文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年2月16日】今年64歳の私は、1998年に法輪功を学び始めました。学ぶ前の私は、胃病を患い、また、鉱山で働いていたときに頭を怪我してから、長年、頭痛に悩まされていました。二重の苦痛から生きることに対して悲観的になり、毎日、苦痛に耐えながら限界まで働き、2人の子供のことを心配していました。
1998年の旧正月期間中、妻が『轉法輪』という本を入手しました。それを読んだ後、本当に良いことが書かれているなと思い、学び始めました。すると、それまでの病がすべて消え去り、力もどんどん湧いてきて、生活条件も徐々に改善されていきました。さまざまな機械を購入し、近所の人々が我が家に来て、師父の説法ビデオを見て、徐々に学び始め、我が家は自然と煉功拠点になりました。
1999年7.20に迫害が始まってから、警察は各家を周り、法輪功学習者を逮捕しました。そのため、我が家の煉功拠点も解散せざるを得なくなりました。法輪功を信奉しているため、私は2回、妻は3回不当に拘禁されました。警察はよく嫌がらせをしに来ましたが、私たちは修煉を怠りませんでした。2003年に、妻と2人で各村を回って法輪功迫害の真相資料を配り始めてからすでに20年が経過しました。
周辺の村はすべて回ったので、徐々に遠い場所まで足を伸ばします。田舎ですので、時には20キロ以上往復しました。午後2時くらいに出発すると、深夜2時にようやく帰宅できました。基本的に妻とペアで出かけ、出発前には発正念をしました。暖かい日は、昼食を終えてから出発し、徒歩で目的地まで向かい、お互いに、背負っている大きなリュック2つ分の資料をすべて配り終えてから帰宅しました。冬の間は基本的に夜7、8時頃に出発し、時には帰宅時間が深夜になりました。1日に30キロ以上歩くこともよくありました。
田舎では、基本的に街灯が設置されていないので、日が暮れると、道先が見えなくなります。ある日、20戸あまりの小さな村で残りの資料を配り終え、帰宅途中に険しい下り坂がありました。妻は不注意で体のバランスを崩し、その勢いで下まで転がっていきました。一般の人ならきっと怪我をして血を流していたでしょう。しかし、妻は心の中で「私は大法弟子です。師父が守ってくださいます」と言いながら立ち上がり、埃を叩いて再び歩き始めました。怪我もしていなければ、打撲痕もありませんでした。
このようなことは、まだたくさんあります。ある春の晩、妻と近くの村で真相資料を配っていました。一軒一軒回っている時、突然、資料が光り出したのです。すぐに「これらの資料は衆生を救う「良薬」であり、私は今後もこの道を歩んでいく」という一念が頭の中に打ち込まれました。そして、心の中で師父に感謝しました。
村を回って資料を配る以外にも、各村の集会(商売などの市場のような集まりのこと)の日に妻と一緒にその村へ行って、縁のある人に法輪功の素晴らしさを伝えます。
ある日、妻が現地の資料拠点から帰ってきて、同修Aさんの話を教えてくれました。夢の中でAさんが製薬の神様になり、その1粒1粒の薬はどれもキラキラしています。しかし、薬の数に限りがあるので、天上の神様は皆、薬をもらいにやってきたといいます。
Aさんは家に資料拠点を設置し、20年余りの間、周辺地域の需要に応えてきました。妻もよく彼女のところから資料をもらいます。Aさんの資料拠点のおかげで、この20年余りの間、私と妻は多くの村を回って資料を配ってきました。新旧の宇宙の移り変わりの際、大法の済度を求めに天上の神々は地上へ降りてきました。私たち大法弟子が配る真相資料はまさに「救いの良薬」であり、良薬を得て救われたのは普通の生命ではなく、その背後にある膨大な生命群なのです。
私たちが行っていることは大法のためでも、師父のためでもありません。お互いに助け合い、救い合っているのであり、誓約を果たしているのです。師父のご慈悲により、時間は何度も何度も延長されました。しかし、いまだに多くの同修が常人社会に迷い込んでいます。同修たちよ、この最後の修煉の道で後悔を残さないようしっかり精進していきましょう。