文/海外の大法弟子
【明慧日本2024年7月21日】米国大統領選挙が近づいています。私は最近、メディアプロモーションチームの一員としていくつかのイベントに参加しました。そこで人々と交流する中で、党派心への執着が非常に明らかになりました。
私は、ある主要政党の理念に賛同するようになり、その政党内の多くの人々も私たちのメディアを認め、高く評価していました。私は彼らと交流することを楽しみ、彼らの候補者が選挙に勝って私たちを支援してくれることを望みました。
しかし、大法修煉者として、私達はすべての人を救うべきです。特定の政党に執着し、一般の人々に助けを求める心を持ち、ある政党を他の政党より好むことは、人々の政治的所属、職業、その他の区別に関係ないのです。人々を救うことは、人心のみを対象に救うことだということを私は忘れていました。実際、どちらの党にも善良な人々がいますが、人類全体の道徳的退廃として善良ではなくなった人々もいます。
師父はこう説かれました。「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」(『轉法輪』「第一講」)
「大法弟子はほかでもなく、救いを得るための希望を人々に伝え、救いえる生命を回帰の道に導いているのです」『台湾法会に参加する大法弟子へ』
師父は『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」でこう説かれました。
弟子:台湾の現在の環境は大法弟子の心によってできたのか、それとも旧勢力の按排なのでしょうか?
師父:このように話しましょう。旧勢力はもちろん按排しましたが、大法弟子がしっかり行なうことができなければ、あなた個人にとっての修煉の問題になります。ある地区の大法弟子がしっかり行なわなければ、その地区に人心によってもたらされるトラブルが現れ、学習者の間に人心によってもたらされる問題が現れます。もっと多くの大法弟子が台湾地区にある問題を正しく対処できなければ、その地区の環境に影響してしまいます。もちろん、台湾の大法弟子がしっかり行なわなかったと言っているのではなく、一部のことに対して旧勢力が妨害しています。例えば、当初大法弟子に泛緑(はんりょく)陣営と泛藍(はんらん)陣営を区別する人心がなければ、今日の情況はさらに良くなります。最初からこのことを言い続け、私にはこの問題の結果がすでに分かっていましたが、一部の学習者はやはり党派を重く見るという人心を修煉よりも大事にしています。人心はなかなか取り除かれないものです。
アメリカの二大政党間の分裂が深まっているのは、大法弟子が政党に執着しているからだと分かりました。どちらかの政党が好きか嫌いかは、どちらも人間の感情です。この感情を乗り越えて、私はどの政党の人に対しても、より客観的に向き合えるようになりました。この認識は、メディアが中立的かつ客観的な立場を保つことができるという自信と知恵を与えてくれました。真実かつ客観的な報道の原則を守り、伝統的な価値観を守り、すべての生き物に慈悲の心で接すればいいのです。
同修と一緒に再び師父の経文を復習しましょう。
修煉は政治ではない
一部の学習者は、社会や政治に対して不満を持っており、この強烈な執着心を抱いて放さず、そのためにわたしたちの大法を学んで、大法を利用して政治に関わることまで企んでいます。これは佛を冒涜し、法を冒涜する汚れた心理による行為です。この心を無くさなければ、絶対に圓満成就することはできません。
わたしは説法の中で再三、強調しているのですが、常人社会の形式は、それがいかなる社会や政治であろうとも、すべて定めがあって、天によって定められているのです。修煉者は人間の余計なことにかまう必要はなく、政治闘争に加わることは、なおさらしてはいけません。社会がわたしたちをどう扱っているかといったことは、修煉者の心を試しているのではありませんか? わたしたちが政治に関わったと言ってはいけません。
わたしたちの大法の修煉形式とは、ほかでもなくこのようなもので、いかなる国内外の政治勢力にも頼ってはいけません。それらの勢力を有する人は、修煉者でない限り、わたしたちの大法のいかなる名誉ある、そして実質的な責任者にも、決してなってはいけないのです。
弟子たちよ、皆さんは真に修めているということをしっかりと覚えておいてください! 皆さんは常人の名、利、情を放下した人ですが、社会の制度がどうであるかなど、皆さんの修煉と何の関わりがあるでしょうか? 執着が一つも漏れることなく無くなるまで修めて、初めて圓満成就できるのです! 修煉者は本職の仕事をきちんとこなすこと以外、政治、政権などに興味を持つことはありません。そうでなければ、決してわたしの弟子ではないのです。
わたしたちは、修煉者が法を得て正果を得るようにすることができるだけではなく、社会の人心を善に向かわせることもできるので、人類社会の安定に対して有益なのです。しかし、大法は人類社会のために伝えたものではありません。皆さんが修煉して圓満成就できるようにするためなのです。