文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年7月24日】私は1998年に法輪大法の修煉を始めました。長年にわたり、大法の原則に従って修煉の道を歩むことで、様々な試練を乗り越えてきました。私は数多くの奇跡を目の当たりにしたので、そのうちの2つを皆さんにご紹介したいと思います。
昨年の7月中旬のある日、同修の叔母が私の家に来たので、私は『轉法輪』をもう1冊手に入れられないかと叔母に尋ねました。他の同修が、時々私の家に来て一緒に法を学んでおり、手元に本がもう1冊あると便利だと思っていたからです。
叔母は翌日、『轉法輪』の本を1冊持ってきてくれました。私はそれを手にすることができて、とても嬉しかったのですが、よく見ると、本の小口が長年の使用で汚れていました。
「どうしたらきれいにできるだろうか」と私は考えながら、師父の肖像画の前に本を置きました。それから、ある同修のところに行き、本をきれいにする方法について何かアドバイスがないかと尋ねました。
彼女は、消しゴムを使ってみたらどうかと提案しました。そこで文房具店に行きましたが、探していた消しゴムはありませんでした。私はがっかりしました。私は本当に本をきれいにしたかったのです。
ところが、家に帰って『轉法輪』の本を手に取ると、驚いたことにきれいになっていたのです。叔母に本を見せながら、「ほら、『轉法輪』の本がきれいになった! 師父が私たちのために『轉法輪』の本をきれいにしてくださったのです!」と言いました。
「わあ、奇跡です! 師父はいつも私たちのそばにいらっしゃるのですね」と叔母は興奮して言いました。私たちは喜び、何度も師父に感謝を申し上げました。
このことから、私達の言動が大法の基準にあえば、師父は何でもしてくださるということを学びました。
二番目の出来事は、昨年の8月7日に起こりました。数人の同修が私の家に来て、「師父の講義をビデオで観たい」と言いました。しかし、DVDを再生すると、なぜか講義の「第一講」の長い部分が欠けていました。
私はとても心配になり、数人の同修に、別のビデオ講義を作るのを手伝ってくれるか尋ねましたが、誰も手伝うと言ってくれませんでした。
私は別の同修のところに行って、DVDを借りてコピーしようとしましたが、彼女は家にいませんでした。帰る途中、突然、師父の教えの一節を思い出しました。
「…なぜならわたしは無数の法身を持っており、それらはわたしと同じように非常に大きな神通力と法力を備えており、大きな神通力と大きな法力を発揮することができるからです。…」 (『轉法輪』「第三講」)
家に着くと、叔母に「師父の講義DVD を観ましょう。師父がDVDを修復してくださったと思います」と言いました。ほぼ同時に、私たちは師父の教えを復唱しました。
「師父に何でもでき、何でも正し戻すことができますが、…」(『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」)
私は DVD をプレーヤーに挿入し、同修たちの到着に備えました。同修らが到着するとすぐにDVD プレーヤーの電源を入れ、「第一講」を最後まで観ました。欠落部分はありませんでした。同修たち皆がとても喜び、「師父はいつも私たちと一緒にいてくださっている! 何でも助けてくださる!」と言いました。
師父はこう説かれました。「わたしの法身は何でも知っています。あなたが何を考えているかも全部知っています。そして、わたしの法身は何でもできます。あなたが修煉しなければ、何も面倒を見ませんが、修煉すれば、最後まで助けてあげます」 (『轉法輪』「第四講」)
「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」(洪吟二 『師徒の恩』)
本当に師父のおっしゃった通りでした。師父の慈悲なる救い済度に心から感謝いたします。