【明慧日本2024年7月26日】現代社会の中で、科学を信じている人は、神への信仰と敬い、祭祀(神々を祀ること)などに対して、すべて迷信だと見做しています。神へ豊かなお供え物をすることによって、加護を授かると信じている人もいます。では、昔の人は祭祀や供物をどのように考えていたのでしょうか。
神による祝福と災い
中国春秋時代を扱った歴史書の『国語』には、周の恵王15年(紀元前662年)、虢国(かくこく)の莘(しん)というところに神が降臨したと記録されています。恵王は内史(古代中国の官職)に尋ねました。「これはどんな理由からだ? 以前にもこのようなことがあったのか?」
過という内史は答えました。「はい、ありました。もし国が栄えようとするならば、その統治者は明晰で、中正無邪 (きわめて公正で邪心がないこと)で、精誠清廉(純粋な誠実さと心清く私欲がないこと)です。統治者が思いやり深く謙虚であれば、その徳は十分に神々に届き、神々から祭祀の承諾を得て、民を団結させることができます。この時、賢明な神々は彼の国に降臨し、彼の徳政を観察し、祝福を与えます」
「一方で、もし国が滅びようとしているなら、その統治者は財物や利益を求め、邪悪で異端であり、欲望と放蕩に耽り、仕事を怠り、愚かで専制的でしょう。その政治は堕落しているため、神々には認められません。このような国の刑法は悪を容認し善を罰するものであるため、国民に二つの心を抱かせます。この時、神々も降臨しますが、それは、その国の統治者の邪悪と暴虐を観察し、災いを下すためです。ですので、神々がいることで国家が栄えることもあれば、滅びることもあります。かつて夏、殷、周の王朝が興亡したとき、神々が現れたという記録があります」
恵王は尋ねました。「では、今度の神々の降臨の責任は、誰が負うのか?」
過は「虢国です」と答えました。恵王は「それは災いなのか、祝福なのか?」と質問しました。
過は「義と仁を守って神に会うことを福を迎えるといい、淫邪を犯して神に会うことを災いに遭うといいます。私は、虢国が政治を怠ったために滅亡する可能性があると思います」
恵王は質問しました。「では、私はどうすればいいのか?」。過は答えました。「太祝と太史を神々に会いに行かせてもよいのですが、何も願わないでください」。そこで恵王は言われたとおりにしました。
過も、彼らを追って虢国を訪れました。すると、虢国の王は太祝、太史を祭祀に遣わし、神々に土地を与えてくれるように頼んでいました。
戻ってきた過は、このことを恵王に伝えました。「虢国は滅ぼされるでしょう。彼らは心から祭祀を行わず、神に加護を求めています。彼らがそうしているように、神々は必ず彼らに災いをもたらすでしょう。彼らが国民を愛さず、国民を過度に使えば、国民は必ず背を向けるでしょう。誠心誠意に神に捧げることが「祭祀」で、国民を愛し守ることが「親愛」です。今、虢国の王は自分の利己的な欲望を満たすために国民の力を酷使しています。神へ加護を求めながら国民を裏切り、神々を怒らせているのですから、利益を求めるとはどれほど難しいことでしょう!」 実際、周の恵王19年、北虢国は晋に滅ぼされました。
徳は神を敬う供物
『春秋左氏伝』(しゅんじゅうさしでん)には、魯の僖公五年(紀元前655年)、晋の献公が南虢を伐つために、二度も虞(ぐ)から道を借りたという記述があります。
虞国の大夫(官名)宮之奇(ぐうしき)は「虞と虢は唇歯輔車(しんしほしゃ:お互いが助け合うことによって成り立つ。唇を失えば歯も寒くなる)」の関係であることを示し、晋に二度目の道を貸すことを止めました。しかし、虞公は見識が浅く、晋からの財物を切望し、晋は同族だから自分に危害は加えないだろうと考えていました。また「私の祭祀の供物は豊かできれいだから、神々はきっと私を守ってくださるだろう」と言いました。
宮之奇はこう答えました。「神々は個人と親しくするのではなく、徳に基づいていると聞いています。ですから『周書』には、『天は近くにいる人と遠くにいる人を区別せず、徳のある者を神々は加護する』と書かれています。また、『犠牲によって捧げられた穀物には香りがなく、徳こそ神に受け入れられる芳香がある』とも言われています。そして『人が持ってくるお供え物は、神々の目にはみな同じように映りますが、徳のある人の供物だけが真の供物である』と。 こうしてみると、徳がなければ人々は安らかではなく、神々も供物を楽しみにしてはくれないようです。神が見るのは徳だけです。もし晋が虞を奪った後、盛徳を芳香を放つ供物として神々に捧げられたとしたら、神々は受け入れるでしょうか?」
虞公は宮之奇の忠告を聞かず、晋の使者に同意しました。宮之奇は一族を連れて逃げました。彼はこう断言しました。「虞は今年の旧暦の節句を乗り切ることはできないでしょう。この二度目の道を貸す期間が過ぎれば、晋はこれ以上兵を出すことはありません」。この年の冬、晋は南虢を滅ぼしました。そして、その帰途、晋は虞を滅ぼし、虞公を捕らえました。
結論
神々への崇拝を迷信とみなしたり、富や幸運を祈るために神々に供物を捧げたりする現代人とは異なり、古代の人は、神々は祝福をもたらすこともあれば災いをもたらすこともあると考えていました。その根拠となるのは、供物が豪華であるかではなく、徳が高いかどうかだと考えていたのです。