【明慧日本2024年1月13日】私は93歳です。ある日、私は散髪に出かけました。電動バイクに乗って庭のゲートまで行き、周りを見渡すと東西大通りに車は走っていなかったので左折すると、突然左から車が飛んできて、私のバイクに真横に当たって来て、そのまま縁石にぶつかって、道路に大きく転倒し、意識を失いました。
数分後、私は意識が戻り、心の中で「私は師父に守られているので、大丈夫です」と思いました。ゆっくりと立ち上がろうとした時、沢山の人が集まってくるのが見えました。ある人は「もうだめだと思いました」、ある人は相手の車の運転手を非難しました。ある一人の女性は怖くてどうしたらいいかわからなくて、私を病院に連れて行こうとしました。私は手を振って「大丈夫です、もう行ってください。私は修煉者です」と言いました。
しかし、周りの人たちは相手の車の運転手を行かせようとしませんでした。私は、「彼女は用事があるかもしれないので、行かせてあげてください、私は大丈夫です」と言いました。ある人は「こんなにひどい状態なのに、行かせたらだめですよ」と言いました。しかし、私はどうしても行かせてあげたいと思ったのです。私は「私のバイクを押してきてください」と頼みました。バイクをよく見ると全く壊れておらず、私はバイクを押して家に帰りました。
家の敷地内に入ると、足が痛くて歩けなくなり、しばらく休んで痛みに耐え、ゆっくりバイクを押して家まで歩きました。家に着くと、左足全体が紫黒色で、太ももの内側も紫黒色になっていました。子供たちに病院へ行くように言われたくないので、本当のことは言いませんでした。(私は一人暮らしで、普段子供たちは家に帰らない)しかし、子供たちが家に来て、私の足が動かせない状態を見て、病院に行くように言ったのですが、私は行かない事に決め、「心配しなくていいですよ、私は修煉者ですから、大丈夫です。病院には行きません」と言いました。
しかし、子供たちはとても心配しているので、病院の有名な先生(院長)を家に呼んで診察してもらいました。先生は私の足を触って「足の腱がねじれています」と言いました。子供たちは不安だったようで、病院に行って検査をして、レントゲンを撮ってくるように言いました。しかし、私は「行かない」とはっきり言いました。子供たちは仕方なく、沢山の薬をもらってきましたが、私は飲みませんでした。師父がいらっしゃるので、何も起こらないと分かっていたからです。こうして家族の情に抵抗し、この関門を乗り越えられました。
心の中で大丈夫だと言いながらも、痛くて起き上がれないので、ベッドに横になって煉功していました。毎日煉功や学法をし続けて、師父や大法を信じ、自分が修煉者であり、きっと大丈夫だと信じていました。
こうして一日一日薬もなく、治療もなく、車にはねられ2か月間で、動かせなかった紫黒色の足が元通りになりました。私の命を救ってくださった師父に感謝いたします。
後になって考えたら、普通の人だったら、私は死んでいたかもしれません。車にはねられると、命を奪われることもあり、私の年齢を考えると、普通に歩いても、転倒したら骨折するかもしれません。ベッドで横になり起き上がれないばかりか、通常の歩行は困難になるかもしれません。しかし、私は電動バイクに乗って同修に資料を送ることができます。師父の慈悲なる済度に感謝しています。