文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年11月5日】ある時、同修と話をしていたところ、師父がこうおっしゃっていた、ああおっしゃっていたという話題をその同修が持ち出しました。私はすぐに師父の説法を思い出そうとしましたが、師父がそのような法を説かれた記憶が全くなく、同修に「師父はどの説法でそう説かれたのですか?」と尋ねました。同修はしばらく考えていましたが、どこで聞いたのか思い出せませんでした。私はこの出来事をきっかけに、非常に深刻な問題に気づきました。その同修は、不思議な話や出来事をとても好んでおり、明慧ネットや佛学会で発表されたものではない、個人のブログやSNSなどを通して広まっている噂や情報に深く関心を寄せていました。このような話を何度も聞いているうちに、いつの間にか、師父が説かれた法と、そうした噂話を区別できなくなってしまったようでした。そして、ある人物が語ったことを師父の法だと誤解していたのです!
ある時、何かの噂話を聞いた時、私は不思議な光景が目に浮かびました。それは、ある建物の基礎部分に、いくつかのカラフルな石が埋め込まれているというものでした。この光景を見て、私はミラレパが小屋を建てたという話を思い出しました。
ミラレパの師であるマルパ上師は、ミラレパに四角い頑丈で大きな建物を建てるよう命じました。ミラレパが建物の基礎を築き始めた時、マルパ上師の3人の主要な弟子が、彼のためにたくさんの大きな石を運んで来ました。ミラレパは、彼らが運んできた石を基礎の一部として使いました。2階まで家が完成した時、マルパ上師が様子を見に来ました。上師は家の中を隅々まで注意深く見て回り、主要な3人の弟子が運んできた石を指さして「これらの石はどこから来たのか?」と尋ねました。
「こ…こ…これは俄東と綱太が私のために運んできたものです」。
マルパ上師は「彼らの石で家を建てることはできない。すぐに家を壊して、石を運び出せ!」と言いました。
「しかし、上師、上師はこの間、この家を絶対に壊さないとお誓いになったではありませんか!」。
マルパ上師は「確かにそう言った。しかし、私の弟子たちは最上位のヨガ行者であり、君のために働く下人ではない。それに、すべてを壊せと言ったのではない。ただ、彼らが運んできた石を元の場所に戻すようにと言っているだけだ!」と言いました。
ミラレパは仕方なく、再び家の上の方から解体し始め、基礎部分まで壊し、それらの石を山の上からすべて麓の元の場所まで背負って運びました。その後、マルパ上師が再びやってきて、ミラレパに「さあ、今度はこれらの石を再び基礎石として運んでいけ!」と言いました。ミラレパは「上師はこれらの石は必要ないとおっしゃいませんでしたか?」と尋ねました。マルパ上師は「私がこれらの石を必要としなかったわけではない。ただ、君自身が石を運ぶことで、他人の力を借りないことを学んでほしいのだ」と言いました。
ミラレパが家を建てた物語は、単に師が弟子に不正な手段を使わせなかったというだけの話ではなく、もっと深い意味が隠されています。修行の基礎を築く段階では、一つ一つの石(それぞれの段階)は、自分自身の努力によって積み重ねていくものです。それぞれの段階を昇華させるためには、師の教えから悟った真理に基づいていなければなりません。もし、師の教えとは異なる、他の教えや噂話のようなものを取り入れてしまうと、それはまるで、他人からもらった色鮮やかな石を自分の家の基礎に組み込むようなものです。一見するとしっかりしているように見えますが、師が認めない限り、それは捨てなければならないものです。
さらに、公にされていない説法に関する噂話もあります。それは、師父が特定の場においてのみ公開された説法を、誰かが外部に漏らして広まったものです。私も公開されていない説法を誰かから聞いた経験があります。しかし、そのような噂話を聞いた時、私はただ新しい情報を得たという新鮮さを感じただけであり、より深い法理を悟ったという実感はありませんでした。むしろ、師父が後に公の場でその説法を説かれた時に、初めてその奥深い意味を理解することができました。これは、ミラレパが兄弟子の俄巴(がは:マルパ上師の一番弟子)がラマから灌頂を受けたものの、修行の成果を得られなかったことに似ています。マルパ上師の許可を得ずに灌頂を受けたため、真に次元を向上できなかったのです。
師父が限られた範囲で説かれた説法が、外部に漏れて噂話になったのを聞き、それを信じたとしても、師父の許可なしに、その法理を悟ることはできません。むしろ、自分の執着を深め、業を積み重ねることになります。
噂話を伝える人に共通する特徴として、近道を歩みたいという願望を持っていることが挙げられます。修煉において悟性がそれほど高くなく、衝撃的だったり、新鮮だったりする話を好み、それに満足感を得ています。同時に、自我を捨てることができず、自分中心であり、後天的に身につけた観念や執着を基準にして物事を判断する傾向があります。さらに、宇宙に対する理解が深くないため、騙されやすいのです。
この認識に基づき、私は噂話を聞くたびに、それを一種の試練だと捉えるようになりました。長い間に、どんな情報であっても法に則って判断するという習慣を身につけました。たとえどれほど不思議な噂話であっても、必ず法に則って判断します。もし、大法に合致する部分が見当たらない場合は、その噂話は聞くべきではないと判断します。逆に、大法の中に根拠を見つけられたとしても、わざわざそれを広める必要はないと考えるようになりました。そうすることで、間違いを犯す可能性を減らすことができます。結果として、私の周りには噂話が伝わる機会が少なくなっていきました。
修煉中には必ず魔や試練が訪れます。噂話による試練もその一つです。様々な試練を通して、私たちは修煉の厳しさをより深く認識することができます。もし、自分の修煉の道の中で何かしらの妨害があると感じたら、ミラレパ尊者の行いを参考に、大法に属さない「石」を全て取り除くべきです。これは、自分自身のためだけでなく、自分と縁のある全ての衆生のために行うべきことです。
以上はあくまで個人の認識ですので、あくまで参考程度にしてください。