文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年6月24日】最近、交流文章で法に従わない学習者の現れがよく言及されますが、問題の現れ方は異なり、現象も様々で、混乱し、複雑なように見えても、それは新しい問題ではなく、やはり大法が伝え出された初期から今日まで、学習者の中でよく起きる問題です。例えば、天目が見えたものや功能に対する執着、法に従わず人を崇拝する、人心で修煉に対処する、邪に悟り法を乱す、旧勢力に弱みを握られ、長期にわたって妨害され迫害されるなどです。これらはすべて古い問題ですが、具体的な現れ方は異なります。師父はこれらの問題を説法の中ではっきりと説かれましたが、依然として学習者たちの間でこれらの問題が繰り返され、多くの学習者を悩ませ、修煉と人々を救う環境を妨害しています。結局のところ、やはり法をしっかり学んでいないことが原因だと思います。 法をよく学び、法の勉強を続けていれば、これらの問題はどれも問題になりません。
一部の学習者は、法を勉強する初期の段階では、いくつかの問題を明確に理解できなかったかもしれませんが、その後、さまざまな理由で、学法について行けず、その結果、それらの問題はまだ明確に理解されていません。このような問題に遭遇したとき、どのように正しく対処するか分からないのです。
一部の学習者は、最初はきちんと法を学び、法理が分かりましたが、後になってさまざまな原因で法を学ぶ時間がなかったり、法の勉強が疎かになったりする状況が続き、多くの基本的な法理を忘れてしまいました。そうすると、人間の考えが優勢になり、問題にぶつかるときに人間の考えを用いて対処し、法に則って問題を見ることを思い出せなくなりました。
一部の学習者は魔難の中にいるため、常に法を学ぶことができないので、人心で魔難に対処してしまい、魔難はさらに大きくなり、そこから抜け出すことがさらに難しくなります。さまざまな状況において、根本的な原因は法をよく勉強しておらず、法理をよく理解できず、問題に遭遇したときに法を以て物事を測る方法を知らず、結果として人間の方法に頼っているためです。結局、問題を解決できないだけでなく、問題をより複雑で解決することが難しくなり、自分自身を迷わせてしまい、何をすべきか分からなくなります。実はこれらの問題は法を勉強することによって解決できます。
私はかつて、大法修煉を真に理解していなかったため、学法の重要性を理解できず、法をよく学ばず、知らず知らずのうちに旧勢力が用意した道に入り、言うまでもなく旧勢力によって仕組まれた絶望的な状況に陥ってしまいました。必死に抜け出したいのに、出口が見つからず、苦痛と無力感と絶望が募るばかりです。同修との交流はある程度の効果はありますが、根本的な変化はありませんでした。同修と交わした認識や意見が法に則っていれば問題ありませんが、法に則っていなければ、誤った方向に導き、マイナスの作用をもたらす可能性があります。
その後、私は決心してすべてを一時的に脇に置き、法を勉強するだけにしました。落ち着いて、『轉法輪』を最初から最後まで勉強し、法を得たばかりの新しい学習者のように、師父の最初の説法から順番に学び始めました。何の観念も目的もなく、法を学ぶ速度や量を求めず、ただ心を込めて一字ずつ学び、表面的な意味を理解したいと思いました。このように学法することによって、取り除くことが不可能だと思っていた悩みが解消されました。また、答えが分からなかった難題が解決され、絶対に絶望的だと思われたことに希望が見え、何をすべきかが分かりました!
法を学ぶ過程で、慈悲深い偉大な師父は私を旧勢力が仕掛けた行き詰まりから一歩ずつ導いてくださいました。法をより深く学ぶにつれて、私がこれまでに遭遇したすべての魔難は、私(私が代表する世界の衆生を含む)が宇宙の成、住、壊、滅の過程で宇宙の特性から逸脱したことによって引き起こされた問題だと理解しました。また、私が生々世々で作り出した罪業、および旧勢力がこの人生で意図的に私に按排した色欲、嫉妬、怨恨の心によっても引き起こされていることに気づきました。法に従ってこれらに対処する方法、そして将来どのように進むべきかがますます分かりました!
法をしっかりと学び、法理をはっきり理解してこそ、問題に遭遇したときに初めて自分自身を把握し、正しく対処する方法を知ることができます。法をしっかり学ばなければ、問題に遭遇すると、法の力がなくなり、自分を把握できなくなり、弁別と対応する能力がなくなります。
問題や魔難に陥った同修に、解決策を見つけたいなら、法を学び、心から師父と大法の助けを求め、あらゆる妨害を取り除き、心を静めて学法することが最善の方法だと提案したいです。本当に法を心に刻み、法をしっかり学べば、どんなに難しいことでも、「柳暗花明又一村」(『轉法輪』)を体験することができます。