文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年7月6日】大法を修煉する前、私たちは4人家族で、娘が2人いました。夫は1995年に他の人と事業を一緒に立ち上げました。経済的な問題で、事業パートナーと対立し、パートナーに裏切られた後、夫は自殺しました。当時、下の娘はまだ2歳にもなっていませんでした。
この大きな悲劇は私を絶望の淵に突き落としました。私は苦しみ、ほとんど抜け出すことができませんでした。そこから解放されることだけを切望していました。息子を失った年老いた義母の苦しみや幼い娘たちを見て、私は彼女たちを見捨てることに耐えられませんでした。結局、私は生き残り、夫が残した事業に取り組むことを選びました。
夫の事業資金は高利のローンで、商品代金も多額の回収ができず、借金返済もままならず、私は追い詰められ、絶望し希望も失いました。身体は衰え、日常生活もままならない状態でした。
1998年12月29日は、私にとって忘れられない日でした。かつての同級生が、私の惨めな様子を見て、とても心配してくれました。彼女は私に『転法輪』を一冊渡し、「これを読んで下さい」と言いました。私は礼儀としてそれを家に持ち帰りました。その本を読んだ後、長い間心の中に抑え込んでいた感情が突然解放されたように感じました。
1カ月後、1999年の旧正月が近づいた頃、私は3年間掛けっぱなしだったカーテンを外して洗濯しました。3年間片付いていなかった台所を徹底的に掃除しました。義理の妹はそれを見て、泣きながら「あなたはもう働けるようになったのね!」と言いました。私は「私も働けるとは思っていませんでした。こんなに早く健康が回復しました。大法は私に新しい人生を与えてくれました」と答えました。
人生の意味は名声や富を追い求めることではなく、そのようなことに無関心で、真・善・忍の教えに基づいて道徳を高め続け、心性を養うことだと理解しました。同時に、本当の自分に戻る必要があります。私は事業を閉鎖し、仕事を見つけることにしました。当時の私の月収は360元(約7,800円)でした。しかし、健康状態が改善し、人生の目的が分かったので、お金があってもなくても幸せだと感じました。
私の義理の両親は7人の子供を育てました。4人の息子はそれぞれ月に50元(約1,080円)ずつ義理の両親にお金を渡しましたが、私は100元を渡していました。義理の両親が最愛の息子である私の夫を亡くして以来、私はさらに親孝行をして、義理の両親の傷ついた心を慰めてあげなければならないと感じました。
私は2002年に再婚し、現在の夫も大法を修煉しています。夫には息子が一人、私には娘が二人いて、家族は5人です。私たちの家族と親戚は皆、同じ村に住んでいました。私たちの村は2017年に移転する予定でした。私と元夫はアパートを所有していましたが、80平方メートルの小さな家と120平方メートルの大きな家の2つの家に移転する予定でした。また、亡くなった元義理の両親が残してくれた40平方メートルの家も譲り受けました。
私は継母家族なので、住宅の割り当てには困難に直面しました。住宅をめぐる一般人の激しい争いを目の当たりにし、私は大法の教えに導かれ、この問題をうまく処理し、私利私欲の厳しい中で法を実証する必要がありました。
長女はすでに結婚していて、自分の家を持っていました。私は彼女と家のことについて話しました。「これまでの事実から判断すると、新しい家はあなたと妹のものになるはずです。弟の戸籍はここにありません。しかし、私たちは大法修煉者です(長女も修煉者)。弟と妹は二人とも結婚できる年齢ですから、大きい家を妹に、小さい家を弟にあげましょう」。長女はすぐに同意しました。
しかし、娘の叔母の中には反対する人もいました。話し合った結果、義理の息子がその小さな家に住めることには渋々同意しましたが、家は長女の名義のままでした。
その後、状況はすぐに変わりました。娘の一番上の叔母が、自分の家と私の120平方メートルの大きな家を交換することを提案しました。最初、私は交換に消極的で、「自分だけの大きな家が一つあればいいのに」と考えていました。叔母は経済的に裕福で、家を何軒も持っていました。しかし、修煉者として、私は大法の基準に従い、まず他人のことを考えなければなりません。叔母が私の大きな家を気に入ってくれるなら、交換するつもりでした。
叔母の家族は80平方メートルの家が2軒あり、そのほかにもさまざまな大きさの家があります。私は自分の120平方メートルの大きな家を叔母の80平方メートルの家のうちの1軒と交換することにしました。その結果、80平方メートルの家と、40平方メートルの余分なスペースが残りました。交換後、80平方メートルの家が2軒、交換で余った40平方メートルのスペース、そして元義理の両親からもらったもう1つの40平方メートルのスペースができました。2つの40平方メートルのスペースを合わせると、移転後にさらに80平方メートルの家ができました。村への移転により、最終的に80平方メートルの家が3軒になりました。3人の子どもたちはそれぞれ家を持つことができ、住宅問題は解決しました。
村の女性が私に近づいてきて、「家のうち一軒をご主人の息子さんにあげると聞きました」と尋ねました。私は「はい、私は3人の子供を平等に扱っています」と答えました。彼女は「政府が法輪功について何と言おうと、私は自分の目で見たことを信じています。あなたは子供たちのために本当に素晴らしいことをしています。私はあなたと同じことはできません」と言いました。
私の下の娘には別の省から来たボーイフレンドがいます。彼らは私たちの街に定住することを計画していました。2021年にパンデミックが一時的に緩和されたとき、ボーイフレンドの両親が子供の結婚について話し合いに来ました。当初、彼らは息子の結婚式のために私たちの地域に家を買うことを計画していました。私はそれで完璧だと思いました。下の娘は家を持ち、夫と私は最初に彼女に与えられた家に住めるし、もう家を借りる必要もありません。
しかし、夫は「今の住宅市場は不安定だから、将来の義理の両親が家を買うのはタイミングが悪い。娘の結婚式に80平米の家をあげよう」と言いました。私はこれを聞いてとても嬉しくなりました。普通の人が自分の利益を争う中、私たち修煉者はこのような無私の決断ができるのです。
家の分配の過程で、親戚や友人は誰も理解できず、「家を全部子供に与えたら、将来あなた達はどうするの?」と聞いてきました。しかし、私たちが決めた結果を見て、彼らは大法弟子を尊敬しました。
娘たちはそれぞれ家を持っています。息子はというと、もともと家を買う望みはあまりありませんでした。80平方メートルの家を半分に分割し、叔母と交換した40平方メートルのスペースは現金で支払われましたが、それは市場価格の70%程度で、家を買うにはとても足りませんでした。
息子に家を与えるという約束をどう果たすかと悩んでいたとき、私は緊急にお金が必要な人に出会いました。その人は80平方メートルの家をたった25万元(5.4百万円)で売ると申し出ました。私がそれを買ったとき、誰もそれがこんなに安い値段だと信じませんでした。以前、親戚や友人に大法について話しても、ほとんどの人は耳を傾けず、受け入れませんでしたが、今は受け入れてくれます。
師父が私たちに与えて下さったものは最高のものです。私の義理の家族は互いに誠実に接しています。争いが起きても、大法の法理が解決し、私たちの家族は調和と幸福の中で暮らすことができます。
法輪大法は私たちにすべてを与えて下さいました。法輪大法は私の家族を祝福して下さっています。