文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年9月27日】この前、歯の痛みが6日間続いていました。その過程で、自分の多くの不足を見つけました。病気の関に対する真剣な対処が足りず、発正念を重視しておらず、肉身への執着や師父への正信が足りていませんでした。
絶えず自己を正の状態に戻すようにすると、7日目には、激しい痛みが和らぎ、耐えがたい痛みが弱まりましたが、完全に良くなったわけではありませんでした。例えば、食事をする際に痛むこともあり、食べなければ痛くありませんでした。寝るときは左向きになることを避け、痛みのある部分を圧迫すると痛むことがあり、朝起きた時もしばらくの間、痛みがありました。要するに、全体的に痛みは以前ほど強くはないのですが、完全には治っていなかったのです。
一方、邪悪な迫害を断固として否定し続け、一方では、長きに渡り肉体的な苦痛を嘗めたくないという心、早く治りたい心がありました。私は旧勢力の按排を認めない、痛みがあろうとなかろうと関係なく、すべてを受け入れません。師父の按排であれば、痛みがあろうとなかろうと、私は受け入れますと考えました。
このように毎日を我慢しながら過ごして、良くはならなかったのですが、自分の仕事に影響はありませんでした。時折、持続的な不快感がイライラを引き起こすこともありましたが、しばらく我慢すれば収まります。19日目の夜になると、急にイライラし、心の中で「こんな状態もいい加減にしてほしい、いつになったら終わるんだ?」と思ってしまい、意気消沈して、イライラしたまま眠りについてしまいました。
翌日、目を覚ますと、私は突然気づき、なぜイライラしていたのか? 自分を師父にすべて預けたのではないのか? 師父の按排に対してイライラしているのだろうか? この時、私はイライラの中に師父への不満や疑念が含まれていることに気付きました。私は自分ができることをすべてやり、修煉できることもすべて行ったはずなのに、なぜまだ治らないのでしょうか?
これは本当に驚きでした! この過程で私は師父への正信を保つことに気を配りましたが、師父への不満や疑念という落とし穴に陥ったと思いませんでした。私は考えました。「本当の自分は師父を深く尊敬しています。なぜこんな腐敗した思考が師父を軽視することを許してしまったのでしょうか?」自分の修煉の道で、師父がどれだけ多く背負ってくださり、弟子の罪業を肩代わりにしてくださっていることでしょうか。また、いろんな方法で弟子を啓示してくださり、なぜこんなに腐敗した思考を自分の中に存在させることを許していたのでしょうか? ここまで考えると、私はすぐに正念を発し、イライラの心とその背後にある腐敗した要素を取り除きました。
その後、歯が痛むたびに、敬う気持ちをもって師父に感謝していました。すると歯の痛みがすっかり軽減され、痛みに耐えていた力が抜け、体は軽やかになりました。そして私の次元ですが、師父が説かれた「苦を嘗めるをもって楽とする」(『洪吟』「その心志を苦しめる」)の法理を理解することができました。
師父の慈悲なる啓示にとても感謝しており、私に師父や法に対する腐敗した不敬の念に早く気づくことができました。私は絶えず自分と師父、大法との関係を正し、自分の修煉の道を正しく歩むことを誓います。師父に感謝いたします!
(文章編集:洪揚)