文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年6月19日】 姑は今年80歳を超え、肌は白く、顔色がよく、一日中笑顔で、元々あった胆嚢炎も全治しました。 お正月に親戚が集まると、私のことを「いいお嫁さんをもらった」とみんなに自慢します。
姑は高校の時に学業に専念し、勉学の面で成績も良かったのです。その時代は文化大革命の前期に当たり、「家族構成」が問題だと言われ、大学受験を許されず、このことが姑の人生の悔いとなったのです。 姑の父親も同じ問題で迫害により脛を損傷し、姑の兄は師範大学を卒業しましたが、「黒四類」の肩書きを背負って10年以上も石切り場で働き、姑も姑の兄も結婚生活に影響が出ました。
文化大革命は姑の人生をほとんど変えてしまいました。姑がどれほど 中国共産党政府を恐れていたか想像がつきます。姑は邪党が流した噂を聞いていた為、大法迫害の真実を受け入れようとしませんでした。 一度だけ、寝る前に『共産党についての九つの論評』という書籍を姑の部屋に置いたことがありました。翌日、彼女は顔を真っ赤にして大汗をかき、実家に決着をつけたいと騒いでいました。 このことから私は『共産党についての九つの論評』の威力を深く理解できました。
舅が病気になったとき、夫は単身赴任中で離れていました。私は24時間つきっきりで病院で舅に付き添い、看病しました。 姑は足が悪かったので家で休ませ、病院の近くにはまともなお店がなかったので、舅のために遠くまで歩いておいしいお弁当を買いに行きました。 同じ病棟の人たちは、私を舅の娘だと思っていましたが、私が嫁だと聞いて、舅を果報者だと讃えました。 舅が亡くなった後、夫は途方に暮れてしまい、義兄と義姉はよそ者で、当地の風習も知らないので、私が全部取り仕切って、葬儀は立派に行いました。 姑は体面を気にする人なので、その後、夫の兄に 「お父さんのお葬式は弟の嫁さんのおかげだよ 」と言ったそうです。
私は日常生活において、常に姑を気にかけていたのですが、姑に仕えるのはそんなに生易しいことではありません、時には叱られることもあります。 もう何年も前のことですが、子供がまだ3歳にもなっていなかったある日の夕食時、姑はこう言ったのです「お姉さんは妊娠して、お腹がかなり大きいのに、まだ働いている(当時、義姉の夫は単身赴任中で周りには誰もいなかった)」。 翌日、私は見つけたばかりの仕事を辞め、姑に「お母さん、あなたはお姉さんのところに行ってください」と言いました。
姑はきれい好きです。 引っ越しの際、結婚祝いに姉からもらった毛布を収納に困るからと束ねてタンスにしまっていたら、それを見た姑が私を戸棚の前に呼び「あと何回結婚するつもり? 毛布が嫌いなの、それとも毛布をくれる人を軽蔑しているの?」と言い、 私が返事をしなかったのを見て、姑は続けて「私の戸棚を見て……」と言ってきました。夫は私と姑の間に入ってきて「おふくろと同じ人はいるのか?」と姑に一言言いました。 彼女は息子の反論を聞いて、突然怒り出しました。姑はとても厳格で、子供たちにノーと言わせることはありませんでした。しかし、私は姑の言ったことが一理あると思いました。私は姑ほどきれい好きではなく、ちょっと不精者だったからです。それ以来、自分のだらしないところを徐々に直しました。
舅が亡くなった後、姑は私たちと同居するようになりました(以前は娘の家に住んでいました)。 姑は足腰が悪いので、義姉に迷惑をかけたくないから私たちの所を選んだのだと言う人もいます。 でも、私は決してそんなことは思っていません。 私の家は姑の家なのです。
姑は少しずつ、大法弟子と常人の違いがわかり、次第に大法の真相を受け入れるようになりました。姑は今、優しくて伝統を重んじるお年寄りになりました! 姑の変化を嬉しく思っています。