【明慧日本2024年11月18日】(明慧記者・李佳台湾台北からのインタビューレポート)台湾で育った建伍さんは、子供のころから反抗的な性格で、権威に逆らいたいと思っていました。彼は学校の授業は型にはまり過ぎていて、詰め込み教育だと感じ、教科書を批判的な視点で見ていました。その一方、彼は非常に頭がよく、有名な学校を経て進学し、大学では英文学科に合格しました。
文学や芸術の分野では、誰もが異なる意見を表現することが期待されています。建伍さんは多くの文学理論や文学批評の手法を学び、さらに存在主義の書籍も読みました。当時、社会では「平等主義」の思想が広まっており、これに影響された彼は、物事を批判的な視点から見る習慣を身につけ、より左派的な若者になっていきました。
日常生活の中で、建伍さんは左派的な思想の影響で少し気難しくなり、人生に対して多くの不満を抱くようになりました。彼は常に何かに対して怒りや不満を感じていました。そんな建伍さんに、どのような修煉の機会や人生があったのでしょうか?
左派青年が社会に挑む
建伍さんは英文学科を卒業しましたが、就職活動の際、一般的に多くの人が選ぶ外資系企業や英語教師のような仕事は、彼にとって「普通すぎる」と感じ、全く考えていませんでした。
彼は「努力すれば必ず成功して大金を稼げる」という信念のもと、さまざまな業界に挑戦しましたが、どこでも苦戦を強いられました。この期間、彼が経験した仕事には、古い家屋のリノベーション、アートスペースの運営、ギャラリーの事務職、フリーランスの翻訳などがありました。さらには建設現場で泥水工や大工の雑用をこなしたり、市場で卵を売ったりすることまでしました。
建伍さんは当時を振り返ってこう言いました。「あの頃は何をやっても失敗続きの時期があったんです。一生懸命やっていましたし、決して頭が悪いわけじゃないのに、なぜこんなにも仕事がうまくいかず、成果が出ないのか不思議でした」
彼は一度仕事を辞め、オーストラリアへワーキングホリデーに行くことにしました。「英語はそれなりにできると思っていたので、お金を稼げるはずだと思っていました。でも、英語がどれだけ上手くても仕事とは全然関係なく、3カ月経っても仕事が見つかりませんでした。レストランで皿洗いの仕事をしているときには、理不尽な理由でオーナーに怒鳴られ、突然仕事を失ってしまいました。最終的には農場で早朝に起きてサクランボを摘んでいましたが、寒さで手の感覚がなくなるほどでした。さらには、殺人事件に巻き込まれ、警察署で証人として事情を聴かれる羽目になったんです。地球の裏側まで来て、風に吹かれ、日差しに焼かれる生活を送っていたのに、貯金はゼロになり、非常に辛い思いをしました」と振り返りました。
仕事がうまくいかないことは、学業では順調だった建伍さんにとって大きな挫折でした。「当時の私はいつも、誰もが自分の才能や努力に見合った報酬を受けるべきだと思っていました。努力すれば目標を達成できると信じていましたが、現実は挫折ばかりでした。十年が経ち、多くの苦労を経験したにもかかわらず、人生で設定した目標のどれ一つとして達成できていませんでした」と建伍さんは語りました。
建伍さんは、自分が社会主義思想の影響を受けていたことにも気づきます。「後になってわかったのは、共産主義思想というのは変異的なもので、時には平等や平権のような美しい姿に偽装されるということです。今では、平等とはすべての人が『善良さを選ぶ権利』を持つことであり、少し努力しただけで他人の成果を得ようとすることではないと考えています。また正義についても、弱者になったり、不当な待遇にされたりしたのは、往々にして過去の一歩一歩とつながっており、完全に均等な公平や正義を求めるのは、借金を返さなくて良いと同じだと思うようになりました」
強情と憂うつ 不順の中事故を起こす
当時、多くの友人が建伍さんにもっと良い仕事が見つけるように勧めてくれました。友人たちはみんな、私とコミュニケーションを取るのが難しいと言っていました。「振り返ってみると、その時の私はまるでハリネズミのようで、誰が何を言おうと、鋭い言葉で反論していたのです。まるでこの世には私一人だけしかいないかのようだったんです」
台湾に戻った後、建伍さんは最初は仕事を見つけられませんでした。「その時の私の不遜な態度や、強情な目つきのせいで、誰も私を雇おうとしませんでした。このような態度のため、多くの友人とも連絡が途絶え、ほぼ孤立した状態になっていました」
転々しているうちに、建伍さんは政府機関で契約社員として働くことになりました。職場は遠くて、厳しい冬でも、酷暑の夏でも、毎日約70キロを往復して運転しなければなりませんでした。また、公務員としてのストレスは、芸術業界での自由とはまったく異なっていたため、さまざまな不適応が重く感じ、建伍さんは軽度のうつ病を抱えるようになりました。「私は自分がおかしいと感じ、時折孤独になったり、時折イライラしたり、当時の彼女と何度も喧嘩し、物を壊すこともよくありました。病院に行くと、医師は軽い薬を処方してくれました」
ストレスと睡眠不足で薬を服用していた建伍さんは、居眠り運転中に減速せずに街路樹に衝突してしまい、車が壊れて廃車になったほどの大事故を起こしました。奇跡的なことに、建伍さんはわずかな打撲傷だけで済みました。「振り返ってみると、当時は神や佛が私を守ってくださったと思います」
大法に出会い、自分を変え始めた
人生のあらゆるところで壁にぶつかり、建伍さんは自分に本当に問題があるのではないかと反省し始めました。「この不運は、神からの私への警告かもしれない。自分が本当にうまくやっていないのだ」と少しずつ反省し、批判的思考を改めた建伍さんに、修煉の機会が訪れました。
当時、法輪大法はすでに世界中の100以上の国に広がっており、台湾の至る所に法輪功学習者がいました。どこに行っても法輪功に触れることができましたが、建伍さんは心のバランスが取れていない状態だったため、たとえ見かけても特に感じることはありませんでした。しかし、自分を変えようとしてから、法輪大法に出会う機会がやってきました。
再就職を探している間、建伍さんはオンライン読書グループに参加しました。そこで知り合った友人と気が合い、彼らはよく佛家の宇宙観について話し、それから法輪大法について触れました。「私たちは各自の家で、オンラインで一緒に『轉法輪』を読んでいました。その時の私は、本当に何の先入観も持たず、読んだものをそのまま受け入れていました。疑問を感じたり、理解できなかったりすることもありましたが、通常その後の2、3章で解答が見つかり、本当に不思議でした」
例えば、建伍さんは「法輪大法を修煉して、人のために占いをすることができるのではないか?」と考えていました。すると、数日後に読んでいた章の中で、この問題の解答が現れました。またある時、建伍さんは『轉法輪』に書かれている言葉が「本当に素晴らしい、ぜひ覚えたい」と思って、ペンを持って本に線を引こうとしましたが、ふと真っ白できれいに印刷された本に書くのはあまり良くないと考え直してやめました。すると、数日後に師父が「あなたが一筆でも書いたら真っ黒になってしまいます。それでも勝手に書く勇気が本当にあるとでも言うのですか?」(『轉法輪』)と説かれたのを読みました。
『轉法輪』を読み終えた後、建伍さんはこの本が非常に不思議で、多くの人生の疑問を説明していると感じました。彼は「まるで魂の深いところにある空虚な部分が満たされたようで、とても充実に感じました」と言いました。それから、彼は法輪大法の修煉を始めました。
第二式の功法を煉っている建伍さん |
大法を学ぶことで、建伍さんは以前は金銭や名声を追求し、努力すれば成功するべきだと思っていました。達成できないと運命が不公平だと不満を抱いて、その結果、現実の生活ではすべてがうまくいかず、道はますます狭くなってきたことに気付きました。
修煉後の建伍さんは、人生は単に物質的な満足を追求するだけでなく、より高い次元の精神的な向上を目指すべきであり、より良い人間になるべきだと感じました。以前の不満を抱く心は完全に変わり、「恨む必要はなく、物事の得失や不公平な出来事は無意味なものではなく、すべて因果関係があるもので、自分の業をしっかりと受け止めなければならない」と理解しています。
建伍さんの古い友人も、「今の建伍さんはまるで別人のように変わりました。彼は優しく、穏やかで、重荷を感じることなく、他人の話を聞くことができるようになりました」と感心しました。これについて、建伍さんは次のように述べました。「修煉をしてからは、挫折に遭っても、より平気に受け止めて試練だと考えるようになりました。以前のように困難に直面すると興奮することはなくなりました」
仕事の中で真・善・忍に従う
大法を修煉してから、建伍さんが最も悩んでいた仕事の問題は、予想外にも順調になりました。以前は彼がいろいろ苦労して仕事を探していたのに、今では仕事の機会が直接彼のところにやってきました。
建伍さんは現在、ギャラリー協会のマネージャーを務めており、メディアの広報とマーケティングを担当しています。真・善・忍を修めているため、仕事の中で突然トラブルに直面しても冷静に対処でき、争いを避けることができるようになりました。「他人を良くないと思って我慢するのではなく、本当に他人が悪いと思わなくなりました。修煉によって心が広くなり、多くの事柄に対する理解も変わったのです。以前の基準で考えれば、この人やこの事はあまり良くないと思うかもしれませんが、今はそのような考えはまったくなく、客観的に向き合い、一緒に仕事をすることができるのです」
ある時、建伍さんは新しい職場に入ったばかりで、感情的になりやすい同僚がいました。新人で、職場の運営ルールがよく分からない建伍さんに、その同僚は突然怒鳴り始めました。「これは明らかに私の心の試練だと思い、謝った上で解決の方法を尋ね、ひたすら同僚の怒鳴られるのを聞いていて反論しませんでした。しばらくして、その同僚も落ち着き、自ら私に話しかけてきました」。建伍さんは、修煉者は慈悲深い心を持つべきだと考えています。「彼は上司からのプレッシャーを相当受けていたのかもしれない。修煉を通じて、こういったことを理解できるようになり、彼に共感できるようにもなりました。彼が怒っている時は間違いなく不快な事情があるので、彼のことを考え、冷静に前向きな態度でトラブルを対処すべきだと思いました」
修煉後、建伍さんは穏やかになり、常に善良な心を保つようにしている |
また、同僚は建伍さんがオフィスにいないと、トラブルが発生しやすいことに気づきました。それについて、建伍さんは「面白いことに、彼らの話によると、私がオフィスにいないと、電気が故障したり、部署内のトラブルが発生したり、何らかの問題が起きると言われました。また、私が側にいると、同僚の頭痛や腹痛などの不快な状態が改善されるともよく言われました。これこそ師父がおっしゃった『佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」(『轉法輪』)ということかもしれませんね」と言った。
修煉を続けるにつれて、心が安定し、心性が高まる中で、建伍さんは物事の本質を見抜き、重要な点を把握する能力が向上しました。そして、知らぬ間に他者に対する思いやりや態度も良くなり、追加の仕事を引き受けることで、仕事の成果も向上し、職場でのキャリアも安定してきました。
「私たちは善を修めることで、良好な人間関係を築くことができ、多くの人が私たちを助けてくれるようになります。真を修めることで、物事の核心を見抜き、最善の結果を出すために何をすべきかを知ることができます。仕事の成果が向上し、ボーナスも増え、経済状況が改善され、より安定した生活ができるようになります。そうすると、さらに仕事で自分の能力を発揮したり、学んだりすることができるようになります。これは、かつての安定しない困難な人生では想像できなかったことです」
芸術的審美観が変わり、光と美しさを発見
建伍さんの審美観も変わり、芸術における光と美しさを鑑賞するようになりました。「私は芸術の仕事をしていますが、現代アートの多くは人生の痛みに焦点を当てています。修煉を始めてから、芸術は美しさと善良さを表現すべきだと感じるようになりました」
「人生の痛みは多くの人が経験したもので、自分に欠けているものを見るべきだと思います。それによって自分がより良くなれるからです。美しさを追い求めるためにこそ、良い作品を見る必要があるのです。芸術史を学ぶと、世に残る偉大な芸術作品のすべてが、神性や人間の美しさを表現していることに気づきます」
また、建伍さんは自然界にも大いなる美しさを感じるようになりました。「天地は創造主によって創られたもので、その美しさはどこにでもあり、特に何かを求める必要もありません。ふと振り返ると、雨上がりの空が美しいことにも気づけるのです」
建伍さんは修煉前後で物事の感じ方が全く異なることにも気づきました。「以前のように怒りを抱えていた時なら、雨が降ると『また雨か、嫌だな』、『悪天候だ』と思っていましたが、修煉後は雨が降っても『雨上がりの空気は新鮮だな』と思えるようになりました。同じ出来事でも、修煉前後で感じ方が全然違います。どの角度から見ても、修煉後の生活はより素晴らしいものになっています」
「修煉は心身を最善の状態に戻し、前向きに人生と向き合えるようにしてくれます。修煉は自由で、自分の努力に応じて得られるものが変わり、修煉したくなくても、誰にも強制されません。しかし、もし修煉を始めたなら、修煉者が得るものは、この世のどんなものも比べ物にならないほどのものです」と建伍さんは言いました。