文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年12月3日】私は1998年10月に法輪大法を修煉し始めました。その後、産後のトラブルや心筋炎を含むすべての病気から解放され、体が軽くなりました。私が修煉して以来、家族全員が大法の恩恵を受けています。以下は、私の家族が受けた大法からの恩恵についての話です。
2007年、娘は大学院進学の準備のため、夏休みになっても家に帰りませんでした。ある日、娘は突然、頭痛と頭の腫れ、顔全体や目の腫れ、吐き気などの症状に悩まされるようになり、病院でMRI検査を受けたところ、頭蓋内に大きさ4、5センチの胚細胞腫瘍があることがわかりました。医師は娘にそれが悪性であるとは告げず、手術はできないこと、そしてがん専門病院にはこの病気を治療するための国内で最新の先端医療機器(放射線治療機器)があることだけを伝えました。
娘は私たちに電話で病気のことを告げました。私は「どうして娘がこんな病気になったのか?」と、とてもショックを受けて涙が溢れてしまいました。夫はしばらく気持ちを落ち着かせてから、「泣かないで、まずは様子を見に行って話し合おう。方法がなければ、娘に気功を教えよう」と言いました。これを聞いた瞬間、私は「そうだ、師父がいらっしゃるから、大丈夫だ」と思いました。実際、娘は『轉法輪』と師父の新しい経文をいくつか読んだことがあり、大法が素晴らしいことを知っていますが、「勉強がとても忙しいので、社会人になってから煉功する」と言い、娘は名利をとても大切にしてしまったのです。
8月8日、私たちは娘が入院しているがん専門病院に行きました。病院側は娘の放射線治療のため頭部ギプスを準備していました。娘は私に会うと、「お母さん、私は毎日法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい(心からの九文字)を唱えています」と言いました。 私はそれを聞いてとても嬉しく師父が娘を守ってくださっていることがわかりました。娘の頭の中に大きな腫瘍があるのに、なぜ今までそれを感じなかったのでしょうか? 師父が娘のためにそれを受け持ってくださっていることを理解し、感謝の気持ちをどう言い表していいかわかりませでした。娘は2回の放射線治療を受け、1週間ほど入院し、治療費は約4万元かかりました。その後、私たちは家に帰りました。
娘は退院後、私と一緒に法を学び、功法を煉りました。発作は1回起きただけで、それほど大きな不調は起こらなかったので、娘は9月1日に学校に戻りました。その後、娘は学法と煉功を緩めてしまいました。次の年の春、再び目がかすむようになり、目が開けられなくなる症状が出たので、病院でMRIを撮ったのですが、腫瘍は大きくなっていませんでした。医師から、「これで十分です、病院で他にすることはありません」と言われたので、娘は家に帰ってきました。
しかし、娘の症状は悪化し「目の痛み、かすみ、なみだ目や、上まぶたが上がらず、地面に洗面器を置いても見えず、歩くと足が脱力し、夜尿する」などの症状がありました。私は今回、あまり心配しませんでしたが、娘がよく学法と煉功をしておらず、心性の向上ができていないためだとわかりました。私は、このことについて娘と交流し、常人でよいと思っている人を、師父は見守ることができないことを娘は理解しました。
当時、私はまだ勤めていたので、三番目の叔母(同修)が昼間に娘と一緒に法を勉強し、朝と晩は私が娘と学法をしました。最初の頃、1日に『轉法輪』を数ページ学んでいましたが、その後、毎日、咳をしなくても痰がでるようになり、一日にトイレットペーパーの大ロールを1、2個使うほど痰を吐いたのです。私は娘に、「これは師父があなたの体を浄化して、悪いものをすべて取り除いてくださっているのです」と話すと、娘はとても喜んでいました。しばらくすると、娘は普通に法を読むことができるようになりました。20日が経過する頃には、症状は徐々に軽くなり、やがて完治しました。
娘が患ったのは、今の最先端医療でも治せない病気でしたが、大法の本を読んで法を学び、煉功しただけで完治したのです。本当に奇跡です! 娘は今、民間企業で財務の仕事をしています。娘のことを話すたびに、私たち家族は師父への感謝の気持ちでいっぱいで、涙が流れてきます。
夫が受けた恩恵
夫はもともと両側性の慢性中耳炎を患っていて、両耳の聴力が悪く、よく膿や汁が流れました。本当に困ってあちこちで治療を求め、民間療法を使ったり、省都の大きな病院にも行きましたが、治らなかったのです。よくなったり悪くなったりの繰り返しでした。しかし、私が法輪大法を修煉してから、夫は耳から膿や汁が出る回数が少なくなり、次第に出なくなり、聴力もかなり回復しました。
また、夫は以前はよく風邪をひき、全身の症状がとても重く、その度に熱が出て薬を飲み、注射をよく打っていました。しかし、私が法輪大法を学んでから、夫は一度も熱を出すことなく、風邪をひいても軽い症状で、薬を飲まなくてもすぐ治るようになりました。
さらに夫は、下肢静脈瘤にも悩まされていました。最も深刻な箇所はミミズの塊のようになり、足の冷えで、いつも膝にサポーターをつけていました。2022年の夏、夫の静脈瘤のその最も深刻な部分に赤いしこりができました。痛くもかゆくもなく、押すと少し腫れる程度でした。私は、「大丈夫、法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいと心から唱えれば、良くなるよ」と言うと、「そうする」と夫は返事しました。
その当時、夫は夫の実家で父親の世話をしていました。義父が老年性認知症を患っており、顔にしこりができて入院し、夫が付き添っていたのですが、しこりが崩れて穴が開き、膿と汁が一日中流れ出て悪臭を放っていたのです。父親の苦痛を和らげるために、夫はよくベッドの横に座って父親の手を握り、数時間、心からの九文字を唱えていました。当時はコロナで厳しく管理されていたので、私はたまに食事や日常用品を届けに行きましたが、そのたびに「心からの九文字を念じましたか?」と聞くと、夫はうなずきながら、「念じたよ。そのおかげで父はあんなに大きな傷だけど、痛いとは言わないんだ。家に帰りたいと言ったり、患部の薬を交換するときに何回か痛いと言っただけだよ」と言いました。そしてその後、義父は安らかに息を引き取りました。
夫が家に戻ったあと、夫の足の状態をみると、赤いしこりは消え、ミミズの塊のようだった静脈瘤も消えていました。夫は父親の苦痛を和らげるために心からの九文字を唱えましたが、自分の静脈瘤も治っていたのです。
息子が受けた恩恵
息子が幼稚園児だった頃、ある日発熱したので、先生が息子を家に送ってくれました。息子の顔色は悪く、顎下リンパ節は3、4センチに大きく腫れ上がって顔は変形し、熱は40度近くあったので、夫はとても心配しました。病院に行くと、医師は急性リンパ節炎だと言い、点滴をすると言いました。私が「まず、薬を処方してください」と言うと、夫は心配して、「点滴しなくて大丈夫か?」と聞きました。私は「家に帰って様子を見ましょう」と返事しました。家で薬を飲んだ後、私は息子を腕に抱き、「師父の説法を聞きましょう」と言うと、息子はうなずきました。息子は師父の説法を聞くのが大好きで、『洪吟』のいくつかを暗唱でき、『論語』の一節か二節も暗唱できます。私は息子と一緒に説法を聴きましたが、息子は途中で寝てしまい、2~3時間眠って、目が覚めるとすぐに「お母さん、僕は良くなったよ」と言いました。息子の顔を見てみると、血色がよくなり、腫れていたリンパ節が消え触ることもできませんでした。夫はとても喜び、私は「点滴よりこっちのほうが効果があるでしょう」と言いました。私たちは大法の奇跡を目の当たりにしました。
2007年6月、私が地方の研修に行っていた時のことです。息子が「頭が痛くて辛い」と言い出したので、夫は病院に連れて行って診察を受けレントゲンを撮ったところ、副鼻腔炎だと診断されました。漢方薬を飲ませましたが、数日飲んでもよくなりませんでした。私は家に帰ってから、息子と一緒に法を学びました。法を学ぶと、暑くないのに息子は汗をかき、その汗は漢方薬の匂いがしました。その後、息子は漢方薬を飲むのをやめましたが、副鼻腔炎はよくなり、頭痛もよくなりました。薬の服用を止めたあとも、息子はしばらく汗をかき、汗も漢方薬のにおいがしましたが、息子は副鼻腔炎が良くなっただけでなく、飲んだ漢方薬も排出されました。ご存じのように、副鼻腔炎を治すことは非常に困難で、漢方や西洋医学の専門家でも、副鼻腔炎を数日で治せると言う勇気はありません。しかし、息子は法を学ぶだけで、副鼻腔炎は完全に治癒しました。
師父が私たちにしてくださったご恩は、「ありがとうございます」の言葉で表せるものではありません。師父のご恩に対する感謝の念は人間の言葉で言い表すことができません。私たちは師父の言われることに従い、自分自身をよく修めてこそ、師父のご恩に報いることができると思っています。
師父、ありがとうございます!
合掌!