【明慧日本2024年10月29日】2024年フィンランド「法輪大法修煉体験交流会」が10月20日、ヘルシンキで成功裏に開催された。フィンランド各地およびエストニアから参加した学習者が一堂に会し、18人の学習者が家庭や仕事、大法プロジェクトで困難に直面し、トラブルに対処する際の貴重な経験、そして法を学び自己を向上させた修煉体験を共有した。
「法輪大法修煉体験交流会」で修煉体験を発表する学習者 |
海外の環境と学法での言語に適応する過程
董さんは長年中国国内で生活していたが、突然見知らぬ国に住むことになった。中国共産党の迫害はなくなったものの、フィンランド語が話せず、聞き取ることもできないため、まるで手足を縛られたかのように感じ、何をするにも制約があり、思うようにいかない毎日を送っていた。
彼女は、「言葉がわからなければ、社会を理解することはできず、ましてや師に手伝い現地の人々を救うこともできない」と悟った。言語を集中的に学ぶ過程で、何度も心性を試される場面があった。焦りの心や不満の心が現れたり、学習を諦めようとする気持ちにもなった。
学法を通して、彼女は言語をしっかり学ぶことが自身の修煉において欠かせない一部であると理解し、言語を学び続ける決意を新たにした。
神韻の仕事の中で執着心を発見
イタリア人の学習者ナザレーノさんは、神韻のバスを警備する際、「誰もバスに悪さをしないだろう」という否定的な考えが浮かんだ。ところが数日後、アメリカで神韻のバスが再びタイヤを切られる事件が報道され、自分の警備の仕事がいかに重要であるかを改めて認識した。さらに、自分にこのような油断の念があることで、バスに対する妨害を招く一因になり得ると気づいた。
彼は、神韻の舞台裏の仕事にも携わり、荷物の搬入、舞台設営、公演中の安全警備に従事していた。その中で、彼は自分の「顕示心」に気づいた。彼は以前からジムに通っており重い物を持ち上げることができるため、荷物を運ぶ際に自分が力持ちであることを示したいと思った。しかし、いくつかの荷物、特にプロジェクターのような重い機材は一人では持てず、4人の協力が必要だと気づいた。学習者同士の協力がいかに重要かを痛感し、こうして初めて安全に重い物を運べることを学んだ。修煉も同じであり、学習者同士がしっかりと協調すれば、どんなに重い役割でも担うことができると悟った。
再び天国楽団に参加する使命感を取り戻す
林さんは仕事の都合で、いつも荷物を引いて職場に向かっている。今年も例年と同様に積極的に天国楽団の活動に参加していたが、荷物を引いてどこかで仕事に向かう時のような感覚が拭えず、なぜこうした状態になってしまったのかを考え始めた。「天国楽団に長く居すぎたからだろうか? なぜ人を救うという神聖なプロジェクトが、いつの間にか普通の仕事のように感じるようになったのか?」と自問した。かつて天国楽団に入った時の興奮や誇りは跡形もなく消えてしまい、人を救うことの厳粛さや神聖さが感じられず、修煉の初心を保っていないのはなぜなのか?
彼女は夏の間を振り返り、常人の仕事が忙しく、休日には天国楽団と共にパレードに参加し、別のプロジェクトの仕事もしていて、毎日忙し過ぎて大変だった。彼女は法を学び、煉功、発正念がきちんとできていなかったため、正念が出ず、たくさんのことをこなしていても、ただ常人として常人の事をしているに過ぎなかった。問題は法の学び方にあると悟り、この状態を変えたければ、法を学び続け、もっと法をよく学ぶ必要があると理解した。依頼心や怠惰の心を克服し、さらに多くの時間を見つけて法を学ぶ努力をした。
あるパレードで、指揮棒の上にある法輪が楽団の隊列を導いているのを見ながら、彼女は観衆が法輪大法の素晴らしさを知った後に見せる喜びの表情を目にした。この時、彼女の正念が蘇り、法輪大法の学習者としての神聖な使命感が徐々に戻ってきたという。
突然襲ってきた病業の関を乗り越える
ある日、陳さんは突然キッチンのダイニングで倒れ、吐き続け、全身の力が失われ、今にも肉体を失いそうな感覚に襲われた。彼は法に照らして、自分のどのような心がこの大きな病業の関を引き起こしたのかを探し始めた。以前から、彼は長期にわたって妻との間にある心性の関を乗り越えられず、毎日のように妻に怒りを抱いており、「早くこの世を去りたい」という思いがあった。
交流の中で彼はこのように語った。「私の常人の親戚や友人は皆、私が法輪大法を修煉していることを知っています。もし、このまま肉体を失ったとしたら、それは法を破壊するような行為になってしまいます。万古の機縁を経て、法輪大法が広く伝わっている時に人身を得たにもかかわらず、破壊の作用をしてしまうなんて、なんと大きな罪でしょう。宇宙の無量無数の生命の中で、私は幸運にも法を得ました。これは多くの高級生命や佛・道・神であっても恵まれていない機縁なのです。それなのに、俗世の些細なことで乗り越えられず、肉体を放棄しようとするなんて、本当に愚かなことです」
彼はさらに、長い間、心情が抑圧されていたため、その影響が表情にも現れ、顔には笑顔がまったくなく、時には険しい表情さえ浮かべていたという。その後、彼はベッドに横になりながら自分の不足を絶えず探していたので、心の在り方も徐々に改善されていった。妻も、彼を心細やかに看病したので、彼の怨恨の心をコントロールしている氷の塊のようなものが少しずつ溶け始め、体も急速に回復に向かった。
その後、彼は突然高熱を出し、熱のために幻覚が現れた。腕や脚をどのようにしても不快感があり、まるで長い道のりを歩き切ったかのように体が痛かったという。この状況はおかしいと彼は思い、「どうしてこんなに妨害が続くのか? これでは何もできず、法を弘める活動にも参加できない。地元の学習者が少ないのに、これも妨害ではないか? なぜこんなにも長く妨害され続けたのか?」と内に向けて探し始めた。そして、今回の関を乗り越えるために、自分の修煉に漏れがあるから妨害を許してしまったと思い込んでいたことに気づいた。気づかぬうちに旧勢力の迫害を認めてしまっていた。たとえば「歩くのはゆっくりにしよう」「外出時はヘルメットをかぶらないと危険だ」「倒れるのが怖い」といった思いがあり、自分を常人の病人のように扱い、無意識に迫害を認めてしまい、迫害を完全に否定しきれていなかったことが分かった。
翌朝目を覚ますと、彼はこの関を完全に乗り越えたことを実感した。頭が非常に冴え渡り、身体の状態が完全に回復したという。
学法を強化し身内の情を乗り越える
劉さんは昨年、修煉している娘の訃報を受け、感情的に大きな打撃を受けた。彼女は「あの時期、繰り返し法を暗記し、師と法を信じる心、修煉への揺るぎない決意を持ち、慈悲深い師父が私を導いてこの関を乗り越えさせてくださいました」と語った。
劉さんの長女は中国で二度も迫害を受け、合計で六年半もの間監禁された。娘への情が強まってくると、彼女はすぐに師父の法を思い出し、自分の主意識を強め、その法を何度も暗記することで情が弱まっていった。このように、情が湧き上がるたびに抑え込み、また湧き上がれば抑え込むことを繰り返し、情という物質がだんだんと薄れ、弱くなっていった。
特に娘が亡くなったその日は、劉さんは学法の前に心がとても乱れ、娘の死に対する悲しみで全身が覆われているような感覚でした。頭はぼんやりして気持ちも落ち着かず、「こんな状態で学法に参加できるのだろうか?」という考えが浮かんだが、すぐに「師父が繰り返し強調されているように、多く学法することが大切なのに、学ばないわけにはいかない」と気持ちを切り替えた。そして、学法の時間になると、彼女は全神経を集中させ、一切の雑念を捨て、師父のお言葉、一言一言が心に深く入り込んだ。学び終えた後、彼女は心も体も軽くなり、まるで洗い清められたような感覚を覚えた。それは、師父が彼女の良くない物質を取り除いてくださったと感じられた。家族や学習者も、学法の後はまるで別人のようだと言ってくれたという。
色欲心と嫉妬心を見つける
ベトナム人学習者・サオさんは修煉を始めてから容姿が美しくなり、多くの称賛を受けるようになった。最初は異性からの注目に喜びを感じ、連絡先を聞かれたり、お茶飲みに誘われることもあったが、そうしたことが虚栄心や色欲心を強めていると気づいた。ある日、彼女は夢で色魔に誘惑される場面を見た。その色魔は非常に醜く、汚れていて、まるでサタンのように体が粘液で覆われていた。この夢を見たことで、彼女は色欲の執着が深刻な問題であり、取り除くべきだと強く意識するようになった。彼女は正念を発し、色魔を取り除くことに集中し、SNSの使用も控えるようにした。また、異性と会話する際は常に正念を保つよう、心がけるようにしている。
彼女はまた、人生のあらゆる面で努力しているものの、すべてが思い通りに進んでいないと感じていることを共有した。彼女は、同年代の人たちが昇進し、子供を持ち、経済的に豊かになり、人生を楽しんでいるのを見て、自分が遅れをとっているように感じた。内に向けて探してみると、その感情の背後には嫉妬心があり、他人と自分を比較することが多いことに気づいた。そのような感情が出てきた時、彼女はそれを「自分には属さない物質」として見つめるようにしている。今では、「自分は法輪大法を修煉している学習者という、世界で最も幸運な存在だ」と常に自分に言い聞かせているという。
母親との関係を改善する
ベトナム人学習者ジアンさんは、思春期の頃から母親との間に多くの衝突があった。彼女は母親が自分を愛していない、傷つけている、成長した今でも自分を支配しようとしていると感じ、母親に対して恨みを抱いていた。そのため、彼女は母親に対して無礼で尊敬の念を欠いた態度を取り、母親の感情を全く気にかけていなかった。特に、母親が彼女の経済状況や結婚、個人的なことについて尋ねると、彼女は怒りを覚えた。
修煉した後、ジアンさんは自分が思っていたような愛情に欠けた環境で育ったのではないと気づいた。彼女は、「私はずっと家族の愛情に包まれて生活していました。本当の苦しみなど味わったことがありません。自分が感じていた『苦しみ』は、ある意味で感謝の気持ちが欠けていたために生じたものです。それは、自分勝手で欲深く、嫉妬心を抱く人間の苦しみで、いつも不足を感じ、決して満足せず、皆が自分を傷つけていると思い込んでいたのです」と述べた。
今、親子が電話をする際には、もう不安そうな表情を浮かべて会話を急いで終わらせることはなく、むしろ微笑みを浮かべながら母親と日常の些細なことについて話をしている。娘が母親に対して関心を持ち、話を聞き、尊重することで、母親は喜びを感じているという。
交流会の終了後、学習者たちは師父の慈悲深い救いに感謝し、大法の偉大さに感謝した。参会者は、交流内容に多くの共感があったと語った。
師父の慈悲深い救いと法輪大法の偉大さに感謝し、集合写真を撮影する一部の学習者 |
トゥルクから交流会に参加した学習者ヘイキさんは、学習者との交流を通じて自分の顕示心や悪い習慣を見つけることができた。今後は自分をより良く修め、高め続けると述べた。
父親になって間もないイルマリさんは、同じような困難に直面している時もある。例えば、赤ちゃんが生まれてからは時間が限られ、法を学ぶ時間が取れなかったり、学んでいるときに集中できなかったりすることがある。これらの課題を乗り越える必要があると感じているという。
エストニアから交流会に参加したジャーンさんは、自分の考えに注意を払い、最初の念に良くない考えが生じたときには、その悪い考えを否定し、取り除く努力をし続けることが重要だという。また、自分の気性を穏やかに保ち、他人に対してもっと忍耐強く接することを学ぶべきだと話した。自分が穏やかな状態でいると、問題をより良く解決できることを感じていると言った。
ベトナム人の学習者フエさんは、交流を聞いた後、フィンランドでの法輪大法の活動にもっと精力を注ぎたいと話した。