【明慧日本2024年7月18日】呂洞賓(りょ どうひん)は、貞元14年(798年)4月14日に生まれた唐の時代の人で、蒲州永乐県の出身。姓は呂、名は品、字は洞賓、呂洞賓は純陽子と号されました。彼は八仙人の一人で、父親の呂譲は海州の刺史(長官)を務めました。
言い伝えによれば、呂洞賓が生まれたとき、部屋は香りで満たされ、天上の音楽が響き渡り、一羽の白い鶴が空から降りてきて、帷(とばり)の中に飛び込んで見えなくなりました。彼は生まれながらにして金形木質・鶴頂亀骨・虎の体に龍の髭、鳳の眼が天を仰ぎ、両眉は髪のよう、首は長くて顎が露わになり、額は広くて体は丸く、鼻筋は高くまっすぐで、肌の色は白黄色、左眉角に一つ黒い痣(あざ)があったと言われています。幼少期から聡明で記憶力が良く、口からは文章が滑らかに出てきました。成人後、身長は八尺二寸に達しました。淡い黄色の笑顔で、微かな髭があり、三本の髭を生やし、華陽巾を好んで被りました。唐の会昌年間、両親の命に従い、長安に試験を受けに行きました。
ある日、長安の酒屋にいたところ、青衣に身を包んだ道士が現れ、壁に三首の絶句を書き留めました。
一、「座して臥して常に酒壺を持ち歩き、双眼に皇都を知らしめず。乾坤が大きくても私の名前は知らず、人間において堂々たる一人の立派な男であり」
二、「道を得たる真仙に易く逢うること無く、いつか帰るを願いて共にする。古の言葉によれば、住まうる所は連なりて海にあり、それは蓬莱の第一の峰なり」
三、「歓楽や談笑を求めることに満足してはならに。なぜなら、離散や混乱を考えることは心を傷つけるからだ。暇な時があれば、身の回りに静けさや平和を感じる人がいるかどうかを数えてみればよい」
呂洞賓はその人の姿や風貌が奇妙で古風であることに驚き、その詩の意味深く流麗なことに感嘆し、礼をしました。道士は『あなたも詩を作ってくれませんか。私はあなたの志を見たいのです』と言った。呂洞賓は筆を受け取り、次のように書きました。
「儒家に生まれ、太平を享受し、懸鞍は重く布衣は軽い。世間で名誉や利益を追う者は誰か、天上の玉皇(道教における最高神、天界の支配者)に仕え、玉清宮に上ることを望む」
道士は詩を見てから『私は雲房と言います。終南山の鶴嶺に住んでいます。あなたは私と共に旅に出ることができますか?』と言いました。しかし、呂洞賓は約束しませんでした。
雲房と呂洞賓は一緒にこの店に泊まることになりました。雲房は呂洞賓のために飯を炊きましたが、呂洞賓は突然眠りに落ちました。夢の中で彼は進士になり、高官になり、富家の娘を二度娶り、子供をもうけ、家族は増え、富み栄えました。約40年が過ぎ、彼はさらに丞相になり、10年間権力を握りました。しかし、うっかり重罪を犯し、全財産を没収され、妻は離れ子供は散り散りになり、荒野に追放され、孤独な身となりました。吹雪の中で立ち上がり、長いため息をついたとき、突然目が覚め、鍋の中の米がまだ煮えていないことに気づきました。
雲房はそばで笑いながら「黄粱はまだ煮えていないが、一夢で華胥(楽土)へ行った」と言いました。呂洞賓は驚いて「先生、私の夢をご存じですか?」と尋ねました。雲房は「先の夢に、浮き沈みと栄辱のすべてが示されたであろう。50年は一瞬であり、得るとも喜びに値せず、失うとも悲しむ必要もなく、世人の一生はまるで一つの夢に過ぎない」と言いました(「黄粱一炊」(黄粱一炊の夢、邯鄲の夢)」のことわざの由来)。呂洞賓は悟り、そして雲房に師として拝謁し、この世を超越する方法を求めました。雲房は呂洞賓にいろいろな試練を設け、「あなたの気骨はまだ完璧ではない。仙人となるためには何世も経なければならない」と言って行きました。呂洞賓は儒学を捨てて隠遁(いんとん、俗世間を離れ修行に専念すること)しました。
呂洞賓が師事した後、雲房は十回にわたって呂洞賓を試しました。
試練その1:呂洞賓がしばらく家を不在にして帰宅したところ、家族が全員が病に倒れ、亡くなっているのを目にした。彼は動揺することなく、穏やかに死者を埋葬しようとしたところ、死んでいた家族はまた生き返った。
試練その2:呂洞賓が市場で物を売っているとき、客と交渉して商品の値段が決まったが、買い手はその値段の半分しか払わなかった。これに対して呂洞賓は、何も言わずに商品を買い手に渡した。
試練その3:ある日、家の前に1人の乞食が来たとき、呂洞賓はすぐに適当な額の金銭や物を渡したが、乞食は感謝するどころか、物が足りないと言って呂洞賓を罵った。これに対して、呂洞賓は笑顔で謝った。
試練その4:呂洞賓が山中で羊を放牧していたとき、空腹のトラが駆けてきて羊の群れを追いかけた。呂洞賓が羊の群れとトラの間に立ち、羊を守ろうとしたところ、トラはそこから離れた。
試練その5:呂洞賓が山中の山小屋で修行していると、18歳前後の絶世の美女が小屋を訪れ、実家に帰る途中で道に迷い、日も暮れ足も疲れたので小屋で休ませてほしいと言った。呂洞賓は承諾した。夜になると、この女性はあの手この手で呂洞賓を誘惑し、一緒に寝るよう求めた。呂洞賓は心を動かすことなく固く断った。女性は3日後に立ち去った。
試練その6:呂洞賓が遠方に出かけて家に帰った時、家の財物はすべて盗賊に盗られ、食糧さえも無くなっていた。呂洞賓は怒ることもせず、自ら耕作をはじめた。ある日、畑を耕していると、数十枚の金貨を掘り出した。しかし、呂洞賓は一枚も取らずに、そのまま金貨を埋めた。
試練その7:呂洞賓が街で銅器を買って帰ると、その銅は全部金だと分かった。呂洞賓はすぐ銅器を売ってくれた人を見つけて返した。
試練その8:ある瘋癲持ちの道士が、市場で薬を売っており、「この薬を飲んだらすぐ亡くなり、転生して得道できる」と話していた。10数日が経っても、その薬を買う客はいなかった。呂洞賓がこの道士の薬を買うと、道士は「速やかに死の支度をするが良い」と話した。呂洞賓はこの薬を飲んだが、何も起こらなかった。
試練その9:呂洞賓が客船に乗って河を渡っていると、河の水が急に氾濫し、風も波も急に激しくなった。乗客はみな恐怖に陥ったが、呂洞賓は穏やかに座ったままで、全く様子を変えなかった。
試練その10:呂洞賓が密室で一人で修行していたところ、突然、目の前に無数の化け物が現れ、殴りかかって彼を殺そうとした。身体が血だらけの一人の鬼のようなものが、「あなたは前世で私を殺した。今日はその借りを返してくれ」と泣きながら、呂洞賓を責めた。呂洞賓は「人を殺したならば、命で償わなければならない」と話し、刀を探しに行って自殺してその命で返そうとした。すると急に、空中に大声が響き渡り、化け物たちは一瞬のうちにすべて消えた。
その後、雲房が現れて、「私はあなたを10回試したが、あなたはすべて心を動じさせることなく乗り越える事ができた。必ずや仙人に成就することができるだろう」と言いました。
それで、呂洞賓は雲房と共に鶴嶺に到着し、雲房はすべての真秘訣を呂洞賓に伝授しました。しばらくして清溪の鄭思遠と太華施真人が東南から雲に乗って来て、互いに挨拶した後、一緒に座りました。施真人が「横に立っているのは何者ですか?」と尋ねました。雲房は「呂海州の息子です」と言いました。言い終わると、雲房は呂洞賓を二仙に拝謁させました。 二仙が去った後、雲房は呂洞賓に「私は天帝に会いに行くつもりです。その時、あなたの功績を上奏し、あなたも仙籍に入れるようにします。あなたもここに長く滞在しないでください。10年後、洞庭湖で会いましょう」と言って、雲房は霊宝畢法と数枚の霊丹を呂洞賓に授けました。その時、二仙が金簡宝符を手に持ち、雲房に「天帝からの命令で、あなたは九天金塔の仙人を選ぶよう指示されました。すぐに出発してください」と言いました。 雲房はまた呂洞賓に「私は奉勅に従って天帝に謁見に行きます。あなたは人間界でしっかり行い、功徳を積み、その時に私と同じようになれるでしょう」と言いました。呂洞賓は再び拝礼して「私の志は先生とは異なります。私は衆生を救い済度し尽くさなければ、天に昇ることを望みません」と言いました。 そして、雲房は雲に乗ってゆっくりと去っていきました。
呂洞賓は南方に旅して澧水に至り、蘆山の鐘楼に登ると、祝融君に出会いました。祝融君は呂洞賓に天遁剣法を授け、「私は大龍真君であり、かつてこの剣を持ち邪悪な魔物を斬り捨てました。今、あなたに悩みを断ち切るために贈ります」と言いました。その後、呂洞賓は初めて江淮を旅し、巨大な蛟(みずち、水中に住む妖怪)を斬り捨てることで霊剣を試しました。10年後、洞庭湖に到着し、岳陽楼に登ると、雲房が突然天から現れ、「私は前の約束を果たしに来ました。天帝はあなたの親戚全員を荊山の洞府に住まわせるよう命じました。あなたの名前はすでに玉清籍に記されています(仙人として刻まれたという意味)」と言いました。
言い伝えによれば、その後、呂洞賓は400年以上にわたって姿を現したり隠れたりし、湘潭岳鄂、両浙江淮などを連れて頻繁に旅しました。宋の徽宗政和年間に、呂洞賓は好道真人として封じられました。