文/中国の大法弟子 浄心
【明慧日本2024年7月3日】(前文に続く)
昼休みに家に戻った時、心の中は言い表せないほどの緊張と悲しみに満ちていました。今回、私が捨てなければならないのは、金銭への執着です。定年退職を控えており、今の仕事は楽で忙しくなく、多くの人に羨まれるポジションです。法輪功を続けることを選べば、この全ての快適さを失う可能性があり、迫害に直面するかもしれません。これからの生活はどうなるのか、周囲の人々はどう思うのか、そして自分の待遇が大法の印象に悪い影響を与えるのではないかと心配しています。自分の修煉が不十分であること、情や利益への執着、恐れる心、強がり、安逸心、苦労を避けたい心、口を修めていない、色欲、おしゃれな服を好むなど、多くの執着心を思い出しました。師父の慈悲に申し訳ないと思いながら、頭の中は様々な思いで混乱していました。
その日の午後、数台の車が学校に入りました。私はオフィスに座り、何も考えずに法の一部を心の中で暗唱しました。
情報を知ったその夜、私は絶え間なく発正念しました。このようなことが起こったのは、自分の修煉に漏れがあるに違いないと思いました。その時期はちょうど、同僚との対立が生じてから7年が経過し、多くの執着を少しずつ放下してはいましたが、完全ではなく、特に闘争心が時折出ます。泣きながら師父にこう言いました。「師父、私が悪かったです。闘争心が強すぎます。闘争心、嫉妬心、恨む心などを捨てたいです。師父、どうか助けてください、それらを取り除いてください。彼女(対立している同僚)を食事に誘い、心から謝りたいと思っています」。その時、胸のあたりに大きな丸い悪いものが溶け去ったように感じました。不思議なことに、彼女と過去の出来事を思い出しても、心は平静で、争いや恨みが私から遠ざかっていったようでした。これまでの長い年月で初めて、彼女を思い浮かべても心に一切の嫌悪感や憎しみがありませんでした。その日、私は学法と発正念を続けて行い、自分の執着を探しました。
十数日後のある朝、上司が私を呼び出し、「今日の午後に政法委員会、610弁公室、公安局などから成る調査団が職場に入り、調査を行い、さらなる行動があるかもしれない。教師の職に就けるかどうかも問題で、あなたは修煉を放棄するという『保証書』を書かなければならない」と言いました。私は「この仕事から解雇されても、何も書かないつもりです。私は良い人間で何の悪事も働いていません。国や政府は、私をこのように扱うべきではないと思います」と即答しました。
私は、師父の法を唱えることだけを考えていました。
「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」(『轉法輪』)。
「大法を堅く修め心動かず 次元の向上こそ根本である 試練に直面し本性を見る 功成って圓満成就し、佛、道、神となる」(『精進要旨二』「真性を見る」)。
ずっと暗唱して、心が緊張すると、心の中で「師父、どうか助けてください」と叫びました。いつ誰かが「会議室に来るように」と私を呼び出すかもしれません。10分、15分、30分、1時間、2時間経って、放課後になっても、誰も私を呼びに来ませんでした。最終的に、その迫害は跡形もなく消えました。偉大な師父が守ってくださったと、私には分かっています。
法輪功を修煉しているため、何度も上司に呼び出され、何度も危険に直面しました。しかし、私と関わる全ての人が私に悪意を持っているわけではなく、彼らは政治的任務を遂行しているだけだと、私に分かっています。逆に、彼らは彼らなりの方法で私を守ろうとしてくれたのかもしれません。彼らが私の信念を理解できないかもしれませんが、私は良い人間で真面目に生活し、真面目に働いています。「邪」という文字とは無縁だと、私に接触したどの上司も分かっています。
法輪功について話しに来る人々に対して、私は心からの願いを持っています。つまり、私一人の大法弟子を迫害することで自分の命を破滅させるような、悲惨な運命に陥る人が一人もいないようにしたいのです。どんなに過去に恩恵があり、争いがあったとしても、私と知り合い、接触し、縁がある全ての人が正しい選択をし、大法や大法弟子を迫害せず、美しい未来を手に入れられるようにと心から願っています。
20年以上の修煉を経て、法輪大法は私の命の深いところに根付いています。私は大法の中の一つの粒子であり、大法のためにこの世に来たのです。私自身にまだしっかり修めていない点が多くあります。特に、安逸心が強く、長年しっかり煉功をしていないのは私の弱点です。師父の期待にはまだほど遠く、私の修煉は精進している他の弟子たちと比べても大きな差があります。これからは、一層努力して精進し、三つのことをしっかりと行いたいと思います。
(完)
(明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)