文/中国天津市の大法弟子
【明慧日本2024年10月30日】発正念をすることは三つの重要なことの一つであり、非常に重要です。弟子として、真剣に取り組まなければならず、いい加減にしてはならないし、ましてや何かの任務のように扱ってはいけません。発正念をすることは厳粛な修煉であり、師父が法を正されることを手伝って、あらゆる邪悪を解体し、清めることです。
同修の中には発正念をしている時に意識がぼんやりし、掌が変形したり、身体が揺れたり、さらにはいびきをかいたりと、様々な不正な状態が見られることに気づきました。これはやはり正念を重視していないことが原因であり、心性が法に基づいて本当に向上しておらず、その重要性を認識していないからだと思います。ここで、私がどのようにして発正念をする時の妨害を突破したか、法に基づいて交流したいと思います。
最初に発正念を始めた時は、1分間すら続けるのが難しく、腕がまるで千斤もの重さで引っ張られているかのようで、蓮花掌(手のひらを開く姿勢)がほとんど開けませんでした。数秒で疲れ果ててしまい、心の中では焦りと悲しみが入り混じっていました。これは師父が正法のために要求されていることであり、弟子として真剣にやらなければならないのに、私はどうすればいいのでしょうか?
私は時間があると手に向かって、「大法弟子は師父の法に従って発正念をしており、大法や大法弟子、衆生を迫害し、正法を妨害し、衆生を救うことを阻むあらゆる邪悪な生命や邪悪な要素を清め、解体するものである。誰かがこのことを妨げ、干渉しようとするなら、その者はそれらの邪悪よりもさらに邪悪であり、まずその妨げや干渉をする邪悪な生命や邪悪な要素を清める」と発正念をしていました。
数日後、腕の重さが少し軽くなり、掌も少し開けるようになりました。時間がある時は、師父が示された標準的な姿勢で練習し、師父に加持をお願いしました。そして、ついにある日、粘り強く続けた結果、要求されていた状態に達することができました。
私は時々自分を振り返り、スマートフォンで録画して、迷ったり、手の形が崩れていないかを確認しました。すると、立掌している時に指先が少し内側に曲がっていることがあり、軽く手の形が崩れることもありました。私は自分に「主意識をしっかり保ち、正と邪の戦いで決して油断してはいけない」と言い聞かせました。そして手に向かって、「手よ! お前は私の体の一部だ。主意識に従わなければならない。私が動けと言う時だけ動き、外部からの命令に従わず、協力しないでほしい!」と正念を送りました。徐々に、立掌はまるで泰山のように揺るぎなくなり、手の力は山をも割るほど強くなりました。蓮花掌も簡単に最大限に開けるようになり、巨大なエネルギーを発することができるようになりました。
夜の12時に発正念をすることを確実に行うために、私はここ数年、発正念を終えてから寝るようにしています。そうすることで、朝起きる時、時間を過ぎることなく正念を発することができ、もし早めに寝てしまうと、たとえ時間通りに目が覚めても、完全に目が覚めないことがあるからです。同修の中には、夜の12時の正念の効果があまり良くないと言う人もいますが、私は夜の12時が最も効果的だと感じています。時には立掌すると、自分が自分の空間場の中で最も高い位置にいると感じ、まさに天地を一手に収めるような勢いを感じます。
発正念をしてからもう20年以上経ちます。古い弟子として、発正念をする際に頻繁に様々な不正な状態が現れるのであれば、それは本当に重視すべきです。これは厳粛な修煉であり、心性の表れであり、正法の中で与えられた偉大な使命でもあります。法の学習グループでは、もし集団で発正念をする機会があれば、同修同士で互いに確認し合い、注意を促し、法に基づいて交流することが大切です。自宅で行う場合、時には気づかないこともありますが、家族に手伝ってもらったり、自分で時折確認したりして、できる限りしっかりと行い、発正念をする本来の目的を確実に達成することが重要です。