文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年2月20日】私は1996年5月、幸運にも法輪大法に出会って修煉を始めました。初めて大法に触れた瞬間から、私は大法の奥深い法理に震撼されました。それから、大法を学び、煉功をし、大法を広め、修煉することに没頭しました。慈悲の師父のご加護の下で、私はこの27年を駆け抜けてきました。
1999年7.20、中国共産党の江沢民は法輪大法の学習者に対して残酷な迫害を行い、多くの学習者の家が家宅捜索され、大法の書籍が押収されました。学習者が学法ができなくなったので、私は危険を冒して書店で購入した十数冊の大法の書籍を同修に贈りました。
2005年10月28日の夜、私が学法しようと、大法の本を取ろうとしました。大法の本がとても高いところに隠されていたため、本を取るために高い椅子を三つ重ねて立てないと取れなかったのです。その日、家に私一人だったので、椅子を立てて上に上がる途中、足が安定せず、落ちてしまいました。全身を動かすことができず、右手首の骨が高く突出していました。私は師父に助けてくださるように願い、左手で右手首の突出した骨を平らになるように押し、短冊状の布を拾ってそこを巻き包んでベッドに上がりましたが、もう起き上がることができませんでした。そのことをその日に誰にも連絡できず、一睡もできずに内に向けて探しました。歓喜心が生じたことで旧勢力に隙を乗じられていることがわかり、邪悪を根絶し、執着心を取り除くように正念を発し、法を暗唱しました。
翌日、夫が帰宅し、ちょうど親戚も家に来ました。親戚たちは、私がトイレに行くのに、腰を持ち上げる人、お尻を持ち上げる人、簡易便所を置く人の三人がかりでやっているのを見たのです。夫は私が一生不自由になることを恐れ、病院に行くように言ったのですが、私は断固として拒否しました。夫は、「もし妻を病院に行くことに説得できる人がいたら、私はただちにその人に三回叩頭する」と言いました!
師父は「一つ一つの難関に、修煉して向上していくか堕ちていくかの問題がかかっています」(『轉法輪』)と説かれました。
私は師父と大法を固く信じ、毎日ベッドの上で法を暗唱し、正念を発しました。この期間の毎日、何人かの同修が家にきて、私と一緒に学法し、正念を発し、家事などをやってくれました。3日後、私は師父のご加持の下、全身の激痛に耐えながら、1時間近くかかって起き上がり、タンスを背もたれにして、第二式の功法を煉りました。「頭頂抱輪」(頭上で法輪を抱える)のとき、カチカチという音がして、瞬時に全身に熱い流れが通りました。師父が腰椎を元の位置にしてくださったのだと分かり、涙が溢れ、心から「師父の慈悲深い救い済度に感謝します」と言いました!
冬休みになって、息子と娘が帰ってきて、私が転んだことを知り、私を病院に連れて行き、検査させることになりました。大法の奇跡を実証するため、私は腰椎のレントゲン写真を撮りました。背骨の二箇所の圧迫骨折がすでに治っていました。これほど大きな転倒が、お金もかけず、鎮痛剤を一錠も飲まずに治るなんて、常人なら誰も信じないのですが、これは事実なのです!
これは私が自ら体験した大法の奇跡です。このことを目の当たりにした親戚や常人が次々と大法の修煉の道に入りました。