文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2024年10月29日】私にとって2024年の旧暦の1月15日は、忘れられない日です。この日の夜、私は法輪功学習者の家で新唐人テレビの神韻の公演を鑑賞しました。翌日、また大法師父の『大円満法』の功法を教えるビデオを再生してくれ、動作を指導してくれました。私は法輪大法の5つの功法を学び、その日のうちに『轉法輪』を学び始め、幸運にも大法の修煉を始めました。
それから、3人の同修が毎晩、貴重な時間を割いて私と一緒に学法をして煉功を教えてくれました。私たちは毎日一講の法を学び、時間の状況に応じていくつかの煉功をしました。1週間以上かけて、私たちは師父の『轉法輪』を一通り学び終えました。
学法の間、私は両足を組んで、坐禅の姿勢で本を読むことにしていましたが、すぐに足が痛くなり、足を下ろしてしまいました。同修たちは基本的に一講の法を学ぶ間ずっとその姿勢を保つことができました。それを見て、私は長時間足を組めない自分を悔しく思い、必ず両足を組んで一講を学び終えたいと決意しました。同修は「焦らずに、少しずつできるようにしていきましょう」と慰めました。師父は「大法無辺という言葉があり、どこまで修煉できるかは、あくまでもあなたの心の修煉次第で、忍耐力と苦しみに耐える力にかかっています」(『轉法輪』)と語られました。そこで、私は痛みで足が下がらないようにスカーフで足を固定し、できるだけ長く組み続けるようにしました。半年ほど経った今では、両足を組んで座る姿勢で一講の法を学び終えることができるようになりました。
坐禅の修煉も簡単ではありません。足の痛みは時折変わりますが、私はできる限り耐え続けました。しばしば、痛くて汗で服がびしょびしょになることもありました。私は師父の『洪吟』〈因果〉での教え「修行の路は苦に非ず 生々世々の業力が阻む」を自分に言い聞かせていました。煉功が終わった後も、足や臀部の痛みがしばらく続くことがよくありましたが、私はそれを気にしませんでした。
学法中、私はよく眠気に襲われ、妨害されることが多いです。対策として、私は小さな唐辛子を手に取り、眠くなったら少しかじったり、あるいは小さなクリップで手の指を挟んで痛みで目を覚ますようにしたりして、一日一講は必ず学ぶようにしています。時間があればさらに多く学ぶこともあります。
しかし、毎日のように法を勉強していますが、しっかり行っていない時もあります。毎日一講を読み終えると、まるで任務を終えたような気分になり、すぐにスマホを手に取ってショット動画を見たりします。見始めると止まらなくなり、結局ほとんどの時間を費やしてしまいました。そして、雑多な情報が頭に入り込み、学法や煉功をしているときも頭の中でぐるぐる回り、抑えられなくなります。スマホに依存してはいけないと分かっていても、どうしても我慢できませんでした。
ある夜、私は夢を見ました。自分の頭にトイレットペーパーが3巻きも巻かれていて、顔全体が隠れてしまうという夢でした。私は、師父がいつもスマホばかり見ている私に「顔がない」(つまり、教訓を生かさず、人に合わせる顔がない)ことを悟らせくださっているのだと気づきました。私はスマホから離れ、無駄な情報を見るのをやめようと決意しました。同修もスマートフォンの害について私と交流し、私たちは明慧ネットで関連する記事も読みました。現在では、ほとんどスマホを見ないようにしています。
学法と煉功の面では以前よりも良くなりました。煉功の最初の頃は、ふくらはぎがひんやりと冷たく、何かが下に流れていくような感じがしましたが、今では煉功中は体が温かくなり、煉功が終わると体がほんのり汗ばむことがよくあります。
『轉法輪』のほかに、私は師父の各地での説法も学んでいます。師父が大法弟子に三つのことをしっかり行うよう求められているのを知りましたが、私は今のところ二つしかできていません。毎日の学法・煉功と発正念は欠かさず行っていますが、師父の要求にはまだまだ達していません。中共の噓偽りの宣伝に騙されている人々に、大法の良さと迫害の実態を伝えることができていません。
同修は私に、まず師父のすべての説法を一通り学び、それから法輪功の基本的な情報や関連する問題の解答を把握し、そして同修たちの体験などの記事を多く読み、真実を伝える記事を交換して資料を集め、今後は身近な人々から伝え始めるようにと提案してくれました。
また、ある夜、夢の中で、私たち大勢が一緒に非常に高いダムに登っていました。それはまるで天に続く梯子を登っているような感じでした。頂上に着くと、私は水の中で泳いでいるような感覚がありました。その時、誰かが「ダムが崩れそうだ!」と叫びました。私たちは急いで救命ボートに乗り、滑り台のようなもので下へ滑り降りました。しかし、下を見ると人々が慌てて上に向かって登ってきていて、混乱していました。私はみんなに「立ち止まって、一緒に『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と唱えましょう」と言いました。その言葉が終わると、私たちのそばで、巨大な丸太のようなものが「カッ、カッ、カッ」と音を立てながら素早く組み合わさり、高い建物を形成しました。その建物の壁には特別な模様がありました。その瞬間、私の頭の中には「これはなんて素晴らしいのだろう。これは人間が建てられるものではない」と一念が浮かびました。直感的に、これらの建物は私たちが行くべき場所にあり、私たちは安全であると感じました。
目が覚めた後も、夢の中の光景は鮮明に残っていましたが、その意味がわかりませんでした。数日後、坐禅のときに、「私は大法を伝え、人々を救うべきだ」という考えが出てきました。その瞬間、頭の中の容量が一気に大きくなり、外側に広がるような感じがして、頭が「空」と感じました。
同修と交流した後、私は、慈悲深い師父は、再び私に真実を語り、人々を天国に救うべきだという啓示を与えてくださったと気づきました。
同修たちと接する中で、彼らは日常生活の中で何かあった時は、まず自分自身の問題を探し、心性の向上を重んじるべきだと言いました。私も大法の教えに従って自己を見つめ直し、これまで意識していなかった多くの不足な点を発見しました。ある日、私が山から採ってきたキノコを選り分けていると、同修が「このキノコはこんなに小さいけど、大きくならないですか?」と尋ねました。私が「いいえ、大きくなれますよ。でも、今採らなければ、後で行ったときにはもうなくなってしまうから、小さくても皆採ってしまうのです」と答えると、同修は笑って「あなたは今、修煉者なんですよ」と言いました。その言葉に私は少し気づかされました。「そうだ、私は修煉者としての基準に従って自分を律するべきだ。小さなキノコが成長すれば、後で来た人が収穫できるのに、これは自分の利己心だった」と分かりました。それからは、小さなキノコを見つけても採らないようにしました。そして、日常生活でも私心を捨てるよう心がけることにしました。
ある時、左の手首が何かの拍子に痛み出し、数日も治りませんでした。よく考えてみると、数日前、バスに乗っていた時、1人の年配の女性が揺れる車内で私の左の手首を掴んで支えながら、隣りの空席に座ってずっと話しかけてきたことがありました。当時、私は心の中でその女性が嫌で、気に入りませんでした。大法を修煉する者として、真・善・忍の原則に従って行動しなければならないのに、他人を軽蔑するのは間違っており、善に反する行為だと気づきました。すると、手首の痛みは消えました。師父は常に弟子を導き、心配してくださっているのです。師父に感謝申し上げます。
私は大法弟子として、師父の教えに従って三つのことをしっかりと行うことは、まだまだです。これからはさらに法を学び、心性を高めていきたいと思います。そして、師父の要求通り、人々に大法の良さと迫害の実態を伝え、より多くの人を救い、共に天国の楽園に帰りたいです。
新しい学習者としての体得なので、不足があれば、ご指摘をお願いします。