文/台湾の大法弟子
【明慧日本2024年11月17日】
師父 こんにちは
同修 こんにちは
私は台北に住む若い大法弟子で、今年24歳です。現在明志科技大学で修士課程の1年生になります。この法会で自分の修煉体験を共有できることをとても嬉しく思います。
一. 前書き
父が先に修煉を始め私を導いたので、私も修煉の道を歩むことになりました。当時、私は大法を学ぶことに熱意を持ち、幼稚園の頃、真相説明の資料を持って中正記念堂に行き、観光客に資料を配布していました。私は大法を修煉することが人生で最も幸運なことであると固く信じていました。
しかし、常人の学校に入学し、学業に専念するようになると、修煉に多くの課題がもたらされました。常人の中にあるさまざまな感情や欲望の誘惑に直面するとき、初めは大法弟子の心構えで、立ち向かうべきだと自分に言い聞かせましたが、修煉は厳粛な問題であり、ちょっとでも注意しないと旧勢力に利用されます。
私は修煉状態を緩め始め、常人の心で問題に対処するようになり、その結果、心性は徐々に低下し、かつて、自分が持っていた純粋さと堅実さは現実の誘惑に負け、ぼやけてしまいました。
二. 中学時代の迷い
中学生の頃、クラスメイトや友達と仲良くしていると、必然的にインターネット上の悪い情報に触れることがあり、その中にはポルノコンテンツも含まれていました。修煉者としては、絶対見ず、話さないはずでしたが、当時、私はしばしばこうした話題にとらわれ、修煉の基準を守らないこともあり、欲望の心はますます強くなってしまいました。これらのことには問題があるとはっきりわかっていましたが、修煉者が取り除かなければならない色欲の心を否定することはできず、さらに、常人が描いた良くない映画を観たりもしました。それは修煉者が行ってはいけない行為であることを完全に意識せず、私の修煉状態は徐々に消極的になり、喫煙や飲酒までするようになりました。
その過程で、父との関係がますます悪化し、時には手を出す寸前まで口論することもありました。今思えば、友達を作りたい一心で、善悪の区別を忘れ、修煉のことを完全に忘れ、家族の説得にも耳を貸そうとしませんでした。中学のこの時期が、修煉して以来自分の最もどん底の時期でした。
三. 私利私欲の心を見つける
師父は『轉法輪』の中で「しかし、常人の中で迷う人間が、名誉、利益、色欲、意地などのために生じた意識は、時間が経つにつれて、しだいにある種の強い思想業力となってしまいます」と説かれました。
大学時代、私はしばしば目に見えない圧力を感じ、時々この感情は突然起こりますが、後になって、これは師父が法で話されている、思想業力であることが徐々にわかりました。大学の3年から4年に進級した頃、師父や大法を否定するような思いが時々頭をよぎりました。最初は非常に混乱していましたが、これは思想業力が問題を引き起こしているだけだとわかっていました。正念を発するとき、それを取り除くために意念を強化しましたが、効果は限られ、しばらくすると再び現れます。当時の私にはなぜこのようなことが起こったのか理解できず、それを解消するために正念を発し続けることしかできませんでした。
今年の夏休み、私は明慧合宿のチームアシスタントを務めることになり、これまでのように同じチームの職員と一緒に、大法小弟子を率いて1週間うまく過ごせるだろうかと思っていました。予期せぬことに、その期間中、私はチーム内で他の修煉者と口論になりました。その口論からも、自分は人に責められたくない心を持っていることが分かりました。最初、私は修煉者の環境でなぜこのような矛盾が生じるのか理解できませんでした。その後、他の若い同修たちと交流したとき、自己中心的な考え方が自分に影響を与えており、自身の問題を内に向けて探すことを忘れており、その同修との対立も解決されていないことに気づきました。
この問題をどう解決するかを考えてみました。突然、私はこの件を父に伝えようと思いつきました。ためらいましたが、それでも勇気を出して、父とコミュニケーションを取りました。父は話を聞いた後、『大圓満法』の一節の「煉功点で自分を律するのに厳しく、人を遇するのに緩やかである。心性を守り、助け合い友愛し合う」(『大圓満法』「付録」)を見せてくれました。
この文を見て、ふと気づいたのですが、合宿での私のやり方は「自分に甘く、他人に厳しい」ことが多かったため、物事をするときの出発点は他人のために考えるのではなく、いつも自分自身に基づいているとわかった後、私は1週間毎日3、4時間法を学び、同時に発正念と煉功を強化しました。これほど長年修煉してきた中で、自ら進んで内に向けて探し、心性を向上させたいと願うのは初めてです。その時、私の頭の中にあったのはただ一つ、「心性を真に向上させるためには、自我という観念を取り除かなければならない」ということでした。
この1週間精進し、心性を向上させる過程で、合宿にいたときや他の人と接するとき、自分がやっていた多くのことの出発点が自己中心的だったことを思い出し、さらに不足を指摘されると、不平不満を抱くことがありました。
私は自分の中に隠れている、修煉の向上を妨げる利己心や怒りなどの物質を見つけ、また自分の不足を指摘されたら、それを喜んで受け入れると自分に言い聞かせました。それに気づいた後、肩から大きな荷物を下ろしたような気分になりました。その期間中、父との会話も以前とは違って、法に基づいた意思疎通ができるようになりました。これは大学3年から4年に進級した頃では、ありえなかったことです。いまは父の言葉をすべて聞き入れることができます。
自我の思想を放下した後は、心が洗われたかのように澄んでいることに気づきました。ある日父が、私はいま穏やかな表情をすることが多くなった、それは善の心を修めた結果だと言いました。以前はいつも疲れた表情で、落ち着きがなく、無意識に人が遠ざかりたくなるような顔をしていました。その後、あの若い同修との矛盾が未解決だったことを思い出し、謝りの手紙を書きました。
数日後、私は自らその同修に謝りの手紙を手渡し、ここ数日、内に向け探した感想を話しました。何事も自我を中心に始めると、心に壁ができてしまい、他人の意見を受け入れることが難しくなると深く悟りました。私の話を聞いた後、彼は私を許してくれ、自分の心の重荷をやっとおろしました。執着を手放したとき、心がすっきりし、確かに心性が向上したとわかります。
四. 活動に参加する基点を正す
1週間後、私は青年合宿のチームアシスタントとして赴きました。合宿に行く前に、私は大法弟子としての心構えで、青年たちと接し、法を基に交流し、絶対常人の座談会にならないようにと自分に言い聞かせました。
以前、青年合宿に参加したとき、「友達を作る気持ちで来たようで、参加する基点が正しくない」と言われたことがありました。その言葉を聞いたとき、私はただただ悔しかったのですが、合宿に参加した理由が純粋なものかどうかは考えていませんでした。心性が向上した今、私は合宿に参加したときの自分の心構えが、修煉よりも友達を作ることを重視していたことに気づきました。そのため、今年夏の青年合宿に参加したとき、自分の心構えをきちんと正し、その務めに真剣に取り組みました。
合宿生活中、私は自分を誇示せず、他人のことを考え、明慧と青年合宿の務めをきちんと行いました。期間中、私は団体のスタッフと自分のチームメンバーと仲良く付き合えました。誰かが私にアドバイスをしても、率先して耳を傾け、真摯に自分の考えを他の人と共有しました。皆との交流はとても平和で、青年合宿に参加して以来、このような気持ちになったのは初めてです。
師父は『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」の中で「皆さんはあることに気をつけるべきです。つまり、皆さんは法を実証しているのであって、自分自身を証明しているのではないということです。大法弟子の責任は法を実証することです。法を実証することも修煉です。修煉の中で他でもなく自我に対する執着を取り除くことであり、意識的にまたは無意識的に自分自身を証明することをかえって助長してしまうようなことをしてはいけません」と説かれました。
自分の基点を正しく位置するこそ、大法を真に実証できることに気づきました。
今回の青年合宿では、自分を実証するという考えを捨て、学習者の中に身を置き、みんなと一緒に精進し、向上してきました。期間中、私は初めて交流会の司会として招待されました。合宿終了後、何人かの同修から、私のチームアシスタントとしての役割に対して、フィードバックと感謝のメッセージを受け取りました。これはこれまで参加する中で経験したことのないことでした。
五. 成功への熱意の裏に見つけた嫉妬心
合宿が終わった後、私は嫉妬心と自分自身の関係についてより深く考えました。これまでの合宿で他の人と一緒に仕事をするとき、他人が自分より先に何かをしたことに嫉妬を感じることがよくあることに気づきました。この種の嫉妬や比較の心理のせいで、成功への熱望が高まり、何かを早く完成させたいと思うようになりますが、仕事の質や細かいところを無視しがちになります。このような考え方は、常人の学業に影響を与えるだけでなく、プロジェクトにも悪影響を及ぼし、他人の意見を受け入られなくなり、修煉の向上を妨げます。
深く反省した後、嫉妬から来る焦りは仕事の効率に影響を与え、物事をうまく進めるのを難しくしていることに気づきました。かつて、私は物事を速く済ませすぎて、結果的に仕事の成果がそこそこしか上がっていない、と指摘されたことがありました。その時、自分のやり方を改善する必要があることだけはわかっていましたが、すぐに忘れてしまいました。自分を実証したいという欲求がまだ非常に強く、自分には嫉妬心があることに気づいていないため、他人の意見を聞いてもすぐに忘れる傾向がありました。
執着の根源を見つけた今、私は自分にこう言い聞かせています。寛容であること、同修の強みを評価すること、せっかちな状態を手放すこと、純粋な心構えで、何も求めずに物事を行うこと、そして何事にも冷静に対処することを学ぶ必要があります。時には自分の不足を指摘されることもありますが、すぐに自分の状態を調整し、同修の意見に感謝します。このような心構えが私を真の修煉者に近づけ、より精進し、着実に修煉の道を歩むことができると信じています。
結論
自身の修煉過程を振り返ってみると、修煉は困難に満ちた道であると痛感します。最初の単なる修煉から、その後は気を緩め、何事においても自己中心になり、不必要な困難や試練を引き起こすまで、修煉には忍耐と粘り強さが必要で、急いで成功を求めてはいけないことが徐々に理解できました。絶えず精進し、内に向けて探すことと、大法弟子としての基準を守り、内心の利己的で自己中心的な観念を取り除き、心性を向上させることを学びました。
師父の慈悲に感謝します。これからも精進し、平穏な心構えで修煉の道を着実に前進し、執着を取り除く修行をし、真の大法弟子になります。
以上私の修煉体験で、至らない点があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。
師父、ありがとうございます。
同修の皆さん、ありがとうございます。
(2024年台湾法輪大法修煉体験交流会の講演録)