文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月16日】私の記憶では、幼い頃の私はとても頑固でした。自分の思い通りにならないと、泣き叫び、大人に叱られても聞きませんでした。しかし、修煉を始めてから、その頑固な性格が私を多くの場面で窮地に追い込みました。例えば、仕事がうまくいかなくなった時「名利を捨てて大法の実証に専念する」という理由で、しばらくの間、大法を広めることに没頭し、社会から孤立しかけました。それでも自分は正しいと思い込み、多くの人心を見て見ぬふりをました。社会には、名利、嫉妬、安逸など、人心に触れるようなことがたくさんあり、周囲の人々との関係や社会の現実を無視したからでした。親戚や友人は、私が修煉を始めてから変わってしまったと感じ、もはや正常ではないとさえ思いました。このような状態で、本当に大法を実証することができるのでしょうか?
師父の説法を繰り返し学んでいくうちに、私は大法弟子として修煉の道を正しく歩むことの大切さを悟りました。商売をするのであれば、まず誠実な人間になるべきで、名利にとらわれてはいけないと気づきました。その過程で多くの人々と出会い、中国共産党(以下、中共)が大法に対して広めている虚言の宣伝を正すことができました。自分自身の道を正しく歩めば、人々は自ずと理解してくれました。
私は高校を卒業して以来、苦労した経験があまりないため、商売を始めるにあたって、かなり苦労しました。面子を潰したくないという気持ちや、怠けたいという気持ちもありました。しかし、これは修煉の道で乗り越えなければならない試練だと理解しました。最初はほとんどお金を稼げませんでしたが、少しずつ状況は改善し、多くのことが以前ほど難しくないと感じるようになりました。法に則って正しく歩んでいれば、自然と環境はよくなっていくものだと実感しました。
商売を続けているうちに、利益への執着心が強くなり、仕入れの時にもあれこれと計算し、心が落ち着かない状態が続きました。いくら計算しても良いものはなく、商品の品質が悪かったり、高値で買ってしまったり、修煉がおろそかになったりして、うまくいきませんでした。そして、このままではいけないと感じていました。俗世の中で修煉を続けながら、同時に俗世を乗り越えていくには、実証あるのみだと気づきました。
実は、商売をする中で現れてくる心の状態こそが、人心を手放す絶好の機会でしたが、何度もそのチャンスを逃してきました。今になってようやく、修煉者は自分の人心を克服することに力を入れるべきだと気づきました。次元を向上させることができず、エネルギー場も弱まれば、人を救うことなどできません。仕事や日常生活こそが、人心や執着心が最もさらけ出される場であり、人心や執着心を見つけ出して取り除くことが最も重要かつ根本的なことでした。
携帯電話の問題に対して、私は少しこだわりすぎていました。携帯電話は人々を誘惑する一方で、セキュリティの面でも問題を抱えているため、非常に注意深く扱っていました。自分だけでなく、周りの人にも同じように注意してほしいと考え、同修が携帯電話を持ち歩いていると、責任感がなく、態度が悪いと感じ、不機嫌な態度をとってしまうことがありました。しかし、これは自分自身を修めるべき場面であることに気づきました。他人を軽蔑したり、すぐ怒ったりすることは、自分自身の心の問題であり、外に向かって求めていました。携帯電話のことで同修と言い争いになることさえあり、自分の人心の強さに驚きました。修煉者として、同修と言い争いになるような態度は間違っています。同修が携帯電話を持っていようがいまいが、まず心穏やかに、丁寧に、合理的な提案をするべきです。そうすれば、同修も受け入れてくれるでしょうし、同時に、自分の心の執着を削り取ることができます。これは、修煉者としての成長を示すものです。最初は法に則っていたつもりでしたが、次第に人心ばかりが大きくなり、恐れや怒りに支配されて、修煉者としての品位を落としかけました。しかし、この問題について深く考え直すことで、携帯電話の安全性を適切に確保しつつ、心の平穏を取り戻すことができました。
男女の付き合い方についても、私は極端な考えを持っていました。妻が他の男性と話すたびに、何か不穏なことがあるのではないかと疑い、すぐに怒り出すことがありました。疑心暗鬼や嫉妬心がとても煩わしいと感じました。以前は、男女の付き合い方について、それほど深く考えていませんでした。しかし、同修間で男女関係の問題が起きたり、世の中で様々な不倫のニュースを耳にするうちに、この問題に対して非常に敏感になりました。特に結婚してからは、その気持ちが強くなり、疑心暗鬼や嫉妬心に振り回されることが多くなりました。世の中では不倫が横行し、色欲や嫉妬といった心が蔓延していますが、修煉者である私たちは、行動だけでなく、心の持ち方も正さなければなりません。なぜなら、心の歪みが強まれば、私たちのエネルギー場も汚染され、人を救うことなどできないからです。どのようにすれば、これらの感情を克服し、心の純粋さを保てるのでしょうか?
要するに、多くのことは、自分の人心の状態を深く追求して改善しなかったため、一つの考えに固執し、行き詰まりました。道はますます狭くなり、苦しいものになっていきました。しかし、大法の教えの下、私は少しずつ正しい方向へと戻ることができ、道はますます開けていき、大法を実証する環境も改善されました。私は、大法の修煉を通して、堂々と正道を歩み、より多くの人を救うことができるという確信を持っています。