【明慧日本2024年5月7日】牡丹江市の年配の法輪功学習者・趙軍さんは、2年以上にわたって新安警察署から嫌がらせを受け、濡れ衣を着せられた。今年4月12日、牡丹江市愛民地方裁判所で不当に裁判にかけられた。
4月26日午後、警官の案内で、裁判所の江氷氷(裁判長)と呉瀟が趙軍さんの家にやってきて、趙さんに懲役4年、罰金1万元(約20万円)の判決を宣告し、サインを求めたが、趙さんにサインを拒否された。
2021年2月14日(旧正月の3日目)の正午、趙さんは文化広場で、ある若者に法輪功について話していたところ、2人の警察官に新安警察署に連れて行かれ、当直の王シンに尋問された。 その後、王が顔認証機能を使って調べたところ、趙さんは2001年に不当に懲役7年の判決を受け、2008年まで刑務所に拘禁されていたことが判明した。
収監の前歴があるため、警官らは再度趙さんを司法的な迫害を加えようとし、趙さんの自宅を不当に家宅捜索をし、30冊以上の大法の書籍と法輪功師父の写真を持ち去った。その夜、当直の王警官は趙さんを15日間不法に拘束した。コロナ期間中だったため、趙さんは拘置所に入所しなかった。
2022年12月初め、新安派出所の警察は趙さんを刑事拘留しようとしたが、健康診断の結果、血圧が高すぎるため、趙さんは入所しなかったが、自宅監視下におかれた。 ほどなくして、新安派出所は趙さんを検察庁に送り、取り調べを行った。検察官は、趙さんに「罪を認めますか。刑罰を認めますか」と問いただした。 趙さんは「私は無罪です。お金もありません!」と答えた後、解放された。
2023年3月14日、趙さんは匿名で検察官の張念輝に手紙を送った。 3月21日、2人の警察官が趙さんを愛民検察庁に連行した。 検察庁で、張念輝検事は手紙を取り出し、「あなたが送ったのですか? なぜ送ったのですか?」と質問した。 趙さんは「法輪功の真実を知ってほしかったので送りました」と答えた。 張検事は「あなたの事件はまだ公安の管轄であり、私の管轄ではありません」と言った。 2人の警察官は趙さんを病院に連れて行った。趙さんはやはり血圧が高いため入所しないで家に帰った。
2023年末、趙さんは検察庁から不当に起訴されたことを知らされた。
今年4月12日午後、牡丹江市愛民裁判所は、趙さんに対して不当に裁判を行った。法廷で、趙さんの発言は常に裁判官に中断され、あまり発言することが許されなかった。
4月26日午後、この事件を担当した警察官が、江炳炳(裁判長)と愛民裁判所の呉暁と共に趙軍さんの家に行き、判決を言い渡した。趙さんはこの裁判を不服し、控訴すると答えた。 江裁判長は、「10日以内に控訴してください」と言い、「あなたは重い病気だから、身柄の拘束はしません」と言った。
趙軍さんは警官に殴られて障害を負った
2001年2月24日、牡丹江市南山派出所の謝春生所長と苗強副所長は、趙軍さん(当時40代)の自宅を訪ね、「ちょっと話があるので、玄関まで来てくれ」と言った。趙さんはスリッパのまま玄関に行くと、殴られ、パトカーに乗せられて南山派出所まで連れて行かれた。その夜、趙さんは3回の「ロープ掛け」(拷問の一種)をされ、3回も意識不明になった。警官らは硬貨で肋骨を擦り、竹の棒を指に刺して目を覚まさせた。その夜、趙さんの右腕は正中神経と脇の下の屈筋神経に重傷を負い(診断書あり)、両腕は恐ろしく腫れ上がった。
拷問のイメージ図:ロープ掛け |
そして、警察は、趙軍さんの息子である趙丹さん(法輪功学習者ではない)を学校から連行し、手錠をかけて暖房用のパイプに固定して、拷問を加え、トイレに行かせないようにし、父親を誹謗中傷するように強要し、さもなければ父親に3年の禁固刑を言い渡すといった。警官らの脅迫で息子は不当に父親の犯罪の証人になった。趙軍さんの妹・趙桂玲さんも迫害を受け、10日間、顔を地面につけ、殴られ、4本のロープで縛られ、からし油につけられるなどの拷問を受けた。不当な裁判は10カ月以上続いた。趙桂玲さんの腕と肩には傷跡が依然として残っている。
趙軍さんは拷問を受け、障害を負った後、7年の禁固刑を言い渡され、控訴は禁止された。
当時の趙軍さんの迫害は記録されている。 明慧ネットによると、2005年3月28日、「拷問及びその他の残虐な、品位を傷つける取扱いは刑罰に関する国連オンブズマン」の年次報告(オンブズマン報告)に、趙軍さんの拷問と傷害の事実が記載されているという。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)