文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年8月12日】私は非常に長く、しかも鮮明な夢を見ました。夢の中で私は誘拐され、多くの修煉者たちと一緒にある場所に閉じ込められていました。
その場所はエレベーター付きの建物で、人もたくさんいました。私の同僚も一緒にいて、毎日の食事も良く、デリバリーやネットショッピングもできました。叔母は野菜を摘んでくれ料理も手伝ってくれました。上司も私を見に来てくれました。夫も車で来てくれて、「僕もここにいるよ。家に帰っても料理しなきゃいけないし、エアコンも使いたいから」と言いました。私は「そうね、行かないで」と答えました。
夢の中で私ははっきりと感じました。この場所には見張りがなく、外には広大な草原が広がっていて、誰も見ていないので出ようと思えばすぐに出られます。しかし、どこかで誰かが見ているかもしれないという思いがあって、結局出ませんでした。そして「なぜ私は誘拐されたのだろう? 何に執着しているのだろう?」と自問しました。
目が覚めた後、すぐに何かおかしいと感じました。こんなに長い夢は何を伝えようとしているのでしょうか? 明らかに誘拐されたのに、誰も見張っておらず、悪人も現れませんでした。私は誰に誘拐されたのでしょうか? 実は、私は旧勢力に、そして自分の執着心に囚われていたのです。安逸を追い求め、平穏な生活を望み、再び誘拐されて平穏な生活を失うことを恐れていたのです。これは大きな漏れです。
今の私の状態は夢と同じで、毎日普通の人たちと一緒に過ごし、安逸な生活を送っています。表面的には「三つのこと」をしていますが、修煉の意志を緩めてしまい、自分を旧勢力の牢獄に閉じ込めているのです。
私を誘拐したのは自分の執着心であり、自分を普通の生活という小さな枠に閉じ込めてしまいました。表面的には悪人の迫害はありませんが、別の空間では確かに牢獄に囚われているのです。これは修煉者にとってさらに大きな迫害です。同修の中には誘拐や拷問が旧勢力の迫害だと考える人もいますが、日常の雑事に囚われて修煉の本質を見失うこともまた、旧勢力が修煉者を滅ぼす一つの手段なのです。まるで映画『再び神になる』の海岳神君のように、世間で成功を収めても、元神は別の空間で既に鎖に囚われ、最後には自我を完全に失い、全ての機会を失うのです。
三界は法を正すために造られたものであり、現世の全ては私たちの修煉のための道具であり、心のままに変化するものです。私と同じように世俗の生活に囚われている同修たちが、自ら描いた牢獄から抜け出し、真に精進して、三つのことをしっかり行い、師父と共に家に帰ることを願っています!