文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年8月7日】私は長い間、結婚相手を見つけることに戸惑い、悩んでいました。私がうまく対処できなかったため、親戚や友人は、私のことをよく理解してくれませんでした。
最近、私は何をするにも自分の内に向けて探すことを学んでいます。何が起こっても、それが心に浮かんだ考えであれ、過去の感情であれ、私は自分の欠点やうまくできなかった部分を見つけるようにしています。私が遭遇するすべての問題は、私が気づいていなかった執着や人間の観念によって引き起こされており、改善する必要がある自分の性格の側面がたくさんあることに気づきました。
私は心を落ち着かせ、結婚相手を探す中で経験したことを振り返ってみました。感情や葛藤の裏に隠れていた多くの執着が表面化し始めました。
私が最初に発見した執着は嫉妬心でした。師父はこうおっしゃいました。「常人はやりたいようにやっていますが、それは常人のことです」。(『轉法輪』)「自分もやりたいことをすべきだ」という言葉は、結婚やその他多くのことに対する私の人間の観念、特に自分が望むものを手に入れるべきだという気持ちをまさに浮き彫りにしています。これは幸せな結婚生活を送り、良いキャリアを積んでいる親戚や友人に対する嫉妬心として現れました。
どうして他の人は幸せな結婚ができるのに、私は親戚や友人から紹介された自分のタイプではない人と付き合わなければならないのだろうか? と不思議に思いました。私は、結婚する候補者たちを、救われるべき知覚力のある存在として、あるいは真実を聞く必要のある人々として扱わず、ただ彼らを裁くことだけに集中していました。
私が見つけた2番目の執着は、結婚を通して自分自身を承認したいという願望でした。この執着は非常に深く隠されていたため、以前は気づきませんでした。
修煉者として私が何をしても、私の近親者や親戚はそれを大法と結びつけました。私は多くの状況下で不当な扱いを受けたと感じ、それが自分を証明するために良い結婚相手を見つけたいという執着につながり「私はあなたが言うような人間ではありません。むしろ私はとても良い人間です。あなたはただ理解していないだけです」と考えました。その結果、私は結婚相手が、他人から見て「自分を証明」できると感じる基準を満たしていない場合は、軽蔑的な態度をとり相手の欠点を細かく批判しました。
やがて私は、とても頑固な執着に気づきました。それは、他人が何事においても私に従ってくれることを望むという願望です。誰かが私に従ってくれると、その人は優しくて付き合いやすい人だと思いました。もし従ってくれないと、私は無関心になり、その人のやり方に文句を言いました。多くの状況で、私は自分を普通の人々と同一視し、時には普通の人々の基準にさえ達していませんでした。
これらの執着に気づいてショックを受けた私は、相手を選ぶ過程で自分がなぜ非合理的な行動をとったのか理解出来る様になりました。師父はこれらの状況を利用して私を啓蒙してくださいました。これらの執着の背後には、さらに深い根源的な執着がありました。多くの修煉者が、嫉妬心の根源は利己心とエゴであると述べています。
師父はまた、嫉妬心と利己主義の背後には、実は無神論と進化論、そして現代の行動様式と中国共産党の文化、つまり旧勢力が人々を滅ぼすために使う道具であるという事実を私に教えて下さいました。
なぜ嫉妬心を感じたのでしょうか? それは、師父のおっしゃったことを信じなかったからです。
「人間はこの世に来て、因縁で人生の道と人生の得失が決められているので、どうして人間の観念で人生の一歩一歩を決められるのでしょうか?」(『精進要旨(二)』の「圓満成就に向かって」)
私は自分の人生をうまくコントロールし、追求することで自分の欲望を満たすことができると思っていました。欲しいものを手に入れれば幸せで、手に入れられなければ嫉妬心を感じていました。私はよく「物事は自然に起こるままに任せ、すべては師父が案配して下さる」と言っていました。しかし心の奥底では、こう言うことで自分の欲望を満たせると願っていました。
これは、師父が『轉法輪』で話された、仏に加護と利益を祈る人々とどう違うのでしょうか。神や仏を本当に信じることなく、加護と利益を表面的に求めているだけです。これは、目に見えるものだけを信じる無神論の狡猾な性質です。
長い間、私は自分と法の間に障壁を感じていましたが、それを取り除くことはできませんでした。私は毎日法を読んでいましたが、その深い意味を本当に理解していないように感じていました。また、他の修煉者が法を暗記することで理解力が向上すると話しているのを聞いて、法を暗記しようとしました。しかし、私はそれを仕事をこなすように扱い、早く終わらせたいと思っていました。
師父の御慈悲と絶えず内に向けて探すことで、私は自分の周りのあらゆる出来事、他人が話すあらゆる言葉、そして私のあらゆる考えや観念に、自分を向上させる要素が含まれていることに気づきました。それらは私が法に同化する機会なのです。これらの機会を捉え、自分の欠点を見つけそれを正すことで、修煉を向上させる必要があるのです。