文/山東省の大法弟子
【明慧日本2024年8月4日】私は年配の女性弟子です。1997年に大法の修煉を始めました。真・善・忍に従って良い人になるよう努め、職場では何度も優秀な労働者として表彰されました。修煉を始める前は心臓が悪く、心筋の血流が不足しており、季節性の手の皮むけがありましたが、修煉後はすべて治り、病気もなく体が軽く感じました。師父に感謝しています。
一、師父が守ってくださり、重度の一酸化炭素中毒から回復
2001年の冬至のことです。当時は暖房のために練炭を燃やしていましたが、午前2時頃、夫が気分が悪くなり、私に薬を取ってくれと言って私を起こそうとしましたが、私はどうしても目が覚めませんでした。夫は私が一酸化炭素中毒にかかっていることに気づき、すぐに120番(救急)に電話し、隣人や下の階の住人を呼びました。しばらくして救急車が到着し、隣人と夫の4人が担架で私を救急車に運び、急いで病院の救急室に搬送しました。病院ではすぐに酸素吸入が施され、点滴の準備がされました。その時、私はようやく目を覚ましました。その時は朝6時でした。
この数時間の間、私はずっと、意識を失っていました。目を覚ました時、病院にいることに気づき、付き添っていた隣人にここにいる理由を尋ねると、「一酸化炭素中毒だったんだよ」と言われました。その時、私は酸素を吸入していることに気づきました。看護師が点滴の準備をしていましたが、私はすぐに師父が守ってくださっていると感じ、「点滴は不要です、大丈夫です」と言いました。医師は私が強く主張するのを見て、「さっきは非常に危険だったんですよ。点滴しないのなら、結果について自己責任を負うとここに署名してください」と厳しく言いました。私はすぐに署名し、夜が明けるとタクシーで帰宅しました。
隣人を家に帰らせ、夫も仕事に行かせたあと、私は少し休んでから、喉が渇いていたので水を飲み、汚れた布団、枕、シーツをすべて洗いました。そして翌日、普通に仕事に行きました。
隣人は「本当にご加護があったんだね」と言いましたが、私は「師父が守ってくださったんです」と答えました。後に病院の医師は「本当に奇跡です。あなたのように重度の一酸化炭素中毒を起こした場合、通常は命を失うか、重い後遺症が残るのですが、あなたは何事もなかったようですね。本当に不思議です」と言いました。私は、師父が業力に包まれた私にもう一つの命を与えてくださったのだと理解しています。師父に感謝いたします。
二、私の修煉を支持していた夫は、福報を得る
夫は警察官ですが、私が真相資料を印刷すると、それを綴じる手助けをしてくれました。また、彼は私と一緒に資料を配布し、親しい友人や家族に大法の真相を話し、三退を勧めるよう、私に積極的に呼びかけました。
ある冬の夜、彼の同級生の家に真相を話しに行った帰り道はとても寒かったのですが、彼は「街にいる人たちはみんな自分のことに忙しいけれど、大法弟子たちは寒さや困難を恐れず、師父の教えに従って人々を救おうとしている」と感慨深げに言いました。
1999年以降、中国共産党(中共)が大法弟子を迫害し始めてから、私は何度も連行されましたが、夫はいつも私と一緒に邪悪に抗議し、協力しませんでした。私が江沢民を告訴して連行された時、夫は私を乗せたパトカーに一緒に乗り込もうとしました。警察が車に乗ることを拒否すると、彼は自転車に乗り、派出所まで行き、派出所の所長に私を返すよう求めました。
夫の善行は、彼に大きな福報をもたらしました。夫はもともと睡眠が悪く、長期間薬を服用していたため、萎縮性胃炎を患っていました。しかし、毎日「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えることで、体はほとんど回復しました。
ある日、実家から帰る途中で、夫は駅でバスを待っている時に非常に気分が悪くなり、何も思い出せなくなりました。その時、村の人がたまたまタクシーを運転して通りかかり、彼を家まで送ってくれました(車で約70分ほどの距離でした)。夫は「師父が私のために車を手配してくださったんだ。バスを待っていたら、バスに乗ってからも70分以上かかり、下車後にまたバスに乗り換えて家に帰らなければならなかった。その時の状態では、自力で家に帰ることは不可能だった。非常に危険だった」と言いました。師父が私の夫の命を救ってくださったことに感謝しています。
世の人々が一日も早く真相を知り、自分と家族のために明るい未来を選んでくれることを願っています。