同様の学習者が多く存在すると思われます。同修との交流文章を読んで「なぜ迫害がまだ終わっていないのか?」という考えは師父への不満の心が含まれています。私は驚き、私にも同じような心があり、迫害が終わることを望み、先が見えないように感じ、再び迫害を受けたくない、苦痛に耐えたくないという心がありました。そして、自分の修煉ができていないことを心配していました。これらはすべて人心であり、私心の現われです。また、修煉がここで終わったら、自分の修煉ができていないことを恐れ、これもすべて人心であり「私」と「自我」への執着です。しかし、自分や真相を知っている同修の家族が交通事故に遭ったとき、最初の一念はなぜこんなことが起きたのでしょうか? 心の奥底に、大法を庇護者と考え、大法から利益を得たいという願望があり、そのあと大法の基準で物事を量り、法の要求には達していないのです。かつては大法に関連する仕事を行い、自己満足に陥り、自分を特別だと思い、高慢になり、大法のために行っている、師父に手伝い師父のために行っていると思いましたが、今思えば悲しくて嘆かわしいことです。思い返してみると穴があったら入りたいくらい、非常に惨めに感じています。高いところから転落し、痛い思いをし、自分はすでに価値のない取るに足らないごみの中に落ちたように感じています。
二、師父を欺く行為があることに気づく
私は内に向けて探し続けている最中に、師父は新たな経文『師父の家族に正しく接する』を発表されました。最初にそれを見たとき、それは自分には全く関係ないと感じ、自分がそのような行動を取ることはありえないと思いました。
しかし、内に向けて深く探してみると、試練をうまく乗り越えていない時、いつも自分を正当化する口実を見つけようとし、また悪い事と知っていながら過ちを犯してしまう、それは師父の苦心の按排を無視し、師父の教えを聞こうとせず、師父が肩代わりし、背負ってくださった巨大な恩を忘れています。これは師父の言うことを聞かず、理性を無視し、責任を持たず、厳粛さを欠いていることを意味します。おそらく師父は他の人を通じて私に気づかせようとし、私を批評しているかもしれませんが、私は反論してしまうことがあります。これは自己向上を拒否し、修煉を拒絶し、師父を尊重せず、師父に逆らっており、師父を欺こうとしているのではないでしょうか? 私は非常に驚きました! こんなにも深く隠された汚い心があるなんて! 本当に恐ろしいことです!
三、自分の修煉状態を全面的に見直す
物事に出遭うと法に従っておらず、常人の観念で量り、修煉者の視点から問題を見ていませんでした。心性の大きな試練は乗り越えることができていましたが、日常生活の小さな試練の多くが基準に達しておらず、最初の一念の人心で対処し、終わってから法に符合していないことに気づき、実質的には試練を乗り越えていないのです。そして補うために同じことが現れた時、一つの思い、一つの念が法に符合しておらず、常人の素晴らしい生活を追求し、自己主張が強く、自分が物事を決めようとし、師父の按排に従おうとしないことがあります。問題に遭遇したとき、自分の内に向けて探さず外に向けて探すことがよくあり、他の同修を助けていると錯覚することがあります。三つのことを毎日行っていますが、法を学んでいても法を得ておらず、法の深い内包を悟っていないことがあります。法の暗記をしているときも集中できず、進度が非常に遅く、人心が強く、暗記したり止まったりしています。深夜の12時の発正念を漏らさずに行うこともできず、無意識にアラームを止めたり、アラームの音を聞き逃すことがよくあります。安逸心により、朝の世界同時煉功や発正念の後、しばしば二度寝してしまい、寝ることへの執着を養い大きくし、法を学ぶ際にも時折、眠気を感じることがあります。職場では正念を発せず、内に向けて探さず、常人の携帯電話で遊ぶことがあります。怠惰や食べることに執着し、食べることへの執着を絶っていません。
師父は2億年にわたる辛苦なる按排、幾千万年も私たちを慈悲深く保護し、私たちの業力を消し、無数の苦痛を肩代わりしてくださいました! 師父の慈悲心は無限であり、再び法を説いてくださり、意気地のない弟子に機会を与えてくださいました。私にとって、この日は私に特別に与えられた日であると理解し、師父のご恩にこの上なく感謝をします。
私の修煉状態と似たような同修に警鐘を鳴らし、同じ過ちを犯さないように助けになることを願います。自分の教訓から学び、法から逸脱した危険な行為を早急に是正することをお願いします。師父が私たちのために耐えられた巨大な苦しみに対し、延長された時間を大切にし、最後の時間を共に精進し、師父のご恩と衆生の期待に背かず、真の覚者となり、師父について圓満になって帰るようにしなければいけません!
次元が限られており、法に符合していないところがあれば、慈悲をもって指摘してください!
(文章編集者:林暁)