文/シンガポールの大法弟子
【明慧日本2024年2月11日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は1995年に法輪大法の修煉を始めました。修煉を始めてから、長年悩まされていた月経痛、左頸椎の不調、難治性の咳などの問題が、あっという間にすべて消えました。法輪大法の病気治療と健康保持の奇跡は、私を驚嘆させました。なぜなら、当時私は漢方医で、自分の病気はなかなか根治できないことをよく知っていたからでした。その数年間(訳注:法輪大法の修煉を始めてから病気が治るまで)の個人修煉の中で、私は無病で全身が軽く感じる自由を体験しました。
修煉の過程で、病業が現れた場合は、それは旧勢力が病気の虚像を利用して、法を正すプロジェクトを妨害しようとしているのだと理解し、気に留めませんでした。それでも、私は街頭や観光地で真相を伝え、三退を勧め続けました。そして、1、2日で病気は消えてしまいました。例えば、ある時、私は左肩周囲炎の病業の虚像が現れました。この病気は、人々が50歳前後に発症することが多いため、五十肩とも呼ばれます。この病気にかかると、治すのが難しく、とても痛いのです。肩と腕の関節がつながっていて、手が後ろに曲がらなくなり、着替えるのも難しくなりました。神経点(訳注:神経が集中している場所)に触れると、腕全体が電撃を受けたように感じ、腕が動かなくなることがありました。しかし、私は大したことではないと受け止め、荷車を引っ張って、街頭に展示板を置いて真相を伝え続けました。そうすると、すぐに良くなりました。
時々、師父の法理が私の頭に浮かび、私は何が起こっているのかを心の中で理解できるようになり、それを乗り越えることができました。ある時、左膝が痛み、曲げにくくなりました。しかし、仕事中、女主人は私にしゃがんで床を拭かせ、しかも、2回往復で拭かせました。私は心の中で不満を抱きましたが、師父の法理がすぐに脳裏に浮かび、業を償うべきだと告げられたと思いました。私はすぐに何も言わずにしゃがみ込んで、痛みをこらえながら、部屋中を拭き掃除しました。不思議なことに、翌日、私の膝は自由に曲がるようになりました。
20年近くの間、病業の虚像の関を、私はすぐに、そして順調に乗り越えてきました。修煉、および大法を実証することに影響を与えることなく、私は毎日、シンガポールの牛車水チャイナタウンや観光地で中国人に真相を伝え、三退を勧めました。
中共ウイルス(訳注:新型コロナウイルス)が爆発(訳注:激しさを増す)してから3年、シンガポールは封鎖され、当時、路上で中国人を見かけることはめったにありませんでした。昨年の某月の中旬、私はシンガポールの牛車水チャイナタウンに戻り、真相を伝えて三退を勧めました。しかし、ほどなくして、私の右足のかかとが痛み始めました。そして、この足のかかとの痛みも本当に不思議でした。朝出かけて真相を伝えている間は痛くありませんでしたが、帰る時に地下鉄に乗って休憩した後、一歩踏み出した途端、足が痛くなり、足を引きずって地下鉄の改札を出ました。少し歩くとまた痛くなくなり、それが何度も繰り返されました。
夫(同修)が「年齢を重ねると、骨のカルシウムが失われ、栄養不良になる。そのため、牛乳をたくさん飲む必要がある」と言いました。あらゆる方面に注意を払ってきたのに、足のかかとの痛みは依然として治らず、時には腰も痛くなり、足の裏も痺れ、時には全身が痺れる感覚もありました。私は心臓がドキドキし始め、どうしたらいいかわかりませんでした。
師父が『轉法輪』の中で説かれた「肉体が痛ければ、心も乱れます」のようでした。
心の中で本当につらくなってしまっていました。さまざまな考えが浮かび上がり、さまざまな人心や「どうしてこんなに長い間、まだ良くならないのか?」という不平も出てきました。
中国人に真相を伝えてもうまくいかず、「この中国人、分かっていない。私の足が痛いのに、三退して平安を保たないなんて、さらに私を追い払うのか」、「もし私が何かの病気で、ベッドに寝たきりになり、大きな影響を受けたら、どうしたらいいのか?」、「私の家族は、どうすればいいのか?」と心の中でつぶやきました。考えれば考えるほど、心配になりました。
時々、同修が言っていたことを思い出しました。誰かの足がどうとか、気力がなくて真相を伝えに出られないとか。病気で寝たきりになって、人に世話してもらっている人もいるとか。病院に行って手術を受けた人もいるとか。病気で亡くなった人もいるとかでした。道を歩いていると、前を歩いていた人が、ぎこちなく歩いていました。その人の姿を見て、私の心は慌て、恐ろしくなりました。
しかし、幸いなことに、修煉の中で、長い間学法を続け、時には法も暗唱してきたおかげで、法に対する堅い信念の基礎を築くことができました。ですから、自分の主意識はまだとても強かったのでした。魔難が来た時、私はまだ立ち上がらなければならないことを知っていました。ここでうずくまっていてはいけません。
私は自分自身をさらに高め昇華できるところがあるかどうかを、内に向けて探しました。心配、不満、恨み、懐疑心、歓喜心、闘争心など、これらの悪い執着心は、この過程で繰り返し現れました。私は、それらを少しずつ取り除いていきました。
昨年3月、中国共産党(以下、中共)がゼロコロナ政策を終了し、シンガポールの中国人観光客が増え始めました。私はまた、マーライオンの観光スポットで真相を伝え始めました。毎朝、私は資料を準備して、8時になると、かかとが痛くても痛くなくても出かけて観光スポットで真相を伝えました。観光スポットに到着すると、足の裏の痛みが治まりました。私は、自由に観光客の中に入り込み、中国人を見つけて、直接真相を伝え、三退を勧めることができました。しかし、帰り道は、いつも歩き心地が悪く、時々よろめいたりしました。そこで、私は足取りをゆっくりと、自分自身に普通に歩くように要求しました。歩きづらいことを習慣化させず、人々への印象にも影響を与えないようにするためでした。時々、私は心の中で師父に助けを求めました。
観光地には、中国人観光客のために写真を撮ってくれるカメラマンがいました。その日、そのカメラマンは突然笑顔で私に「夜になると、中国人観光客が増えてくるので、中国人がいなければ、絶対にやってはいけません。中国人がいる時に、やってください」と言いました。私は「師父は、彼の口を借りて私に、真相を伝えるには中国人を見つける必要があり午後の人々を重視し夕方にもまた来るべきだ、と言っているのではないか?」と心の中で考えました。その日、私は再びその観光地にやって来ました。私は、かなりの数の中国人観光客を見かけました。私は、彼らを見逃すわけにはいかないと思いました。
そこで、私は、朝と夕方に観光地に行って、中国人に直接真相を伝え、三退を勧めることを決意しました。私は、かかとの痛みがどうであれ、もう気にしませんでした。すると、もう痛みを感じることもなくなりました。数日後、私は坐禅をしていると、背中の脊椎がまっすぐに伸び、腹部が前に沈まなくなった(訳注:腹部が前に突き出る姿勢が改善された)ことに気づきました。私は、修煉者は座っている姿勢を正しく保つだけでなく人としてもより正直でなければならない、とい悟りました。また私は、自分が好きな足を組む習慣を改めなければなりませんでした。時々歩いていると、自分がとても大きく感じることがありました。
この修煉体験の結びに至って、私は自分の潜在意識の中に「自分ももう60歳になった。年齢を重ねれば、生老病死は宇宙の規律なのだ」という固定観念があることに気づきました。すぐに私は、大法弟子は師父に守られており低次元生命には管轄されていないのでこの考え方は旧勢力や邪悪な生命に隙を突かれ自分自身に生命の危険をもたらすのだ、ということに気づきました。私はすぐにそれ(訳注:旧勢力や邪悪な生命)を否定し、正念を発して妨害を取り除きました。
関を乗り越える中で、私は魔難の中で真理で物事を見ることを学び、感謝することを学びました。魔難の出現に感謝し、それが私の成長と向上につながったことに感謝しました。そして、心の中に平静と喜びを感じました。感情から理性へと物事を捉えることで、自分はより成熟し、怨みを捨て、心の中に敵がいなくなりました(訳注:他人に敵意を抱かなくなった)。また、魔難の中の同修が魔難を乗り越えるのがいかに難しいかを、より理解できるようになりました。私の心は広くなり、心境は平和になりました。そして、この過程で、私は観光地で中国人に真相を伝え三退を勧めることは私の誓約だ、ということを悟りました。観光地の人数が多くても少なくても、私は堅守し、私の誓約を果たし続けます。この1年間で、私は2000人以上の中国の観光客に対して三退を行いました。
その日の早朝、正念を発し終えた後、師父の新しい経文『険悪を遠ざけよう』を拝読しました。その時、私は、自分が乗り越えた病業の関や旧勢力の妨害は、自分が生々世々にわたって造ってきた業力であり、今生における修煉の難を促進したものであることを、心の底から理解しました。私は牛車水チャイナタウンや観光地で20年以上にわたり真相を伝え、三退を勧め続けています。多くの困難を経験し、なんと6回もの獄中生活も経験しました。困難や試練、魔難の中で、弟子は師父のご加持とご加護に感謝し、師父が何度も慈悲深く導いてくださったことに感謝申し上げます。これにより、弟子は自らの史前の誓約を守り、生命が大法の中で輝き続けるようになりました。
ありがとうございます、師父!
ありがとうございます、同修の皆さん!
(2023年シンガポール法輪大法修煉体験交流会の発表文章)