文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年2月25日】以前、私はある夢を見ました。それは、同修Aさんの家での情景でした。同修の1人が2台の機械を持ってきたのですが、そのうちの1台は部品が足りず、もう1台は輸送中に先端の部品が外れたようで、これらの機械は動かすことができませんでした。Aさんの家で修理するのは不便だったので、私が持ち帰り、修理することにしました。私は機械のことで、Aさんを責めるような言葉を放ったらしく、Aさんは泣いてしまいました。 しかし、私はちっとも譲らず、帰る際に、Aさんに「言われるとすぐにめそめそして、それでも修煉者ですか! 」と叱りました。 同修の家を出ると自分の車が見当たりませんでした。私は左右の手に機械を抱えながらボーッと立って、引くに引けない状態になっていたのでした......。
その日の夕方、同修のAさんが「話したいことがある」と言って、私のところへ来ました。4つの話のうち、1件だけが私と関係のある話でした。その場で私は同修を責めました。彼女は非常に冷静に私にこう言いました。「何を焦って苛立っているのですか?」と、私は自分の夢の中での光景を思い浮かべながら、彼女が話した言葉を考えていました。夢の中で、私が左右の手に抱えていたそれぞれの機械は、まさしく「焦り」と 「苛立ち 」を見立てたものでした。機械の「機器」の中国語の発音は、焦りの「急」で、苛立ちの「気」と同じ発音なのです。「焦り」と「苛立ち」を手放すことを悟らせているのではないでしょうか!
私はすぐに行動に移す性格ですが、同時に焦りと落ち着きが足りないため、必然的にミスが多くあります。また多くの場合は物忘れが激しく、事態が思わしくなると不平不満が生じます。不平不満を口に出さない時は、心の中で拗ねていました。しかし、口に出してしまうと、愚痴ばかりを言っているのでした。「なぜ、あなたはいい加減なのですか? 基本的なメンテナンスもできないのですか?」と、同修を非難することもありました。そのため、周りの同修が振り回され迷惑していたのでした。
夢の中で同修を非難した私の行動は、心を修めておらず、外に向けて探している修煉状態の現れです。 機械の故障を直すのなら、まず「心を修める」ということを同修たちは理解しています。 基本的な態度として、まず 「穏」であることです。何が起きても冷静に対応することです。 同修が4つの話をしたとき、最初の1つは自分に関係することだったので、動揺したり怒ったりはしませんでした。 Aさんが、自分に関係することしか話していなければ、私は怒ったでしょうか? けっして怒ったりはしません。 最後の3つの話は、自分とは関係ないと判断し、落ち着かなくなり、怒りを感じたのでした。このようにして、私の「焦り」と「苛立ち」の心を取り除かせてくれているのではないでしょうか? 自分に無関係だと感じた3つの話は、正しく私の「焦り」と「苛立ち」をさらけ出させました。それを捉えて取り除くことができ、無関係と思われた話は、実は自分に関係していたのでした。
さらに、内側に目を向けることによって私は「利己心」を見つけました。1つ目の話に、不安や怒りを感じなかったのは、自分の利益に触れていないからです。しかし、無関係だと思った同修の話が、自分の時間とエネルギーに影響を与え、自分の計画や予定に影響をもたらし、つまり他人が自分の利益に触れたと感じたのでした。これは、自分の利己心に関わる問題ではないでしょうか? 修煉者には偶然な出来事は存在しないのです。悪いと思う出来事が実際には良いことであり、それはあなたの修煉状態と特定の執着心を放下できるかの試練なのです。
今後、私は焦りの心を放下し、気持ちを落ち着かせてしっかり修めます! そして、着実により良い調和のとれた環境をつくり、すべての同修を大切にして、堅実にこの最後の道を歩みます。一歩一歩着実に歩くことは大法の私たち修煉者への要求であり、素晴らしい修煉の実証となるです。
少しばかりの浅はかな認識ですので、間違っていたら、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。