文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年5月19日】今年の初め、私の住んでいる地域の同修Aさんが病気で亡くなった時、多くの同修がお香典を渡し、同修たちの名前は、亡くなったAさんの遺族によって香典帳に記されました。
ふだんから仲良くしているため、亡くなったら遺族にお香典を渡すのは当然のことだと思っている学習者が少なくありません。常人社会に生活している以上、親戚や友人、近隣の方々との贈答は、正常なことです。同修が亡くなれば、遺族を気遣いお葬式のお手伝いに行くのも悪いことではありません。しかし、修煉者は常人とは違い、修煉環境の神聖さと純潔さを保つことを忘れてはいけません。修煉者同士のお付き合いは「三つのこと」を中心に行うべきで、修煉、および真相を伝えることと関係ないことに対して、軽率にお金を動かさないほうが良いと思います。師父はずっと前に、「私たちには名簿もなく、誰それの個人情報も登録しません」(『長春輔導員法会での説法』)とおっしゃいました。これだけ多くの修煉者の名前が香典帳に記されたら、安全面の大きな漏れになるのではありませんか。
また、長年来、同修に手伝ってもらうのは都合がよいと考え、自分の子供の結婚式の準備に多くの同修の手を借り、結婚式に多くの同修を呼んでご祝儀をもらう修煉者も少なくありません。しかし、大法弟子の環境は修煉のため、衆生を救い済度するために存在しているので、結婚式のスケールを助勢するために利用していいものではありません。大法弟子からご祝儀を集め、真相を伝えるための貴重な時間を占用することは常人の生活に溺れる行為であり、現地の修煉環境を破壊する行為です。
迫害は20年以上も続いており、もしこのような現象がある地域で常態化しているならば、邪悪に迫害の理由を与えることになるのではありませんか。私は、同修がこのことについて考え、修煉に厳粛な態度で取り込むよう願っています。