【明慧日本2024年5月16日】5月13日は法輪功の創始者である李洪志師父の誕生日である。カナダのトロントの若い法輪功学習者(以下、学習者)たちは、師父の誕生日を祝い、師父から教えられた法理に感謝し、また、乱世の中で清廉潔白に振る舞えるようになったことに感謝した。
若者にとって、人生の奮闘の時期はちょうど始まったばかりだ。しかしこの過程において、人と人との利益の衝突は難しい課題である。以下はトロントの3人の若い学習者が、利益の試練に直面した際に、犠牲を払い、譲歩することで難局を乗り越えたストーリーである。
師父に誕生日のお祝いを申し上げるトロントの若い学習者 |
ビデオ、トロントの若い学習者「師父、お誕生日おめでとうございます」
譲歩することと争わないことは、かえってより大きな福の報いをもたらす
学習者の李西貝さん |
李西貝さんは35歳である。彼女はヨーク大学でMBAを取得した。現在、カナダの国営企業で上級マネージャーを務めている。
西貝さんは、修煉を始めた経緯について回想した。「母が病気になり、体の力を失っていました。祖母は母を治療するために様々な気功を学びました。祖母が法輪大法に出会い、母も修煉するようになったことで、母の病気は完全に治りました。私も一緒に学習することにしました。週末には家族と一緒に公園に行きました。多くの人々が一緒に集団煉功を行っています。通りかかった人たちが、煉功しているのを見て一緒に学ぶこともよくありました」
4年前、西貝さんは現在の国営企業に入社した。最初は彼女に教育を行うマネージャーがいたが、西貝さんは「最初は、マネージャーは私に対してとても良い印象を持っていました。しかし、昇進していくにつれて、私は彼女と同じ職位になったので、彼女は特に私をターゲットにしてきました」と言った。
2人とも上級マネージャーであり、仕事とメンバーを公平に分けるべきなのだが、仕事があるとすぐに、同僚が西貝さんと競い合い、さらには彼女のチームのメンバーまで奪った。その結果、西貝さんの手下はわずか7人しか残らず、同僚のチームには20人がいた。同僚は、全員が出席している会議中にいつも辛辣な口調で彼女に何をすべきかを伝えた。また、彼女のチームの人は西貝さんに、その同僚が彼女の後で、彼女に対して何を言っているかを伝えることもあった。
西貝さんは途方に暮れ、何をするか、どうすべきか分からなくなった。争えばチーム全体の仕事に直接影響を与えるだろう、しかし、彼女はその同僚と対立したくなかった。
最終的に彼女は、「譲歩」することを選び、対立を止めた。
彼女は「最も困難な時には、いつも師父が教えくださった法を思い出します。だから、私は自然の流れに身を任せ、争わず、奪わず、仕事と人員をすべて彼女に譲りました」と話した。
同僚に仕事を奪われた結果、西貝さんは新しいプロジェクトを考える時間を持つようになり、数カ月後、彼女は新しいプロジェクトを立ち上げた。上司は同僚が持っていたメンバーを再度西貝さんのもとに配置し、彼女に20人のチームを指揮させた。
西貝さんは、「私の仕事量は増え、対立も再び激しくなりました。重点が私の方に移った後、同僚は再び激しく怒り狂いましたが、私は自分がその中にいないような気がしました。彼女が理不尽なとき、私はただ彼女がとても辛そうで疲れていると感じるだけでした。彼女と名誉や利益を争う必要はありません。私はただ諦めるだけです」と話した。
西貝さんは、同僚を優しく扱い、彼女の仕事環境も徐々に変わってきた。同僚たちは、争わない西貝さんの姿勢に影響を受け、怒りも徐々に収まってきた。今では、彼らは普通にコミュニケーションを取り、協力して仕事をしているという。
最後に、西貝さんは師父に対して次のように述べた。「困難があることは、悪いことではないと理解しました。自然に任せることが重要です。困難に直面したとき、師父は私に放棄と譲歩を学ぶように教えてくださいました。それはとても難しいことでしたが、私ができるようになった後、仕事がスムーズになりました」
敷金は戻ってこず家主との連絡は取れなくなったが、その損失を淡々と見る
学習者の王祥さん |
王祥さんは今年32歳で、ジャーナリストである。彼は常にさまざまな書籍を読み、気功、儒教、道教、仏教などを学習していた。台湾の大学で学んでいたとき、教授から法輪功を紹介され、そして中国共産党による法輪功迫害の真実も聞いた。
『轉法輪』を一読した後、王祥さんは法輪功が正しい功法であり、人を善へと導くものであると感じたが、学習する決意はまだなかった。イギリスに行った時、地元の図書館で『轉法輪』を見つけ、再び手に入れたが、やはり読むのをやめた。
その後、経験を積む中で、さまざまな書籍を比較する中で、彼がずっと探していた真理は法輪功だけだと気づいた。それ以降、彼は修煉の道を歩み始めたという。
法輪功を学習する前、王祥さんは利益重視だった。しかし、修煉を始めた後、徐々にお金を重視しなくなった。卒業直後の王祥さんの給料は、それほど高くなく生活は苦しかった。彼は個人的な理由から、借りていたアパートを早めに退去する必要があった。家主は新しい入居者が見つかれば、敷金を返す必要があったからだ。彼は「私は入居者を見つけました。彼らも契約に署名しました。しかし、家主は口実をつけて敷金を返してくれず、後で私の電話にも返信しませんでした。アパートの敷金が私にとって大金だったので、不公平に感じました」と話した。
しかし、王祥さんは師父から学習者として利益を淡視するように教えられた。彼は「修煉をしていなければ、損をしたとき、私はそれを心に留めてずっと気にかけ精神的に崩壊したでしょうね。しかし、師父は私に、問題に直面したときに、他人の欠点を見るのではなく、自分の不足点を探すようにと教えてくださいました。私は、おそらく家主もこのお金を必要としていたのでしょう。私が急がしすぎて家主を不快にさせたのだと思いました。だから私は家主に謝りました」と言った。王祥さんは、敷金を取り戻せないときでも、学習者の楽観的な心構えのおかげで、金銭的損失に対して平静を保つことができたと話した。
師父の誕生日を祝して、王祥さんは「法輪功を学んで、私は金銭と利益を冷静な心で見ることを教わりました。何十億、世界中の富を与えられたとしても、私の信仰と善行の決心は揺るがないでしょう」と述べた。
苦しさを耐えられたら、大器に成る
学習者の蒋玲さん |
蒋玲さんは80年代生まれである。彼女は国際金融会社でアナリストを務め、資本市場で融資を受ける企業に対して資格評価サービスを提供している。
蒋玲さんは幼い頃、母親が病気で父親とよく口論していた暗い環境で成長してきた。この抑圧的な環境の中で、蒋玲さんの成績は中レベル以下だった。蒋玲さんが12歳のとき、母親は同僚の紹介で法輪大法の修煉を始めた。母親は真・善・忍に従って振る舞い、性格が温和になり、良妻賢母になるだけでなく、健康を取り戻した。
母親の変化を目にした蒋玲さんと父親は、法輪大法の修煉を始めた。家庭の雰囲気が和やかで温かくなるにつれて、蒋玲さんの学業成績もますます優秀になっていった。彼女は国内の重要な大学に入学し、学士号を取得した後、全国トップ3の大学に推薦入学し、修士号を取得した。学位を取得した後、彼女は国際的な大手企業に入社した。
国際金融会社で働くと、仕事の強度は高く、品質に対する要求も厳しく、業界関係者が受ける心理的な圧力は強かった。疲れて、蒋玲さんはいつもオフィスで最後になることが多かった。上司は彼女にさらなる仕事を割り当て、彼女は手がつけられなくなることがよくあった。その時、同僚は彼女に、あまり真剣に仕事をしなくても良いと助言した。
迷っているとき、蒋玲さんはたまたま『轉法輪』で心性を高める部分を読んだ。彼女は「私は、従業員として、仕事をしっかりとし、責任を果たす必要があると考えました」。したがって、客観的な財務評価結果をお客さんに提供するために、蒋玲さんは手間暇を惜しまず、常に夜遅くまで資料を調べ続けている。蒋玲さんは業界で素早く昇進した。
仕事中、ミスは避けられない。上司が責任を追及すると、蒋玲さんは自分の失敗を認めることにしている。ある時、システムが生成したレポートを提出する際、蒋玲さん は一部のテキストを削除するのを忘れてしまった。部門長が問題について質問した。蒋玲さんは、簡単にシステム障害だと言っていいぐらいの問題だったが、彼女はすぐに自分のミスを認めた。
蒋玲さんは、「時々、同僚が間違いを起こし、責任を私に押し付けると、私は静かに事を運ばせます。会社の上司が私に言ったことがあります。『あなたはボールを投げることを学ばなければなりません』と、私はそれを聞いて笑いました。私は、真・善・忍に従って行動し、事があったらボール投げは必要はないと思うからです。法輪大法は私に、利益や名誉の観点からではなく、道徳の基準で善悪を判断することを教えてくださいました」と話した。
最後に、蒋玲さんは師父に対して次のように感謝の意を表した。「師父、お誕生日おめでとうございます! 師父が私に真理を教えてくださったことに感謝いたします。その中で、私は本当に良いこと、悪いことを見分けることができるようになりました!」