文/中国遼寧省の大法弟子
【明慧日本2024年7月4日】私は2005年10月20日から法輪大法を修煉し始めた82歳の大法弟子です。大法弟子は現実社会のなかで真・善・忍に従って、良い人を目指しています。ここで、過去のできごとについて交流したいと思います。
2008年の旧暦12月30日、私は市場へ買い物に行きました。帰る時、市場の入り口の道端に立っていた私は道路を渡ろうとして、まず東の方向を見て車が来ないか確認しました。次に西の方向を確認しようとしましたが、その前に、すでに一台の車が私の目の前を走って来ており、私は一瞬にしてその車にぶつけられて倒れました。
車の車輪が私の右足の上を通り、綿入れの革靴が押しつぶされました。車には二人の若い夫婦が乗っていました。車の所有者は車から降りて「病院に行きましょう!」と言いました。私は「大丈夫です。病院には行きません」と答えました。車の所有者は「まず靴を買ってあげましょう」と言いましたが、私は「買わなくていいです」と答えました。
その時、私の頭に浮かんできたのは師父の説法でした。「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います。もうお年も若くないので、常人なら怪我をしないはずがありませんね? しかし、彼女はかすり傷さえ負っていませんでした。物事の善し悪しは人間の一念によるものだと今申しましたが、もし彼女が路上に倒れたまま、『もう駄目です。ここも駄目、そこも駄目だわ』と言ったならば、それで本当にあちこち骨折して、半身不随になっていたかも知れません。いくらお金をもらったとしても、後半生は病床での寝たきり生活では、気持ちよくしていられるでしょうか?」(『轉法輪』)
そのとき私は「歩いて帰れないから、私を家まで送ってください」と言うと、その夫婦は急いで私を家まで送ってくれました。帰り道で、私は彼らに大法が広く伝え出されていることを伝え続けました。また彼らに三退(中国共産党の党、青年団、少年先鋒隊から脱退)するよう勧めると、彼らはすでに脱退したと言いました。
自宅のある住宅棟の前に着くと、1階に住む老婦人が、私が車から降りるのに苦労しているのを見ました。私の右足が車の車輪にひかれたことを知ると、「なんとしてもレントゲン写真くらい撮らないと」と言いました。その時、新年を迎えるために帰っていた次男も、やはりレントゲン写真を撮るようにと私に言いました。そして、車の所有者も積極的にレントゲン撮影を勧めました。 とうとう私は病院に連れて行かれて、レントゲン撮影をしました。病院に行く途中、私はその夫婦に「あなたたち2人は薬を買わないでくださいね。私は薬を飲みませんので」と話しました。
病院に着くと、足が腫れており靴が脱げませんでした。医者が何とかして靴を脱がせてくれたのですが、真っ黒に腫れ上がった足が見えました。かなり怖い状況でした。その後、誰かが私にスリッパを渡して、それを履くように言いました。レントゲン撮影する医師は、「どうして泣かないのですか? なぜ大声を出さないですか?」と聞きました。その言葉を聞いて、私は泣かなかったばかりか、笑っていたのでした。
私は心の中で、「数日後、私はあなたのところに戻ってきて、大法の実態を伝え、あなたが救われるようにしてあげる!」と思っていたのです。なぜなら、私は大法弟子であり、師父がそう教えてくださったからです。
レントゲン写真を撮った後、私は再び車の所有者に家まで送ってもらいました。次男も家に着いていました。車の所有者の夫婦は息子に500元を差し出しましたが、息子はそれを受け取ろうとしませんでした。彼らがお金を押し付け合っているのを見て、私は「金はいりません。私をぶつけたのは故意ではないでしょう」と言いました。車の所有者の奥さんは、感動して私を抱きしめて泣きました。
そして、「電話番号を残します」と言いました。私は「いいえ、ご心配なく。あなたたちに迷惑をかけません。大法を修煉していなければ、こんなことはできません。なぜなら、私たちは何事でも先に人のことを考え、人を先に自分を後にし、無視無我になるようにしているためです」と話しました。
足が良くなった後、私は同修と一緒にタクシーで車の所有者の家に行き、彼の両親に大法の実態を伝えて三退を勧めました。
すると、車の所有者の両親は「本当にいい人に会えた!」「ありがとう」と言いました。私は「これは大法の師父が私に教えてくださったことなので、大法の師父に感謝してください」と言いました。
編集担当者:洪揚