【明慧日本2024年7月5日】長春市の法輪功学習者・田玉春さん(75)は、今年4月18日に同市二道区金銭堡派出所の警官に連行され、長春市第一留置場に拘禁された。現在、濡れ衣を着せられた田さんは、長春市朝陽区検察庁に送検されている。
6月20日、田さんは嘔吐や腸閉塞で苦しんでいたが、留置場側はそれでも田さんと家族の面会を拒否した。
田さんは1997年の春に、『轉法輪』という本を読んだ後、深い教義に感銘を受け、人は返本帰真するために生まれてきたのだと理解した。それから、物事が起きた時は他の人を優先し、徳や善を重んじ、真・善・忍に従って、良い人になるように自分を要求した田さんは、患っていた心臓病、腎炎が好転し、飲酒とタバコの習慣を止めた。
1999年7.20、中国共産党の江沢民は、権力を行使して法輪功への全面的な弾圧と迫害を開始した。そのため、田さんは何度も拘束され迫害を受けた。2002年3月11日、田さんは待ち伏せしていた警官に南街派出所に連行された。その後、同市第三留置場に送られ、30日間の刑事拘留を受けた後、1年間の労働教養処分を受け、朝陽溝労働教養所に拘禁された。
教養所に入った当初、田さんは毎日、朝5時に起床してから夜10時まで、食事のほか、ずっと小さなプラスチックの椅子に座らされた。そして、刑務所の規則を暗記させられ、動くことも許されず、動くと殴られた。これを1週間続けて行われ、臀部の皮膚が腐った。その後、田さんは四大隊に入れられ、入った直後、班長と受刑者に手を後ろに回され、鉄のベッドのはしごの空いたスペースに頭を入れられ、木の棒でお尻をひどく殴られた。長期拘留の結果、田さんは疥癬になり、皮膚から膿と汁が流れ、耐えがたい痒みがあった。毎日茹でたキャベツと粗いコーンミール(飼料用)の蒸しパンを食べさせられていた。
2024年4月18日、田さんは自宅から二道区金銭堡派出所の警官4人によって連行され、家にある法輪功の書籍などの私物を押収された。当時、警官が家族に「5月1日前に市局から枠を与えられたので、派出所に連れていって、供述を取るだけだ」と、田さんを連行する理由を言った。
しかし、その翌日、田さんは長春市第一留置場に連れて行かれ、身体検査を受けさせられた。身体検査の結果、高血圧や脳梗塞、網膜剥離(光の感覚はあるが、ほとんど物を見ることができない)など、報告書に書いてあった。これは拘禁の条件を満たしていないが、葦子溝留置場は強制的に田さんを受け入れた。
その後、田さんの家族は留置場に苦情を言い、障害者連合に助けを求めたが、結果は得られなかった。その後、弁護士に面会を依頼したが、留置場側は、「法輪功は政治犯で、家族との面会も弁護士との面会も許さない」と言って、弁護士に案件の受理をしないよう、「受理するなら弁護士の資格を奪ってやる」と、脅迫した。