文/中国の大法弟子 新宇
【明慧日本2024年6月15日】私は農村の家庭に生まれ、3歳の時に父が亡くなりました。母は私たち兄妹5人を一人で育ててくれました。私は幼い頃から体が弱く病気がちで、人生の苦労や逆境を味わってきました。いつも「なぜ人生は私にこんなに不公平なのか? 自分の運命はどうしてこんなに苦しいのか?」と疑問に思っていました。
私は人生に希望を見出せず、ただ消極的に生きていました。しかし、1997年3月のある日、友人の家を訪れたことをきっかけに、人生が大きく変わりました。友人たちが法輪功の経文を読んでいるのを聞くと、今まで感じたことのないような、言葉では言い表せないほど素晴らしい感覚が湧き上がってきました。慈悲深い師父は、真に修煉する者は皆弟子として迎え入れ、身体を浄化し、その後の人生を良い方向へと変えてくださる、と説かれました。私は突然真理を理解し、次第に多くの道理を理解するようになりました。それ以来、私は修煉の道を歩み始めました。
私は法輪功を修煉した後に体が大きく変化しました。私が法輪功を修煉した後に体が大きく変化したことを村の人々が見ていたので、私が法輪功の素晴らしさを話すと、皆聞いてくれました。当初、私の家を自発的にみんなの煉功場として提供しました。日中はみな農作業で忙しく、夕食後、私が煉功の音楽を流すと、人々が集まってきて煉功の様子を眺め、多くの人が一緒に煉功するようになりました。しばらくすると、70歳くらいの2人の老婦人が体の痛みや病気が軽くなったと感じました。多くの人がこの功法は本当に良いと言いました。私が家にいない時、学法するために同修が来ると、息子が彼らに法を読んで聞かせました。
1999年に中国共産党(以下、中共)が法輪功への迫害を開始して以来、人々は恐怖心を抱き、十数人しか一緒に法を学びに来なくなりました。師父は、私たちに法をしっかりと学び、迫害の真相を伝え、衆生を救い済度し、三つのことをしっかりと行うよう求めておられます。私は師父の要求に従って、会う人に「真・善・忍は宇宙の大法であり、中共が法輪功を誹謗中傷しています。天安門焼身自殺事件は偽物であり、党は人々を欺いています」と言いました。神は人々を慈悲で包み、私の師は人々を救うために法を伝えに来られたのです。そして、人々に「真善忍はすばらしい、法輪大法はすばらしい」と覚えておくように人々に伝え、大難が訪れた時に命を救うことができるようにしてくださっているのです。
その頃、時間さえあれば、私はリュックを背負って真相資料を配っていました。ある夜、9時過ぎに、私と家族(同修)と同修のAさんの計4人で、町からとても離れた山奥に真相資料を配りに行きました。私たちは4人で分担し、それぞれ一つのエリアを担当しました。資料を配り終わって同修の家族を待っていた時、奇跡が起こりました。暗闇に光が差し込み、師父が慈悲深い穏やかな姿で目の前に立っておられました。師父は背が高く堂々として、私に微笑みながら手招きしておられました。私はこのことを同修の家族に話しました。当時、夫もとても喜んでいました。夫は「師父はどこにおられますか? なぜ私には見えないのですか?」と慌てて尋ねました。
その日は夜明け近くまで山に登ってから下山しましたが、その時になって初めて、その三輪自動車用の路面が大小様々な穴だらけで、とても歩きにくいことに気づきました。夜中にバイクでどうやって山頂まで登ったのか、不思議でなりませんでした。
私はもともと家族間で協力のある家庭に育ち、家族全員が私の修煉を支えてくれました。当時、私は法輪功を学び、修煉を一度も休んだことがありませんでした。師父の教えに従い、常に他人のことを考え、善意を持って行動し、出会う人々に真相を伝え、誰に話しても真相を聞いてもらいました。真・善・忍に従って自分を律し、多くの衆生を救いたいという一心で、恐れる心を感じたことは一度もありませんでした。資料を配ることや真実を伝えることなど、外出するたびにすべてがスムーズに運びました。しかし、2012年のある日、民俗大祭があり、多くの人が参加する予定だと私たちは聞きました。私も深く考えずに、4人の同修と一緒に真相資料を配りに行きました。しかし、悪人に通報され、捕まってしまいました。
留置場で、中共の勢力が私を拷問し、真相伝えの状況を話すように強制しました。私は、人々に真相を伝え、人々を災難から遠ざけるために自分は存在しているのだと考えています。真・善・忍に従って自分を律することは、間違いではありません。そのため、私は中共の迫害に屈せず、7~8日間の絶食で抗議しました。(不思議なのは、何日も水滴さえ口にしていないのに、看守がトイレを見に行くと便の跡が残っていたことである)。ある日の夜、中共は私をトラの椅子に縛り付け、拷問しました。私の心は確固たる一念を新たに生み出し、師父のお言葉を思い出しました。師父は「師がいて、法もあるのに、何を恐れるのですか? 無視すればいいのです!」(『シドニー法会での説法』)と説かれました。
そのお言葉を思い出したまさにその瞬間、私の視線の端で、私の左側約5センチほどの太さの鋼鉄線でできた縄が垂直に立っているのを見ました。黄色い絹の服を着た孫悟空がその鋼鉄線でできた縄を掴んで上へ登っており、登りながら私に微笑んでいました。この情景は、私に師と法を信じる正念をより一層強めてくれました。その日から、中共が私を尋問し、何か言わせようとしても、私は必ず大法の真相を彼らに伝えました。その間に、私の監視をしていた女性警官1人を説得し、彼女は党を脱退しました。その時、その女性(訳注:女性警官)は涙を浮かべながら「私のために親切に忠告してくださりありがとうございます。それなら、脱退します」と言いました。
その期間、看守は毎日交代時に私が何も食べていないのを見て、説得し、私に何を求めているのかを尋ねました。私は歌いたいと言うと、看守たちは「いいですよ」と言いました。私は「法輪大法はすばらしい」を歌いました。歌い終わると、看守たちは拍手喝采しました。さらに1曲「師父に喜んでいただきたい」を歌いました。歌詞が「新年の新たな始まりに弟子はさらに精進し、師父に喜んでいただきたい」に差し掛かると、涙が溢れ出てきました。しかし、歌声は依然として澄み切っていました。
歌い終わると、看守たちはみな私に拍手喝采し、まるで自分が何のためにここにいるのかを忘れてしまったかのようでした。
後に私たち(訳注:民俗大祭に真相資料を配りに行った4人の同修と私)は冤罪判決を受け、私は3年の刑(後に2年半に減刑)を言い渡されました。強制的に女子刑務所に送られ、暴行と屈辱を受けました。刑務所の看守たちがトイレブラシを私の口に押し込もうとするなど、私はあらゆる拷問を受けました。最もひどい暴行を受けた時のことを覚えています。家族が面会に来た時、私は這ってやっと面会室のドアまでたどり着くことができました。釈放されて家に帰る時、私は迫害によって腰がまっすぐ立てなくなりました。しかし、私は大法への正しい信念を揺るがすことはありませんでした。
家に帰ってからは、毎日『轉法輪』を学び続け、師父の各地での説法を体系的に学び、内に向けて探し続けました。私は、自分が仕事そのものに対する強い執着と自分を迫害した人々に対する恨む心を持っていることに気づきました。仕事への執着心と恨む心が、私が深刻な迫害を受けた原因でした。また、人を救うには純粋な慈悲の心を持つ以外に方法がないことを悟りました。そうしてはじめて、真に衆生を救い済度することができるのです。
以上が、私の個人的な修煉体験です。不適切な点があれば、同修のみなさんの慈悲深いご指摘をお願いします。
合掌
(明慧ネット「5.13」世界法輪大法デーの入選文章)