文/河北省の大法弟子(本人が口述し同修が整理)
【明慧日本2023年10月9日】私は農村の高齢の大法弟子で、今年(訳注:2023年)94歳です。1996年の正月、私は幸運にも法輪大法に出会い修煉する機会を得ました。法輪大法を修煉した後、私の半生のほとんどを悩ませていた病気が全て治りました。私は、師父に感謝の気持ちをどのように表現すればいいのかわかりません。師父と大法が私の生命を持続させてくださっています。
たとえ100歳に近づいているとしても、私は自分の生命の内在にまだ若さを感じており、元気でやる気に溢れていると思っています。私は自身の実際の経験を通じて、法輪大法の素晴らしさを皆さんと共有したいと思います。
「私は仙人に出会った!」
1996年の正月のある日、67歳の私はいつものように重たい体を引きずりながら、雀荘に向かっていました。雀荘は当時私の生命にとって唯一の頼りでした。その日は非常に不運で、何回麻雀をしても負け続けました。私はとても怒り、牌を押しやり麻雀をやめました。私はとても落ち込んで家に向かって歩いていました。甥の家の前を通り過ぎた時、なぜか中に入ってみたいと思いました。
中に入ると甥の妻が、ビデオを見ていました。彼女は非常に親切で、オンドルの上に座って一緒にビデオを見るように誘いました。私は「見たい!」と思ったので一緒に見ました。
ビデオを見終えて、甥の妻が私に「理解できましたか?」と尋ねました。私は「はい、理解できます! 話の内容が素晴らしいです。聴いている間、私は心地よい温かさを感じ、とても快適でした」と話しました。彼女は「私たちは法輪功の師父が説法するのを見ていました。もう一つあります。見たいですか?」と聞きました。私は直ぐに、「見たいです!」と答えました。師父の二つの説法を見終えた後、私は「まだありますか? 私はまだ見たいです。本当にもっと見たいです!」と言いました。
師父の説法のビデオを見ていると、師父の言葉が私の頭の中に飛び込んでくるようで、私の頭は明るく清らかになりました。本当に心地よい経験でした! 私はこれまでこんなに快適だったことはありませんでした。心の中で「この師父は普通の師父ではありません。私は神仙に出会ったのです!」と考えました。その時、私は法輪功が何かわかりませんでしたが、ただ「すばらしい」と感じました。私は彼女に「私のためにビデオを何個か買って来て貰えませんか?」と頼みました。
後に、甥の妻が「師父の広州での説法」の録音テープを家に持って来てくれました。それは私にとって「宝物」のようで、毎日法を聴きました。その小さなボックス(プレーヤー)のスイッチを入れて師父の説法を聴いた瞬間、私は引き込まれました。体の周りに何か温かいものがあるようで、とても心地よかったのです。私はこのようにして、毎日、何度も何度も聴きました。聴いているうちに、いつの間にか私の足が冷たくなくなり、膝の痛みも消えて、歩行が正常になりました。それ以降、私はもう麻雀をしなくなり、麻雀のことを思い出すこともありませんでした。不愉快な出来事に遭遇しても、人を責めることはなくなり、不快なこともほとんどありませんでした。いつも心の中に言葉にできないほどの爽快感を感じていました。
ある人が私に冗談交じりに、「おばさん、あなたはどんな不思議な薬を飲んだのですか? 歩行が正常で、若々しさが戻ったように感じます。私の隣り近所の人たちは、あなたについて話しているんですよ。なぜあなたは、人を責める言葉が出なくなったのか…」と言いました。
私はその人たちに、「私は今、法輪功を修煉しています。みなさんは知らないでしょうが、法輪功は非常に素晴らしいのです。法輪功の師父の説法を聴いただけで、煉功も学んでいないのに、体に大きな変化が起きました。足の痛みがなくなり、歩行が改善しました。また、どこに行っても治療が難しかった喉の問題も改善しました。みなさんは法輪功がすばらしいと思いませんか? 私自身が生きた証なのです。法輪功は真・善・忍に従って、良い人であるように人に教えています。だから、もう私は人を責めることはできません。そうしなければ、病気が治らないだけでなく、徳も失ってしまうからです!」と話しました。
90歳のおばあさんがはしごを登り、屋根の上で雪かきをした
修煉を始める前の私は、多くの病気に悩まされており、特に喉の痛みがとてもひどかったのです。昼夜を問わず、痰を絶えず吐き、血を吐いていました。毎晩眠れず、胸から喉元まで火がついたかのような痛みがありました。私の習慣的な動作は、手で胸をつかみ、胸をたたくことでした。こうすることで僅かですが、痛みを軽減できるように思えたからでした。
私は、食事を抜くことはできても、毎日の薬を抜くことはできませんでした。薬を飲みすぎたため両膝が変形し、四角い体型になりました。暑い6月でも、厚いコットンのズボンをはき、足全体が氷水で冷やされているようで、太ももの付け根まで冷たかったのです。
そのため、大きな病院に行き、民間の処方を探し、漢方医に診てもらったのですが効果はありませんでした。医師は私の息子に、「あなたたちが彼女をどこに連れて行っても無駄です。彼女が楽しいと思う方法で楽しんでもらい、食べたいと思うものなら、何でも食べさせてあげてくださいね」と言いました。それはつまり、薬では治療できないということでした。私の心は完全に冷め切って、「自分はもうすぐ死ぬ」ということを知りました。私は悲しくなり、「死んだほうがいい」と思うこともありました。それは、苦しまなくて済むという意味でした。ですから辛い時間を過ごすために麻雀をし、不機嫌になると悪態をつきました。そして誰もが、私に近づかないようにしていました。
私が68歳の時、病状はますます悪化し、子供たちは私のために死者に着せる着物を用意していました。誰も予想すらしなかったことですが、私は68歳の時、性命双修の法輪大法に出会い、幸せな新しい人生を迎えることになったのです。法輪大法に出会って以降、私の体には使い切れないほどのエネルギーが常にありました。自転車で畑に行って小麦を収穫し、トウモロコシを摘み取り、土地に水をやり、畑を鋤くことができました。私にはできないことはありませんでした。秋になると、私はいつも重い金掻き(訳注:畑や田んぼの土を耕すために使われる鋤(すき)の一種)を持って平地を耕しました。村の人々から、私が平地を耕しているのを見て、「年を取っているのに疲れないのですか?」とよく言われたのですが、私は本当に疲れを知らなかったのです。
自分が90歳の時のことを覚えています。その日は、息子夫婦は家におらず、屋根に亀裂が入っていました。そのため、私は日中の暑い時間帯に屋根に上がって、亀裂を埋めるための工具で亀裂を丁寧に埋めました。汗で全身がびしょ濡れになって顔は日焼けし、汗は頬を伝って流れ落ちました。それを見た隣人が驚いて、「おばさん、早く降りてきて! こんなに暑い日に、熱中症になってしまいますよ!」と叫びました。私は彼らに「大丈夫です。暑さには耐えられますから」と言ったのですが、本当は全く暑く感じていませんでした。
また90歳の冬、雪が降ったのですが、息子が家にいなかったので、私は竹箒を持ってはしごを登り、屋根の雪かきをしていました。隣人が、屋根の雪かきをしている私を見て、スマートフォンを取り出して写真を撮りました。そして大声で言いました。「おばさん、あなたの写真を撮らせてもらい、それをインターネットにアップして、人々に90歳のおばあさんが屋根の雪かきをしているのを見てもらいたいと思います。私はあなたをギネス世界記録に申請します!」
字が読めない状態から『轉法輪』が読めるようになった
その年、地元の多くの人が法輪大法を修煉した後、私の大きな変化を見て「法輪功を学びたい」と言いました。そのため私は自宅を煉功場にして、朝は一緒に煉功し、夜は一緒に『轉法輪』を学びました。しかし、私は字が読めないので、字が読める人に一文字ずつ教えてもらい、一文字ずつ暗記しては、翌日一文字ずつ照らし合わせました。
師父の慈悲なるご加持の下で、徐々に『轉法輪』を読むことができるようになり、後に『轉法輪』を理解することもできるようになりました。近所の人たちは、私が本を読んでいるのを見て、「とても新鮮ですばらしいです。こんなにも高齢の人が本を読んでいるのを見たことがありません」と言いました。
娘の義理の両親に感謝
私の次女が38歳の時、突然夫が亡くなりました。娘には学校に行っている2人の子どもがいました。娘は、再婚の問題と娘の夫の両親との間に対立があったので、今後の生活は非常に困難だと思っていました。娘の夫の両親との争いの中で、義父は怒りに燃えて娘の頭を殴ってけがをさせてしまいました。
娘がけがをしたと分かった後、とてもつらかったのです。私は、「義理の父親が娘を叩いたのだ。いけないことだ。どこの家庭でも理解されないことだ」と思ったのですが、考えれば考えるほど怒りが湧いてきて、「義理の父親たちと話し合いをしたい!」と思うようになり、私の兄や姉、親戚たちも、私の娘のために正義を求めて喧嘩しようと考えました。
もし修煉していなかったら、私は仲間を連れて行って、娘の義父をひどく殴るつもりでした。しかし、今は修煉しています。以前のようにはできません。私は大法を学んでいるのです。「理由のないことは何もない! すべては業力と因果応報の結果である。互いに恨み合ってはいけない。だから、私は過ちを犯すことはできない!」と理解しました。
そして、家族の皆に「誰も娘の義父のところに行かないように」と説得しました。その後、私は一人で自転車に乗って娘の家に向かいました。しかし、その前に娘の義理の両親の家に行きました。両親は私を見て少し緊張していました。私は両親にこう言いました。「私はあなたたち夫婦の苦労を理解しています。息子さんが亡くなりましたが、私たちには2人の孫がいます。一緒に日々を過ごしましょう。今から娘を連れて帰って落ち着かせます。それでよろしいでしょうか?」。私がこんなにも平和的であるとは、両親は全く予想すらしていないことでした。義父は「自分が悪かった。手を出すべきではなかった。後悔している」と話しました。
私は娘と一緒に帰りました。帰って直ぐに、私は娘のために『轉法輪』を読みました。娘も人としての多くの道理を理解しました。数日後、私は娘に「あなたはもう家に帰りなさい。あの家にはあなたが必要です。お年寄りのために、そして子供たちのためでもあるのです。あなたの貢献は神がご覧になっています」と話しました。
それから何年も経ちましたが、娘も娘の夫の両親も仲良く過ごしています。2人の子供も家庭を持ち、自立しました。娘の義理の両親は、私に会うたびにこう言うのです。「あなたの寛大さと公正さがあったからこそ、私たちに、このように行うよう教えてくださったのです。あなたが『真・善・忍』に従って善い人になれば、私たちも家族全体が平和で幸福になるのです!」
「私はいつも自転車に乗って真相を伝え貼紙をします」
私はいつも考えています。「師父が私に健康な体を授け、寿命を延ばしてくださったのは、法を実証し、人を救うために使うためなのだ」と。私は自転車に乗って大きな市場に行って真相を伝え、人々に法輪功とは何か、江沢民らの一派がなぜ法輪功を迫害しているのかを説明しました。「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」 と人々に覚えてもらうため、私は頻繁に自転車で出かけては、真相を伝える貼紙をしました。
時々、真相を知らない人々に出くわしたり、私のことを通報しようとしたり、公安局に連れて行こうとすることがありました。しかし、私はいつも忍耐をもって自分の経験を語ります。また真相を知らない人々には、「法輪大法は、徳の高い佛家の大法であり、性命双修の功法です。修煉者が大法の要求に従って行動すれば、その生命は延長されます。過去、歴代の皇帝はさまざまな方法で長寿の秘訣を探し、寿命を延ばそうとしましたが、どれも成功しませんでした。しかし、今日では千古に類を見ない高徳の大法が世界中に広まっています。誰もが避難し、災難を避け、長寿を願い、健康な体を望みますが、法輪功を修煉すれば、限りなく恩恵が得られます」と話します。
上記の話はすべて私自身の経験に基づいており、私は法輪大法から恩恵を受けた生きた実例なのです。
(明慧ネット第24回世界法輪大法デー入選文章)
(責任編集者:伊文)