【明慧日本2023年12月8日】人はこの世で生きて行く上で最も大切にしているのは名声、利益、愛です。それは人々に肉体的、精神的な楽しみをもたらすことができるからです。当然、それらを追い求めていくと肉体的にも精神的にも影響してしまい、人々にとって取り除くことのできない悩みとなるのです。
師父は法の中で、高次元の理と常人の理は逆であることを説かれました。「人間が難に遭い、苦しみを味わうのは業を返し、幸せな未来を得られるようにするためです。修煉者の場合、正の理にしたがって修煉すべきです。苦を嘗め難に遭うことは業力を取り除き、罪を除去し、人体を浄化し、思想境地と次元を高める絶好の機会であり、大変良いことです。これは正の法理です」(『精進要旨(三)』「最後になればなるほど、精進すべき」)
師父が教えてくださった法理を用いて量れば、私たちの全ての問題は簡単に解決されるでしょう。例えば、身体の調子が良くないと、人間から見れば病気であり、悩んだり、悲観したり、落ち込んだりして、悲しくなったりします。気分が悪いと病気が悪化しますが、どうしてもそれを取り除くことができません。
それでは、修煉者はこの問題をどのように見ているでしょうか。正の理に従って修煉すれば話しは全く違ってきます。修煉者の体調が悪い時は、師父が弟子の体を調整して浄化してくださり、業を消して、病気を取り除き、次元を高め、功が伸びるのです。弟子が耐えたのはほんのわずかで、ほとんどは師父が弟子の為に耐えてくださっていたのです。この時、大法弟子は師父に感謝するだけではなく、自分が向上したことにも興奮しています。気持ちが愉悦で常人とは正反対なのに、どうして比較できるでしょうか。
トラブルの対処
人が世の中で生きていると、家庭であれ社会であれ、衝突が起きたりします。常人であれば、トラブルに遭遇すると、まず憤り、怒りを感じ、いつも相手が間違っていると感じ、争いの中でお互いを傷つけ合ってお互いに譲ろうとしません。睦まじい関係でも感情で傷つけたり、最終的に双方とも損失を被り、大なり小なり敵になる可能性があります。物事に行き詰まったり、正しいか間違っているかを議論することは本当に人生につきものの悩みです。機嫌が悪くなり、体を痛めたり、他人に害を及ぼしたり、自分自身にも良くありません。誰がこの世から抜け出すことができるのでしょうか。
師父は大法を伝え出され、高いレベルの法理を説かれて衆生を救い済度されているのです。衆生にとっては福報なのです。
師父は「さて、どうしてこういうことにぶつかるのでしょうか? それらはみな自分自身の業力によるものです」と説かれました。(『轉法輪』)
修煉において、トラブルは悩みや恨みではなく、次元を向上させ、業力を返すための良いものとなるのですが、どうして喜んで受け止めないのでしょうか。
修煉の楽しさ:洗濯機の物語
また、修煉には多くの楽しみがあり、人心が少なくてシンプルであればあるほど、奇跡はより多く現れて来ます。
私の家に全自動洗濯機があります。買った時は、とても気に入り、多くの便利さをも感じていました。しかし暫くしてから「ドラム式洗濯機の方がよく動き、節水にもなり、洗濯物もきれいに洗える」と言う声を聞いてからは、私は今の洗濯機が嫌いになり、買い換えようかとまで考えました。そんなある日、洗濯中の脱水が完全にできておらず、洗濯を再開したりするようになりました。私は文句を言わずにいられなくなり、ますますこの洗濯機が嫌いになってしまいました。
ある日、その洗濯機が突然動かなくなりました。私は洗濯機に近づき「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えました。心の中では何も考えておらず、ただ何度も何度も唱えました。すると洗濯機がゆっくり動き出し、どんどん速く回転し、正常な状態に戻ったのです。
私は、感激しながら内に向けて探しました。全て自分の心が間違っていたからであり、すぐに洗濯機に謝りました。それ以来、洗濯機は正常に働いています。萬物にも魂があると言うのは本当です。
大法をしっかりと修めてこそ、修煉の奇跡、玄妙さ、神聖を理解できるのだと悟りました。