文/北京の大法弟子
【明慧日本2024年8月2日】私は1993年から法輪大法を修煉し始めた北京の大法弟子で、今年82歳です。師父のご加護のもと、30年以上修煉の道を歩んできました。1998年、大法を守るために数百人の大法弟子が北京テレビ局に陳情に行ったことがあり、幸運にも私も参加しました。その尊い体験を今、皆さんと共有したいと思います。
1998年5月30日、北京テレビ局へ陳情
まず、北京テレビ局陳情事件のいきさつを簡単に紹介します。1998年5月23日、北京テレビ局の「北京特急」という番組は、科学者の何祚庥が法輪功を誹謗する内容を放送しました。放送の後、北京と河北省の数百人の法輪功学習者が手紙を書いたり、または直接テレビ局に行ったりして、放送内容が事実と大きく異なると指摘しました。1998年6月2日、北京テレビ局は事情を理解した後、前回の法輪功に関する放送がテレビ局設立以来最も重大な誤りだったと認め、責任者1人を解雇しました。しかし、1999年7月20日になると、中国共産党(以下、中共)が法輪功に対する公然とした迫害を開始してから、1998年の北京テレビ局陳情事件はまたメディアに悪用され、法輪功を攻撃する素材として報道されました。
1998年、紫竹院の煉功点には多くの学習者がおり、約8000人がいたので、さらに牡丹亭と西南門の2つの煉功点に分かれ、数十の学法グループがありました。当時、私は紫竹院煉功点の輔導員で、その後、西南門煉功点に行きました。そこには2000人余りの学習者がいました。
毎朝、グループ煉功が終わって8時から10時までの間は、私たち輔導員のグループ学法の時間でした。1998年5月30日の朝、私たちは北京テレビ局の誹謗的な報道について話し合い、最後に、翌日とその次の日にテレビ局へ行って真相を伝えようと決めました。
北京テレビ局は西南門煉功点からバスで2、3停留所の距離です。5月31日、自転車に乗れる人は自転車で、乗れない人はバスか徒歩でテレビ局に向かいました。私が入っている学法グループに9人がいて、配偶者の病気のために行けなかった一人を除いて、残り8人は全員行きました。他の学法グループからはそこまで多くの人が行っていないと思います。これは、法輪功には組織がなくて、私たちはただ情報を同修たちに伝えて、参加するかどうかは各自の判断に任されて、命令や強迫が存在しないことを示しています。結局、テレビ局への陳情には700~800人しか行っていなくて、これは北京の通常の煉功参加者数のごく一部でした。当時、紫竹院だけで8000人以上が煉功していました。
5月31日と6月1日、北京テレビ局で
1998年5月31日、煉功を終えた後、私はある年配の同修と一緒に自転車でテレビ局へ向かいました。8時前に到着し、その時はまだ人が少なくて、10人未満でした。紫竹院煉功点の副責任者は私たち輔導員に、「静かで平和な態度を保って、それほど喋らないで」と注意しました。8時を過ぎると、テレビ局のスタッフが来て、大きな丸いテーブルを設置し始めました。約17、18台のテーブルがあり、スタッフの人数が足りないのを見て、私と数人の学習者は椅子を並べるのを手伝いました。
全国からの学習者が次々と到着し、時々、記者が行き来して写真を撮っていました。私たちのテーブルを担当していたのはカメラを持った若い男性の記者でした。私たち十数人が輪になって座り、法輪大法の素晴らしさ、それを学んだことによる心の変化、身心両面の浄化、日常生活で真・善・忍を実践することの大切さについて話し合いました。若い記者は静かに耳を傾けていました。午前11時過ぎ、昼食を作るため、私と数人の学習者は自転車で家に戻りました。
翌日、1998年6月1日に、朝の煉功を終えた後、私はテープレコーダーを家に置いて、また自転車で北京テレビ局へ駆けつけました。8時を過ぎて到着すると、四方八方から集まった学習者が非常に多くて、入ることができないほどでした。外の二本の大通りの両側も人で溢れかえっていました。テレビ局の局長は「中には人が多すぎるから、これ以上入れないでください」と指示しました。
私は現場を行き来しながら秩序を保ちました。皆、中で何が起こっているのか、事態の進展を知りたがっていました。だんだんと、皆が近くにいる同修と修煉体験を交流するようになりました。時折、「一体、何が起きたのか。法輪功は素晴らしいもので、病気を治すほか人々に善良であることを教えてくれる。良い市民が多くなるのは良いことではないか」という声が聞こえました。そのような特別な場所で異なる地域からの大法弟子が集まり、修煉の体験を共有することは、まるで法会を開いたようでした。ただし、法会の主催者は真相を知らない北京テレビ局のスタッフでした。
帰路に、私と数人の学習者が自転車に乗りながら、テレビ局に過ちを認め、改め、大法と師父の名声を挽回するように要求する必要があると討論しました。そこまで数年間の修煉の基礎があって、師父の功法伝授クラスに何回も参加したことがある古い弟子としての私は、恐れる心が一つもなく、自分のことも一切考えず、ただ「法輪大法は正しい法である。私の命まで大法から得たものなので、師父が誤解されているこの重要な時期に、弟子として大法を証明し、守り、広めるべきだ」と強く思いました。
私はこの宇宙で最も幸せな人だ
1カ月余り経って、師父は「根を掘る」と「誰のために存在するのか」の経文を発表されました。学ぶことで個人の修煉と大法を証明し守ることの関係性をより深く理解しました。
私たちの学法グループのメンバーは新経文を学んだ後に交流をしました。二つの経文は、北京テレビ局のことに関連して書かれたものだと私は悟っているので、自分の見解を述べました。ほかの同修も「恐れる心をまず除去しないといけない。恐れる心がある限り、大法を実証することを何も行う勇気がない」と次々に意見を述べました。
翌年4月25日に、中国と全世界を震撼させた中南海陳情事件が発生しました。私たちの学法グループは一人残らず、全員中南海に行きました。自転車を持っていない人は歩いて行きました。皆が法を正す進展にしっかりとついてきました。
法輪功の修煉者として、法輪功を広め、証明し、守る責任があると思います。そのような活動に参加するかどうかで、全く違います。参加しなかった人は、個人の何かのために障碍を乗り越えられず、参加しなかったと思います。参加しなければ、その事の意味を理解することができません。参加した人は、師父からのご加護を受け、一歩一歩確実に、平穏に今日に至りました。師父に感謝します。1998年5月と6月に北京テレビ局に陳情に行ったことを誇りに思っています。
1999年7月以降、私はほかの修煉者と共に天安門の建物に登って「法輪大法は素晴らしい」と書かれた横断幕を掲げたことがあります。2015年5月、江沢民告訴が始まった時、私と周りの修煉者は一早く訴状を郵送して、行動が速い北京の大法弟子の中でも、我々の行動が一番早いほうです。師父のご加護のもと、何の迫害を受けたことがなく、平穏に修煉を続け、今日に至りました。師父に感謝します!
「おばあちゃん、どこへでも行って、何も恐れないのはなぜ?」とよく人から聞かれます。私はいつも「何も恐れていない。私に師父がいて、大法があるから。私はこの宇宙で最も幸せな人だから。師父は、『わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります(『轉法輪』)』と説かれています」と答えています。