文/河北省の大法弟子
【明慧日本2023年10月3日】法を正す時期の最後の段階に入り、師父の慈悲深い苦度に背かないように、自分に後悔を残さないように、自分の天国の衆生に申し訳ないことがないように、同修達は毎日三つのことをしています。私も資料配りや、学法や、煉功を堅持していますが、なぜこんなに辛くて、疲れているのでしょうか。特に朝の煉功はなおさらです。
私はサラリーマンで、朝早起きして煉功することは私にとって、どんなに大きい決心をしても、力強く堅持しようとしてもうまく乗越えられない難題でした。アラームは、朝の3時15分から3時45分に延ばしたり、また4時45分に延ばしたりの繰り返しをしています。心性が少し上がってきたら、3時15分に起きますが、数日経ったら、また4時45分に戻ります。ずっとこのような繰り返しでした。堅持はしていますが、とても辛くて悩んでいます。どこが間違えたのでしょうか。どうしてこんなに辛い思いをし、「堅持」と思いながらしているのでしょうか。
ある夜に学法を終えて、明日何時に起きて煉功するかを考えた時に、「3時15分に起きよう」と自分を励ます答えが出ました。急に「堅持」という二文字が頭に浮かんできて、「堅持」すると言うやり方は、常人のやり方ではないでしょうか。自らやりたいじゃないことをやるには「堅持」との言葉こそ使うでしょう。毎日「ご飯を食べることを堅持する」とか、「水を飲むのを堅持する」とか、「寝ることを堅持する」とか普通に言わないでしょう。人間である以上できている本能的な行為ですから。修煉者としては、毎日の学法と煉功は自然に習慣的にやるべきものではないでしょうか。人々が毎日普通にご飯を食べたり、水を飲んだりするような行為と同じようになるべきではないでしょうか。どうして嫌々ながら対処しているのでしょうか。自分の主元神を強めてやるべきだと認識できた途端、心も軽くなりました。師父が悟らせてくださったことに感謝いたします。人の念から神の念に変えたのも、師父が悟らせてくださいました。その後の学法や、真相を伝えることも、もっとやりやすくなりました。
ある交流文章を聞いたことがあります。同修たちは早く起き煉功するために、複数の目覚まし時計をセットし、一つが鳴ったら止めて、もう一つが鳴ったらまた止めて、最終的には起きられなかったという話です。また、ベッドで寝るのではなく、ベッドの脇にマットを敷いて、ベッドの端で寝る同修もいました。皆工夫していますね。しかし、よく考えてみたら、実際に人間の方法で神のことを対処しているのではないでしょうか。もし考え方を変えるだけで、より実現できるようになるのではないかと思っています。
毎日三つのことをしっかりと行うことは、呼吸するような自然な行為になるべきだと思い、目覚まし時計を3時15分にセットしました。今朝、目覚まし時計が鳴ると、自然に起きるようになりました。もう1分寝ようという考えすらありませんでした。修煉者は煉功を行うべき、五つの功法一気にやり終えるべきだと認識できました。
この交流文章を書き始めてから、もう10日間も経ちました。毎日3時15分にきちんと起きています。昼間、眠い時もありますが、煉功とは全く関係ないと正念で考えていますので、眠気もなくなりました。むしろ前よりもっと元気になりました。師父は「修煉は最も良い休みです。あなたが睡眠で得られない休息を得ることができます。煉功して疲れて、今日何もできないと言っている人はいません。煉功で体中が楽になり、一晩寝ていなくても眠くなく、元気いっぱいだということはあります」[1]と説かれました。正念が強まることにより、この関門も乗越えられました。
師父がこの法理を開示してくださった後、夜に私は夢を見ました。夢の中で、同僚が2本のペンを贈ってくれました。「もしかしたら同修と共に向上するためにも、私と同じ状態にいる同修に役に立つかもしれないし、これを書き出すべきだ」と師父からの悟らせだと理解しました。
これは現段階での悟りにすぎません。不足している点があれば、同修の方々から慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』
【編集者:李明】