文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年9月4日】私は修煉する中で気を緩めたため、スマホの依存症にかかってしまいました。最初はちらっと見るだけだったのが、8分、10分と増えていき、最終的には数時間も見続けるようになり、完全にスマホに支配されました。見るたびに後悔しましたが、制御できずにスマホを手に取り、見始めてしまい、見ないと心が落ち着かず、何もする気が起きなくなります。これが原因で法を学んでも心に入らず、学法を単なる任務として扱うようになりました。功法を行うことも保証できなくなり、時には起きられず、静功を行っている最中にも、うとうとしてしまいます。人を救うことなど、到底考えられませんでした。
大法が迫害されてからは、私はほぼ一人で煉功していました。最近、師父のご配慮で、私はある同修に出会いました。その同修は私に会うなりこう言いました。「あなたが常人の装いをして、病気が重くなっている夢を見ました。家族の常人たちはあなたに病院へ行けと言っていますが、私は『早く起きて一緒に人を救いに行こう!』と言いました」。同修がこれを言ったとき、私は驚き、スマホ依存のことを思い出しました。しかし、名を失うことを恐れる心に支配されていたため、自分のこの執着を明かしませんでした。ただ心の中で「この依存症を断たなければ」と思いました。その時、私は特にショートムービーに執着しており、それ以外は見ないと決め、動画を見終わったらスマホを置こうと考えました。しかし、その時同修の前でこの良くない心を明かさず、内に秘めてしまったのです。その少しの執着心が大きな弊害をもたらし、毎日スマホを手に取って動画の更新を確認してしまいました。
数日後、また同修がやって来ました。今回は、彼女は周りの同修について話してくれました。その中には、スマホに執着していたために、病業で亡くなった人が数人いて、他にも病業で苦しんでいる人が数人いるという事でした。そして、その中の天目が開いた同修が、色魔が自分のそばにいるのを見ていたが、どうすることもできなかったと言います。同修の話を聞いて、私はとても驚きました。なぜなら、私はスマホを見終わった後、後悔の中で正念を発して自分を清めようとしていたからです。しかし、それでは効果がなかったのです。これを機に私は改めて重要性を認識し、同修に私のこの良くない執着を明かし、この執着心を取り除く決心をしました。
「修は己にありて、功は師にあり」(『轉法輪』)という言葉を心に刻み、師父がこの悪い物質を取り除いてくださいました。スマホに興味がなくなっただけでなく、どうすればこのスマホを使わずに済むかと考えるようになりました。正念が生まれ、法を学ぶのも心に入るようになり、学法が楽しくなり、疲れもなくなり、功法の修煉も正常に戻りました。静功もぼうっとしなくなり、人を救い済度する心も再び芽生え、出会う人に真相を話す勇気が出てきました。
同修の皆様、間違いがあれば慈悲を持ってご指摘ください。
師父に深く感謝いたします!
同修の皆様、ありがとうございます!