文/台湾の大法弟子
【明慧日本 2024年11月7日】
師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
私は(台湾)金門の大法弟子で今年70歳です。2002年に修煉を始めました。私は小学校も卒業していませんが、師父の慈悲深いご加護で修煉の機会を与えていただきました。ここで、私の修煉体験を皆さんにお話しします。
一、苦難の人生から修煉して得た幸せ
修煉する前、私は多くの魔難を経験し、他の空間からの干渉も大きく受けていました。故郷を離れ子供たちを連れて台湾へ行き、彼らの仕事が安定してから、私はお寺でボランティア活動をしていました。ある日、掃除をしている時にくしゃみをして膿がたくさん出て、驚きました。寺院の人に病院へ行くように言われ、行ってみると医師から深刻な状態で手術が必要だと言われました。私は悪いことをしていないのになぜこんなことになるのか、と思いました。運命なのかもしれないと思い、もし命が終っても、天も地も、誰も恨まない、自分も恨まない、ただ修煉したかったのに残念だと思いました。
無事に退院して家に帰り、大晦日前に家主さんに家賃を取りに来てもらいました。家主さんは、「普通は家主が家賃を取り立てに来るのに、あなたは家主に取りに来てもらうのね」と笑いました。私は「お正月だから」と笑いましたが、顔色が悪いのを見た家主さんは、法輪功はとても良いから練習してみたら、と勧めてくれました。その頃、私は法輪功に対して深い誤解があり、噂を信じていました。また当時は邪教が横行していたので、むやみに学ぶのは怖かったのです。でも外出するたびにバスに「法輪大法」とか、後ろの窓に「真・善・忍」と貼ってあるのを見かけるうちに、「真・善・忍」という三文字に感動し、大法修煉の道を歩み始めました。
最初は怖い気持ちが強く、朝4時50分に煉功に行くのが暗くて怖かったし、間に合わないのも怖くて、よく泣いていました。初めて煉功場に行った時、輔導員が座って交流を聴くように言ってくれました。座ると、霧がかかったような小さな光の点々が見えました。責任者に「霧が出ているのですか?」と聞くと、「いいえ」と言われ、「雨?」と聞くと、それも「いいえ」でした。責任者が「何が見えたの?」と聞くので説明すると、皆が笑い、「あなたが見たのは法輪よ」と言われました。私はそれほど気にしませんでしたが、後に高雄の大行進に参加した時、不思議な体験をしました。その日はひどい雨で、高速道路を走る車のワイパーが雨をはじききれず、スピードを出せない状況でした。するとワイパーの前に法輪が現れ、同修たちは喜んで、これは師父のご加護だと言いました。
二、怖れの心を乗り越え、真相を伝える観光スポットを設置
金門で小三通(訳註:福建省と金門を繋ぐ航路)が始まったころ、「故郷に戻って真相拠点を作りたい」という願いに、輔導員は賛成してくれました。最初は大変でした。太武山に最初に観光スポットを作り、同修と一緒に20枚ほどの真相展示板、大法の資料、『九評』の横断幕を運びました。当時は中国からの観光客が多く、資料も多く配布しました。通報され警察が取り締まりに来ましたが、私たちは正念で一つ一つ乗り越えました。
太武山の活動拠点が安定する前、協調の面でうまくいきませんでした。同修が他の学習者に支援を求めるメッセージを送りましたが、多くの人が来すぎて警察が驚き、毎日様子を見に来るようになり、ここは閉鎖されてしまいました。その後、莒光楼に移動しましたが、そこでも多くの障害に遭いました。私たちは警察や各機関、議員などに絶えず真相を伝え続けました。
当時は毎日誰かが通報していました。ある時、環境保護局の幹部が来て撤去を求めましたが、私は「法輪功とは何かを説明し、ご理解いただいたので撤去はしません」と言いました。彼は説得を続けましたが、私は師父に従うべきと考えました。その時は私一人でした。黙って顔を上げて彼を見ると、彼は立ち上がって「撤去したくないなら仕方ない」と言って去りました。
その後、県長と観光処長が代わり、新しい幹部は就任早々法輪功を取り締まろうとし、展示板の撤去を何度も命令してきました。私たちは説明しましたが、それでも撤去を求められました。ある時、処長が直接来て「ここは私の管轄区域だから必ず撤去しなさい」と言いました。私は撤去するつもりはないと、黙って正念を保ちました。彼を見つめながら、撤去しないと心の中で思っていると、もともと大柄だった彼が話すうちに小さく見え始め、しばらくして彼らは去っていきました。また来るだろうと思いましたが、それ以来来ることはありませんでした。
当時は、小三通が始まったばかりで中国からの観光客が多く、あるお年寄りは降車しながら「やっと来られた、やっと来られた」と喜んでいました。また、父娘が嬉しそうに拠点に来た時、私が挨拶して真相を伝えると、父親は「分かっています」と言いました。娘さんは最初聞かずに莒光楼に上がってしまいましたが、父親は三退(党・団・隊からの退出)をし、下りてきた娘さんにも真相を伝えると三退をしてくれました。
衆生の中には罵る人もいれば、応援してくれる人もいて、親指でVサインを示す人もいました。見ようとしない人も多かったのですが、バスに乗る時は群がって見ていました。ある時、真相を伝えている時に大勢の中国人観光客がいて、遠くから黄色い服に赤いズボンをはき髭を生やした人が何か手振りをしながらぶつぶつ言いながら近づいてきました。人を救うことを妨害するのは罪深いことだと、その人が近づいてくるのを見て正念を発しようと思ったら、その人は飛び上がって方向転換し、一瞬で姿を消してしまいました。
三、息子は事故からの回復が早く、師父のご加護に感謝
金門の同修は少ないため、私は他の洪法活動にもよく参加しています。ある時、ここで真善忍美術展と写真展を開催することになり、準備を終えて翌日開幕という時に、夜8時過ぎに台湾にいる娘から、「弟が事故に遭った」と電話がありました。心配でしたが、夜は飛行機の便がなく、焦っても仕方なく、これは邪悪の妨害だと思いました。同修である息子に、大丈夫だから、準備を終えて全てを師父にお任せしようと言いました。
家に帰ると、修煉していない夫が怒って「自分の仕事の方が大事なのか」と言いました。夫は深く傷ついていて、実は私の心も痛みましたが、大法と師父を信じていました。ずっと泣いている夫を慰めて「大丈夫、師父が私たちにとても良い息子を返してくれます」と言いました。金門は季節性の霧が多く、翌朝多くの同修が開幕式に来て、一部の同修はすぐに台湾に戻らなければならず、飛行機は定時に飛ぶのか、席は取れるのかと心配しましたが、考え直して、問題ない、師父が手配してくださると思うと、同修全員が無事に帰ることができ、私と夫も行くことができました。
病院に着くと、夫は泣きながら娘に「お母さんはお前のことを気にかけず、法輪功のことばかり…」と言いました。二人の娘は口を揃えて「ママは弟が大丈夫だと分かっているからよ」と言いました。
夜、集中治療室に入った息子は体が勝手に動いてしまうため手足を固定されていました。私は息子に「縛りを外したい?」と聞くと「うん」と答えたので、「法輪大法はすばらしい」と唱えるように言うと、彼は声に出して唱え始めました。翌日見に行くと、片方の縛りが外れ、状態が安定していました。もう一度「出たい?」と聞くと「うん」と答え、その夜には看護師から一般病棟に移れると言われました。
数日後に退院し、抜糸をするため受診に行った時、医師は傷跡を見て、きれいになっているのに驚きました。実はこれは師父のご加護だと思いました。傷は大きく長く、縫い方も粗くロープのようでしたが、抜糸後は跡が全く残りませんでした。
息子の上司が見舞いに来て、保険申請を手伝ってくれる人を紹介すると言い、保険会社の人が来て写真を撮ろうとしましたが、息子の傷跡が写らず、化粧品で描こうとしたほどです。
一件目の申請が終わり、もう一件何十万元の申請ができ、さらに障害者手帳も申請できると言われました。その時、私は要らないと思いました。息子には障害がないからです。一件目の申請も本当は望んでいませんでしたが、常人である夫のことを考えました。しかし心配で、夫と息子に「もう申請しない?」と相談してみると、意外にも二人とも同意してくれました。師父が私の心を見てくださったのだと分かり、師のご加護に感謝しました。
四、機縁を大切にして済州島で真相を伝える
新型コロナウイルスの流行後、中国人観光客がいなくなり、総責任者に拠点を片付けるべきか聞きました。会議の結果、総責任者は継続すると言い、そのまま4年が過ぎました。中国人観光客が来ないため、真相を伝えることに力が入らず、落ち着かない感じがしました。他の真相プロジェクトをしたり、オンラインのプラットフォームの研修に参加したりしましたが、とても難しく感じました。普段は対面で真相を伝えることに慣れていたので、新しい方法に慣れるのが大変でした。始めるのが難しいのは当然で、焦りも執着心だと分かっていましたが、人を救うことに焦りを感じていました。
その後、私の体に消業の状態が現れ、とても辛く、修煉に漏れがあって邪悪に隙を突かれたのだと思いました。心が苦しく、内を探しましたが、どこが間違っているのか分かりませんでした。苦しんでいる時、外に出かけたいと思いました。突然「敬愛なる同修よ、(韓国の)済州島があなたを呼んでいます」というメッセージを見て、一瞬心が動きました。
韓国に行こうと思いましたが、私にできるのだろうかとも考えました。師父の写真を見て「師父、私は済州島に行けるでしょうか?」と問いかけると、師父は微笑んでおられるように見えましたが、まだ心が落ち着きませんでした。同修に電話して「済州島に行かない?」と聞くと、同修は「いいわね」と言って、すぐにパスポートの手続きを始めました。一時は韓国に行けないと言われましたが、韓国佛学会と台湾佛学会の調整により、ついに実現しました。
韓国に着くと、同修が迎えに来てくれ、夜は食事に招待してくれました。レストランで次々と出てくる料理を見て驚きました。キムチなど辛いものが多く、どう食べればいいのか、キムチに慣れていなかったのです。しかしこれは偶然ではないと悟り、私は大法弟子だから何を食べても問題ないと思いました。宿舎に戻ると、体に何の問題もなく、胃の不快感も全くありませんでした。これは私への試練だったと気づきました。
景勝地に着くと、免税店の入り口には中国からの観光客が溢れ、真相展示板は正面玄関前に設置されていました。多くの人が真相を見ていて、こんなに人が多いのにどうやって三退を勧めればいいのだろうと思いました。人心を放下して、直接「三退しましたか?」と聞くと、「していない」と返事が返ってきました。「党員ですか?」と聞くと「はい」と答えたので「よい名前をつけて平安を祈りましょう」と言うと、「ありがとう」と言ってくれました。こんな風に退党できるんだと思い、喜びの心が湧き上がりました。何度もこのようなことがあり、執着心が生まれ、「修は己にあり、功は師にあり」(『轉法輪』)という法理を悟れず、自分のしたことを誇らしく思っていました。
五、何事も内を探し、他者のために考える
済州島で真相を伝える過程で心性の試練もありました。時々同修が「これはこうすべき」と教えてくれた時、私は「分かっています」と言い、拠点で10年以上経験があるから、どうすべきか分かっているつもりでした。実はこれら全てが私の心性を試していたのだと気づき、心性を向上させるには謙虚さが必要だと分かりました。中国からの観光客が多いのに、三退を勧める同修が少ないと思い、同修と交流して、写真を送って状況を説明しました。ある男性の同修が状況を見に来た後、家を借りて三退を勧められる同修に来てもらい、全てが順調に進みました。今では同修が交代で支援に来てくれています。
同修が来てすぐに私の心性を向上させてくれました。多くの観光客が展示板の前に座っていて、私が挨拶に行くと「もう、行きます」と言われました。もう一歩前に進むと、ある同修が私を強く引っ張って、「人が聞きたくないと言ったら話すのをやめなさい」と言って、強く押されて私はほとんど転びそうになりました。その時、全身の血液が早く循環し、体が熱くなり、「たとえ私が間違っていても、こんな扱い方はない」と思いました。しかし後で心を落ち着かせて法を学び、内を探して自分の不足を見つけ、争う心や喜びの心を見つけました。後で同修が謝りに来ましたが、私は「大丈夫です、私が悪かったです」と言いました。この心性の関を越えた後、その日は真相がとてもよく伝わり、同修たちの顔は皆光り輝いていました。同修は「今日は皆の状態がとても良く、三退を勧める同修も皆喜んで、たくさんの人が三退しました」と言いました。
宿舎で、同修は明慧ラジオを聴くのが好きでした。最初は騒がしいと感じましたが、数日後には明慧ラジオが好きになり、それは私の正念を強めてくれました。聴きたくないと思っていたのは本当の私ではないと悟りました。以前は時間がないと言い訳し、もっと法を学ぶ時間に使うべきだと思っていましたが、全て言い訳でした。今では携帯電話を見る時間を使って明慧の交流文章を聴いています。
以上が私の修煉体験の一部です。不足している点がありましたら、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。
師父に感謝いたします! 同修の皆さんに感謝いたします!
(2024年台湾法輪大法修煉心得交流会発表原稿)
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