文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年11月14日】私は1960年代、文化大革命 (1966~1976年) の時代に小さな山村で生まれました。当時まだ若かったころ、批判されていた「克己复礼:こっきふくれい(自らの強い意志で、欲望や邪心を抑えて礼儀を正しくする)」という考え方が好きでした。金持ち、右翼、反革命分子との戦いなどの社会現象にうんざりしていました。当時の風潮は、白紙の書類を提出した者は大学に入学し、指導者たちから賞賛されました。しかし、私はそのようなことには反対でした。さらに、私は貧しい生活を送っていましたので、常に自分の状況から逃げたいと思っていましたが、どうすることもできず、現実を前にしてその場に留まっていました。
大人になった私の心には、男性は正しく男らしく、女性は優しく貞淑であるべきという家庭倫理が根付いていました。しかし、私の結婚生活の状況は、私が予想していた「妻は夫に従う」という概念とは程遠いものでした。妻は私と同い年ですが、「男女平等」「女性は天の半分を支えている」という理念を持っています。彼女は非常に有能で自己主張が強く、いつもよく不平を言います。
私の仕事は辛くてとても疲れました。家に帰って来るとすぐに口論が始まり、心身ともに疲れ果てていました。ある時、私は彼女の不満と侮辱に我慢できず、彼女を殴りました。その後、彼女はあまり議論をしなくなりました。
幸いなことに、私は法輪大法の主要な本、『轉法輪』(1998年)を読みました。そして、私は突然、悟ることができ、人生のすべての謎が解決されました。私は興奮し、心の中で「私が本当に追求しているのは法輪大法だ」と思いました。そして、私の健康上の問題がすべて解消されました。体が軽くなりとても気持ちがよくなりました。私は仕事の後の自由な時間に法を学び、五つの功法を学びました。その結果、妻と口論することはなくなりました。
私の大きな変化を見て、他の修煉者からの励ましもあり、妻も法輪大法を修煉し、本を読み始めました。私たちは二人とも修煉しましたが、すべての執着をすぐに取り除くことは出来ませんでした。
伝統的な家族倫理と道徳観は私に強い影響を与えており、表面上は「伝統の道に戻れば、天に通じる」(「再造」『洪吟五』)という師父の法理の原則に従っていました。
しかし、原則の理解に従って妻に行動するよう要求したとき、私は自分勝手であることに気づきませんでした。
その結果、何十年も経ちましたが、依然として妻とのコミュニケーションは取れませんでした。私たちはほぼすべてのことについて異なる見解を持っていました。修煉について話したり、生活上の些細な事柄に及んだりするとき、私たちはほとんど意見が一致しませんでした。衝突を避けるために、私は基本的な問題以外は気にするのをやめ、彼女とほとんど話をしませんでした。自分の行動は正しいと思っていました。
他の学習者が私と妻の修煉方法を羨ましいと言うと、私は彼らに私たちの状況を話しました。すると「あなたは情が重すぎる」と言われました。
私が情にとらわれすぎていると言われたのは、身の引き締まる思いでした。それは私を目覚めさせ、考えさせられました。情は利己的であり、人間は情のために生きています。修煉者はこのような感情を捨てなければなりません。師父は私たちに自らを修めるよう求めています。他人の考えを変えることは出来ないことに気づきました。妻の反抗は、私が自分自身を磨くべきであり、対立の原因を外に求めるべきではないことを私に理解させるためでした。その間、家族間の不和は私が師父の要求に従わなかったことによって引き起こされたのです。法の要求に従って自分を修煉することが正しい道だったのです。
私は自分の考えや概念が師父の要求と一致しているかどうか、そしてそれらが完全に他人のために行動するという基準を満たしているかどうかに注意を払いました。妻と私との間の衝突は徐々に少なくなっていきました。
私はずっと前にその問題を理解出来ていたはずです。時間はかかりましたが、向上出来たので満足しています。自分の行動を変えたら、気持ちがずっと楽になりました。
私の心性の改善を助けてくれた妻と、親切に思い出させてくれた他の修煉者に感謝しています。彼らは私の利己的な家族概念を取り除くのを助けてくれました。同時に色欲の心を取り除き、妻、子供、孫、ひ孫への深い愛情も取り除き、世の中のすべてに執着しない、清らかで執着のない心、私の心は大法にあります。この三つのことを行なうことで、初めて神聖な気持ちになることができるのです。