【明慧日本2023年10月8日】(遼寧省=明慧記者)瀋陽市の法輪功学習者・馬江さん(男性)は、真・善・忍の信念を貫いたとして、瀋河経済開発区裁判所から不当に懲役4年の実刑判決を宣告された。今年8月1日、馬江さんは瀋陽市第一刑務所に拘禁された。馬江さんが不当に拘禁されるのはこれで2回目となる。
馬江さんの義母の呉玉さんは、1996年に法輪功を学び始め、心身ともに健康になり、法輪功の素晴らしさを感じた。その後、馬江さんと妻の呉樹艶さん、義理の弟の呉樹鳴さんも次から次へと法輪功を学び始めた。家族全員が穏やかな気持ちになり、幸せな雰囲気に包まれていた。
しかし、中国共産党(以下、中共)による法輪功への迫害が24年間続く中で、馬江さんと多くの親族は、法輪功の「真・善・忍」の理念を堅持し続け良い人を目指したとして、中共によって残酷な迫害を受けた。妻の呉樹艶さんは2013年に迫害されて死亡し、義母の呉玉さんは迫害により2015年に亡くなった。義理の弟の呉樹鳴さんは刑務所で3年間拘禁されたことがあり、娘の馬紅陽さんと婿の趙偉さんはともに1年4カ月間拘禁された。馬江さん自身も2014年に懲役3年の実刑判決を宣告され、刑務所で迫害された。
馬江さんに対する二度目の不当判決
昨年7月20日、馬江さんは食料品を買いに外出し、帰宅すると瀋河区公安支局の警官に玄関口で呼び止められ、「外でちょっと話がある」と騙された。結局、馬江さんは直接連行され、家宅捜索を受けた。
瀋河経済開発区裁判所は、馬江さんに対して懲役4年の実刑判決を下した。今年7月14日、馬江さんは盤錦刑務所の洗脳班に送られた。
8月1日、馬江さんは瀋陽第一刑務所に移送された。
娘の馬紅陽さんと婿の趙偉さんは不当な判決を受ける
馬江さんが連行される前の2022年5月27日、娘の馬紅陽さんと婿の趙偉さんは法輪功を学んでいるという理由で、フフホト市サイハン区公安局の警官らに連行された。夫婦はともに懲役1年4カ月の実刑判決を宣告された。
今年9月27日、馬紅陽さんと趙偉さんは不当な刑期を終えて解放された。
妻の呉樹艶さんが迫害され死亡
呉樹艶さんは心が優しく、ずっと義理の両親と暮らしていた。家のことや子供の面倒をよく看るだけでなく、毎週実家に帰って両親の面倒もよく看ていた。
2006年5月23日、呉樹艶さんは周囲の人々に中共による法輪功迫害の実態を伝えたとして、警官に連行された。その日、夫の馬江さんが仕事から帰宅すると、警官に「荷物を取りに来い」と騙され、その場で連行された。呉樹艶さんは瀋陽市留置場に拘禁され、馬江さんは大東区八棵樹留置場に拘禁された。当時、家には70代の老人と14歳の娘だけが残された。
2006年9月、呉樹艶さんは秘密裏に懲役7年の実刑判決を宣告された。呉樹艶さんは不当な判決を不服として、高等裁判所に控訴したが、同年12月に原判決を維持するという結果になった。そして遼寧省女子刑務所に移送された呉樹艶さんは、3年間独房に閉じ込められ、毎日12時間重労働を強制された。
迫害前の呉樹艶さん |
刑務所に拘禁された後の呉樹艶さん |
2012年6月、長期にわたる重労働と精神的プレッシャーにより、呉樹艶さんは食事が困難になり、腹部はますます大きくなって、身体はどんどん痩せていき、命が危険にさらされていた。帰宅した後も、警官と地域の関係者による嫌がらせが絶えなかった。
2013年6月2日、呉樹艶さんは嫌がらせと脅迫を受け続けている中で、人生の絶頂期に中共の迫害により死亡した。
馬江さんに1回目の懲役3年の不当判決
妻の呉樹艶さんが亡くなった半年後の2014年1月7日午後、馬江さんと娘の馬紅陽さんは大東区長安派出所の警官に連行された。自宅にあったパソコン、プリンターなどが押収され、当日の夜中1時、娘は解放された。
2014年12月4日、馬江さんは大東区裁判所から懲役3年の実刑判決を宣告され、本渓刑務所に拘禁された。2016年9月7日、馬江さんは帰宅した。
呉樹鳴さんに懲役3年の不当判決
2014年8月5日、呉樹鳴さんは瀋陽市大東区の長安派出所の警官らに連行された後、ずっと大東区留置場に拘禁されていた。2015年5月、呉樹鳴さんは懲役3年の実刑判決を宣告され、本渓刑務所に移送された。
本渓刑務所で、呉樹鳴さんは7日間連続で睡眠を許されず、独房に閉じ込められ、裸にされ殴られ罵られるなどの拷問を受けた。
馬江さんの義母の呉玉さんが迫害され死亡
2013 年から、呉玉さんの家族は次から次へと迫害された。
中共による長年にわたる迫害の中で、呉玉さんは度重なる精神的・肉体的な苦痛に耐え続けたが、ついに限界となり2015年5月19日に亡くなった。
現在、馬江さんは再び懲役4年の実刑判決を言い渡され、瀋陽第一刑務所に拘禁されている。